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ポケットにしまう有限の涙と無限の栄光。

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「てんっめえ!」
「聞いてどうするの?」稲見瓶は言う。
「聞いて、……。聞いてから、考えっだろ、んな事は」
「てか、知らん」風秋夕は言った。「知ってるわけがなかろう」
「あんだよ期待させんなよ~!」磯野波平は顔面を歪めて大袈裟なリアクションで言った。
「だから、何を期待してんのよ……」齋藤飛鳥は、磯野波平を澄ました眼で睨みつけて言った。
「ほっかほっかの乃木坂……」
 磯野波平は真顔でそう答え、ハンサムに微笑んだ。
「はっはだって、素敵だろ、それってさ……はっは、はっはっは」
「あでも……、大浴場のロビーは、男女共同だな、確かに」風秋夕は呟いた。
 ガタン――。という騒音を残して、磯野波平は風のようにその場を去っていった。
 鯛茶漬けは食べ尽くされていたが、カラの茶碗の周囲が、鯛茶漬けの汁で汚れていた。
「アホか」齋藤飛鳥は呟いた。
「アホだ」風秋夕は彼の向かった方向を振り返りながら言った。
「アホだね」稲見瓶は、頷いた。
 三人が食事を終えてからしばらくすると、秋元真夏と山崎怜奈が地下二階の東側のラウンジに立ち寄った。
「波平君と会ったけど……」秋元真夏は、風秋夕を見る。「どこ行ったの? なんか地下六階をうろちょろしてたけど……」
「大浴場」風秋夕はにこやかに答えた。「まなったん、れなち、座りなよ。よく来てくれたね。ゆっくりしていって」
 秋元真夏と山崎怜奈は、齋藤飛鳥に小さな挨拶をして、それぞれソファに着席した。
「お風呂に入る感じじゃなかったけど……」秋元真夏は怪訝そうに言う。
「のぞき!?」山崎怜奈は閃(ひらめ)いたように言った。「もしかして、のぞきじゃないの、かな?」
「まあ、ね。動機はそうだね、きっと」稲見瓶は答えた。
「のぞけないけどねー」風秋夕はコーヒー・カップを手に取りながら悠長に言った。
「あのさ、あれ、銭湯の、ロビーっていうの?」山崎怜奈は驚いた顔で言う。「大広間みたいなとこ、男も女も共同だよねえ?」
「そう」風秋夕は頷いた。「ビールがいい? それとも違うの頼む?」
「あ、あービールで」山崎怜奈は答えた。
「私も」秋元真夏は微笑む。「クリアアサヒで」
「イーサン、クリアアサヒ、二つだ。至急頼む」
 風秋夕は上方の宙を見上げてそう注文すると、電脳執事のイーサンの応答を聞き遂げてから、山崎怜奈を見つめた。
「女湯には、一番奥に、大浴場があって、まあ、色んな風呂があり、そこにサウナも水風呂もあって……。大浴場を出ると、着替えとか休憩ができるフロアがあって、そこで飲み物とか、食事とかもできて……。大型の鏡もあるから髪とかも乾かせて……。更にそこを出ると、男女兼用のロビーがあるんだ。波平がのぞきに行っても、乃木坂のみんなは、ばっちりなんかしらは着てる」
「Tシャツと短パン、とかだとヤバくない?」山崎怜奈は不安そうに言った。
「ロビーに異性がいると、女湯の休憩場にも、男湯の休憩場にも、異性がロビーにいる事を告げるイーサンからのアナウンスが流れる。たぶん、大丈夫だろうね」
 風秋夕は山崎怜奈を見つめて言った。
「こっちも、波平対策は万全だから」稲見瓶が続いて言った。
「大浴場なんぞに入るから……」
 齋藤飛鳥はしらけた表情で呟いた。
「え飛鳥、入った事ないのう?」秋元真夏は不思議そうにきく。
「なーいですよ、そんなの」齋藤飛鳥は答えた。
「嘘~」山崎怜奈も驚いた様子であった。「サウナとかあるよ? 使わないの?」
