僕はきっと、この日を忘れない。
「研究、開発職に向いている方の特徴として、すぐに結果が出ずともあきらめず、探求心や集中力をもって粘り強く続けられることなどが挙げられます。また、一人で黙々と仕事をしているイメージがあるかもしれませんが、研究、開発はチームで協力して仕事をします。失敗にもめげないタフな精神力なども必要です」
「はい」
「論文や専門書を読んだり、技術に触れるのが好きな方も、研究、開発に向いているといえるでしょう。ずばりおききします。あなたは、どうですか?」
駅前木葉の突き刺さるような眼鏡の奥の視線に、負けじと御輿咲希も鋭い視線で返す。
「はい。わたくしは完全な理系ですし、学費が払えないのでもう退学いたしますが、東京大学でもケンブリッジ大学への留学を推薦された事もあります。粘り強く企業に貢献できると、わたくしは思っています」
「そうですか、わかりました……」
駅前木葉は、そこできつかった表情をといた。
「合格です。明日から、大学終わりに、または大学のない日に、ここへ通って下さい」
「あの、大学は」
「学費は会社が受け持ちます」駅前木葉はにこり、と微笑んだ。「先日行った御社のテストでは、あなたはトップクラスの成績でした。筆記上では特別な才能を持っていますね。後は、実際に研究分野に触れて、ワークショップしていけばすぐに仕事にも慣れる事でしょう」
「では、採用なのですね?」
「はい」
駅前木葉は、にっこりと微笑んだ。
御輿咲希は、思わずガッツポーズを作って、無言で歓喜した。
「夕君にも知らせないとですね」駅前木葉はエスプレッソを美味しそうに飲み込んだ。」
「え?」御輿咲希は疑問を表情に浮かべる。「夕君の紹介じゃあ、ないのですか?」
「いいえ、私の推薦です」
「そうだったのですか……、ありがとうございます、駅前さん。このご恩は一生忘れませんわ」
「いいえ、一種の賭け、みたいなものですから。いくら推薦しても、うちのチームに合格しなければ水の泡でしたから。あなたの実力で掴み取ったのです」
「あああ、貧乏生活、グッバイなのね……」
「そうですね……」
駅前木葉はコーヒーカップをデスクに戻して、御輿咲希を見つめる。
「ここでの研究、開発職の年収は、新卒で入社した場合、初任給は二十万前半が見込みですが、御輿さんのように高い専門性やスキルを身につけている方であれば、二十台で年収一千万を超えるケースも見受けられます」
「一千万円……」
「ところで、十周年記念の日産ライブ、御輿さんは、ご予定は?」
御輿咲希は我に返った。コーヒーカップをデスクに置く。
「わたくしは、リリィで観戦いたしますわ。駅前さんは?」
「もちろん、私もです。ふふ」
「わたくし達、いいお友達になれそうですわね」
「何だか、似たような空気も感じますしね。ええ、私はお友達になれたらこんなに嬉しい事はないわ。ここでは上司ですが、あちらでは……」
「同士、ですわね」
二人は、その場には不釣り合いな密やかな笑みをこぼした。
「笑止!」
「ふふふ……、どうなされたの?」
「別に。笑止!」
4
午前九時過ぎ、東京都港区のとある道路工事において、ガードマンを果たしているのは姫野(ひめの)あたると、宮間兎亜(みやまとあ)であった。
姫野あたるは今年の六月二日に二十八歳を迎える三島ガード株式会社のバイト員であった。
「ガードマンって、言っちゃあ悪いけど、たいくつね」
一方、こちらも宮間兎亜、今年の七月二十二日に二十一歳を迎える三島ガード株式会社の新米ガードマンであった。
「いやいや、こうして二人で派遣されれば、しゃべりたい放題でござるよ。こんな仕事は他に中々なかろう」
「派遣されればって、偶然でしょう、今日は」
宮間兎亜は小さなあくびをした。
姫野あたるは、眉間を寄せて言う。
「いやいや、小生が申し出たのでござるよ。宮間殿と一緒に入りますと。それぐらいはうちの会社、お構いなしでござる。しかも小生は会社に長い上、港区を中心的に派遣されるでござるし」
「いっつもあんたと入れってのう?」
「い、いやぁ……、そうではござらんが」
「ま。仕事紹介してくれて助かったわ。あたい、店員とかできないタイプだから」
「小生もでござる、はっは。しゃべる仕事だと、サムライとからかわれてしまうでござるからなぁ」
「そのしゃべり方はよしなさいよ。仕事の時ぐらい……。ま、あたいにゃどうでもいいけどさ」
「日産のライブ、宮間殿はどこで参戦するでござるか?」
「そりゃリリィ・アースに決まってるでしょう」
「そうでござるか! 小生も、同じでござる」
「あんた、あたいに恋とかしないわよねえ?」
宮間兎亜は顔を険しくさせて姫野あたるを一瞥した。
姫野あたるは動揺し、慌てふためく。
「し、恋などと、し~ないでござるよ、なぜそんな事を、急に?」
「なんか、キモくない? あんた」
「き、キモいでござるか……。でも、恋なら市内でござるよ。ご安心下され。ファン同盟で恋愛は禁止されているでござるし、恋なら、とうに乃木坂にしているでござる……」
「あたいも飛鳥ちゃーんに、首ったけだわ~ん」
「小生もでござるぅふふん」
「ちょっと、マネしないでよ……。あんた箱でしょ?」
「箱でござる?」
姫野あたるは堂々と真顔で返した。
「それがどうかしたでござるか? 箱は箱でも、飛鳥ちゃんを愛する気持ちは宮間殿にも負けるつもりは毛ほどもないでござるよ」
宮間兎亜は顔をしらけさせて溜息をついた。
「嫌よね~、箱って。大体、いくらかかんのよ、箱ってさ」
「だから年中働いているでござる」
「ガードマンで、月いくらもらえてんの?」
「それは、……秘密でござるよ。女の子に月収など、無関係でござろう。付き合うわけでもなし」
「日給一万としても、せいぜいが月火水木金が四週あって、四五二十で、二十万でしょう?」
「小生は現場リーダーゆえに、普通勤務の人達より千円高く貰っているでござる」
「時給?」
「いや、日給……」
「じゃあ一万千円ね」
「やめるでござるよ詮索はあ! そんなつまらぬ話よりも、乃木坂の話をしたいでござる!」
「あたいはねえ、CDと写真集は何パターンか買うんだけど、グッズものは基本的に飛鳥ちゃんのものだけを買うようにしてんの。写真も飛鳥ちゃんのだけを集めてるわ」
「それで、箱なのでござるか?」姫野あたるは不思議そうに宮間兎亜を見つめた。「飛鳥ちゃんが神推しで、他も基本、箱推しなのでござろう?」
「そうよ?」
宮間兎亜は真顔でそう答えてから、座視に戻して、説明する。
「全員好きなのよ……。何でかって、面白いし、可愛いじゃない。全員で歌って踊ってるわけだし……。その中で、飛鳥ちゃんが一番輝いて見えるのよ。乃木坂は全員愛してるわ」
「なら小生の気持ちもわかるでござろうに……」
姫野あたるは顔をしかめる。煙草が無性に吸いたくなった。
道路工事の方は中々進行していない様子であった。しんと静まり返った閑静な住宅街の道路に、二人はだらしなく起立して、信号を止めている。
「あえて、とかはないの?」
「あえて、とは?」
「あえて言えば、この人好きが大きいな~って人よ。鈍感ね……」
作品名:僕はきっと、この日を忘れない。 作家名:タンポポ