ポケットにしまう有限の涙と無限の栄光。
「矢久保ちゃんも、不真面目じゃないけど、ひょーきんだよね」風秋夕は楽しそうに言った。「可愛すぎるひょーきんなら、美月ちゃんとかもそうだけど。俺好きだな」
「ひょーきん? 私が? ほんとですか?」矢久保美緒はそう驚いてから、顔の前で素早く片手を振った。「いやいやいや、真面目です」
「ひょーきん、つうか、おもしれえよな?」磯野波平は笑った。「とくによぉ、近くにさくちゃんとかいっとよぉ、おもしれえ矢久保ちゃん発動すんじゃんか、なあ?」
「さぐぢゃーーん」風秋夕は矢久保美緒のモノマネをする。「しゃくちゃーーん」
「私そんな事言ってます? 言ってるか……」
「いやや、言ってるでござる」姫野あたるは驚く。「自覚、あまりないでござるか? 矢久保ちゃん殿は……」
「んなーい」矢久保美緒は可愛らしく、口の先をすぼめた。
一方、店内奥のカウンター席では――。
柿色の店内には、所々に紫色の発光するブラックライトが設置してあり、サイバーな雰囲気と九十年代風の洋風居酒屋の雰囲気とが混ざり合っている。
店内に流れている楽曲は、ホリー・ベーデルの『キャント・ウォーク・アウェイ』であった。
「まなったんてさー、こう~、決まった好みのタイプとかはいるのぅ?」
来栖栗鼠は笑顔で、秋元真夏に質問した。
「好みのタイプ?」秋元真夏は、赤らんだ頬を笑わせる。「どうしようかな、内緒にしとこうかな」
「うわ~、ガードかたーい」
「絢音さんとか、何の本、いつも読んでるんすか?」
天野川雅樂は、緊張を呑み込んで、鈴木絢音に質問した。
カウンターは内側に反るように半円にカーブしており、顔を出さなくとも、カウンターに座る皆の顔が見える造りになっている。
最も左の席に、来栖栗鼠が座り、その右隣りに秋元真夏が座っており、更にその右隣りに鈴木絢音が座り、その右隣りに、天野川雅樂が座っている。
更に、天野川雅樂の右隣りに、山崎怜奈が座り、その右隣りに宮間兎亜が座り、その右隣りに、樋口日奈が座り、その更に右隣りに、御輿咲希が座り、その右隣りに、和田まあやが座っている。更に、和田まあやの右隣り、つまりは並びの最も右の席に、比鐘蒼空は座っていた。
「なんの……。小説、です」鈴木絢音は澄ました態度で答えた。
「どんな小説っすか?」天野川雅樂は、思い切って質問を続ける。
「どんなだろう……。あんまり、人に説明するの得意じゃなくて」鈴木絢音は少しだけ、苦笑を見せた。
「じゃ止めましょう、止めましょう、はい」天野川雅樂は手でバッテンを作って言った。
「あ、でも。辞書とか、好きです」鈴木絢音は言った。
「もちろん知ってるっす、いいすよね、辞書!」
天野川雅樂は、残りのビールを一気に呷った。
鈴木絢音も、ちびりとクリアアサヒを呑み込んだ。
「れなちは、どんな男性がタイプなのん?」
宮間兎亜は、印象的な半眼を笑わせて、特徴的なハスキーな声で山崎怜奈に質問した。
「んー今はぁ、そういうのよりぃ、ヲタ活とか、仕事とか趣味とかを優先かな」
山崎怜奈は、右隣りの宮間兎亜を見つめて微笑んだ。
宮間兎亜は、一瞬、山崎怜奈の美しい微笑みと、ぶれのない強い精神に見とれていた。
しっとりとした時間が流れる。会話もとぎれとぎれで、実にまったりとした時間がカウンターを支配していた。
「まあやちゃんは……、凄い」比鐘蒼空はグラスを持ち上げたままで、呟いた。
和田まあやが、反応する。
「ん?」
「まあやちゃんは……、おいらの、ヒーローだ……」
「ヒーロー? あたしヒーロー?」和田まあやは笑う。「なんで?」