「二十階に、女の人専用のサウナがあるじゃん」齋藤飛鳥は、アイス・コーヒーを飲もうとしながら、山崎怜奈を見つめる。「ジムに」
「あー、あ~! あるね!」山崎怜奈は思い出して納得した。「あそこのサウナ使ってんだ?」
「じゃあお風呂も?」秋元真夏は齋藤飛鳥にきく。「ジャグジーとかあるよね?」
「ジャグジーとか、うん、はい」齋藤飛鳥は頷いた。「あそこのは、入るね。シャワーだけの時もあるけど、大体……。まジムで汗流したあとは、うん。入って、る」
「完全に別々で良かったよな」風秋夕は言った。「なんせ、ここの設計は海外のデザイナーさんの作品だからさ、俺も仕上がったものを受け取っただけだからなー」
「大浴場、気持ちいいよ?」秋元真夏は齋藤飛鳥に微笑んだ。
「えー」
「絶対、入った方がいいと思うよ」秋元真夏は笑顔で言った。「それこそ、波平君がいない時にでも」
「大浴場というか、自室とかどっかの風呂とかトイレにいる人の事は、イーサンにきいても答えないから、入浴中も波平にはバレないよ」
 風秋夕は、海鮮盛りからタコの刺身をつまんだ。稲見瓶も、タコの刺身を箸で掴む。秋元真夏も、たった今タコの刺身を口に入れたところであった。
「そんなに?」齋藤飛鳥はきく。「そんなにいいもんなの?」
「天井たっかいしぃ、ひぃろいしぃ、泳げるし」秋元真夏は笑った。
「休憩室でお風呂上りに飲むコーヒー牛乳が美味しいの」山崎怜奈は微笑んだ。
「飲む時は、みんな片手は腰にね」風秋夕は笑って言った。「ぐびっと行こう」
「お風呂は、一人でいいや」齋藤飛鳥は微妙に眼を笑わせた。
「逆に、えイナッチとか、夕君とかは入るの?」秋元真夏は顔を笑わせながら、二人を交互に見つめて言った。「一緒に」
「入ると思う?」風秋夕は苦笑する。
「でも、あの時は入ったな」稲見瓶は呟いた。
「いいよ、言うなイナッチ」風秋夕は視線を伏せた。
「入った事はあるんだ?」山崎怜奈は笑った。「なんか、わけありっぽかったけど」
「身体を洗いあったり、するの?」秋元真夏は面白がって言った。
「無限シャンプー、というのはやられた事がある」稲見瓶は無表情で答えた。
「むげんシャンプー?」秋元真夏はきき返した。「あー、洗っても洗っても、ああ流しても流しても、泡立つってやつ?」
「イエス」稲見瓶は答えた。
「じゃあ一緒に入った事はほんとにあるんだね」山崎怜奈はにっこりと微笑んだ。「仲いいじゃーん……」
「あれはもう、何年前だろうね」稲見瓶は、風秋夕を見る。
 しかし、風秋夕は齋藤飛鳥を見つめていた。齋藤飛鳥は風秋夕の釘付けの視線を嫌がっている。
「飛鳥ちゃん、俺飛鳥ちゃんがすっげえ、タイプって事が最近わかっちゃった」風秋夕は無邪気に微笑む。「どうするすっげえ好きだよ」
「どうもしない」齋藤飛鳥は風秋夕がいる側の肩を上げて、視線を遮ろうとする。
「これでもほんとに箱推しなの?」秋元真夏は稲見瓶にきいた。
「そうみたいだね」
「イナッチはさあ、何で、どうして箱推しになったの?」山崎怜奈は自然な感じで稲見瓶に問いかけた。「最初っから?」
「最初からだね」稲見瓶は落ち着いて答える。
「みんなが好きなの?」秋元真夏は、そこでにやける。「え、遊び人なの?」
「ドラクエ3ではね、仲間を選ぶとき、一人遊び人という役職を選ぶといい」稲見瓶は眼鏡の縁をぐいと上げて、答える。「遊び人はレベルが上がると、やがて賢者に変わる。勇者の次に強い職業だ」

       6

 地下六階の〈大浴場〉のロビーにて、磯野波平がうろついていると、暖簾が揺れ、静かな足取りで袋を持った与田祐希が入室してきたのであった。
「あーおっす、波平君……」
 与田祐希は笑みを浮かべて、磯野波平に小さく片手を上げた。