「昔、おいら辛い事があって、うまく笑えない時があったんです……。そんな気持ちのまま、乃木坂のライブ配信を観る時間が来て……」
「うんうん」
「どうしよう、心が傷ついたまま、上手に、乃木坂のライブを楽しめるかな、て……。かなり楽しみにしてたので……、ライブが始まった時、不安で、いっぱいで……」
「うんうん。そいで?」
「まあやちゃん達、数人の一期生さん達が、前説だったんです……」比鐘蒼空は、そこで、暗かった表情を明るいものに一変した。「その前説が、無性に、面白くって……。自然に、大笑いできたんですよ……。そのおかげで、緊張がほどけてくれて……、ライブをばっちり、楽しめたんです……」
「えー、まあやその時、何て言ってた?」和田まあやは、にやけてきく。
「なんか、よく憶えていないんですが……。何期の、何か? とか、何かを必死に思い出されていて……。まあやちゃん達が、何かを思い出そうと考えてるうちに、まあやちゃんが急に混乱しだして、……あれ、えと、うちらって、何期だったっけ? て、真顔で言ったんです」
「あっはは」和田まあやは笑った。
「本当に、すっきりと、気が付いたら笑ってました……。ありがとうございます」
「いいって事よ」和田まあやはにやける。「てかまあやが馬鹿なだけじゃんか」
「おいらには、ヒーローです」
また、まったりとした時が流れる。
そんな中、沈黙を嫌うかのように、御輿咲希は、樋口日奈を見つめてきいた。
「ちまさんは、好きなタイプとかありますか?」
樋口日奈は、ゆっくりと振り返る。
「んー、うん。バタフライができる人」樋口日奈は潤った瞳を微笑ませた。「本当に、好きなタイプは? ってきかれたら、バタフライができる人、て答えるの」
「本当に、そうなんですのね?」御輿咲希は感心する。
「意外ねー。バタフライができちゃえばいいのん? けっこーいるわよ」宮間兎亜が囁いた。
「あのね、ミーグリとかでも、バタフライできるんだ~、て言われたら、なんかもう、キュンとしちゃうの」
樋口日奈はそう言って、屈託なく笑った。
樋口日奈達の火がついた会話が続く中、秋元真夏達もまた変わらぬ話題に火をつけていた。
「えーお願ぁ~い。まなったんの理想のタイプー、ききたいよ~」
来栖栗鼠は駄々っ子のように秋元真夏に言う。
秋元真夏は、酔いのせいか、少しだけこの会話が楽しくなってきていた。
「んー、じゃあ、しっかりした人がいいな」秋元真夏は、顔を考えさせながら、はにかんで答える。「大雑把で、あんまりきっちりしてない人がいいかも……」
「えー、ここで言うと、誰だろう、当てはまる人いるかな……」来栖栗鼠は突発的に思考を巡らせる。「しっかりしててぇ、大雑把。きっちりしてない……」
「あとねえ、考えが大人の人」秋元真夏は微笑んだ。「知的で余裕がある人。お父さんよりは年下の、おじさんとか、いいかなって、前に答えた事あるんだけど」
「おじさんっすか?」天野川雅樂は驚いた。
「年下はダメですか~?」来栖栗鼠は、苦笑を浮かべる。「ランク外?」
「あ~、人による」秋元真夏は、そこで、クリアアサヒを盛大に吞んだ。
一方、与田祐希の注文した焼肉定食が届いたテーブルは――。
「弓木さんは、ユーモアで溢れてらっしゃいますよね」駅前木葉は気分良さそうに、弓木奈於に微笑んだ。彼女は酔っている。「一言一言のワードが、とても特徴的で個性的なの」
「そうですかね?」弓木奈於は微妙ににやける。「普通~に、しゃべってるつもりなんですけど。す~、そうなのかな?」
作品名:ポケットにしまう有限の涙と無限の栄光。 作家名:タンポポ