ジャンピングジョーカーフラッシュ
頭部を失ったニャルラトホテプは変形させた際限無く伸縮する巨大な蛸(たこ)の脚のような触手(しょくしゅ)の鉤爪(かぎづめ)で、清宮レイと掛橋沙耶香に攻撃を仕掛け、二人に距離を取らせた。
清宮レイと掛橋沙耶香が息を整えながら状況を観察しているうちに、ニャルラトホテプはその詠唱(えいしょう)を終えていた――。
「闇の火(オプスクーリタース・フロガ)――」
「もらう!」
あやめの左手の上に浮かぶ〈紫色の背表紙をした本〉の白い頁(ぺーじ)に――『闇の火(オプスクーリタース・フロガ)』――と刻まれた。
あやめは右手を伸ばして叫ぶ。
「灰爆発(キニス・フラルゴ)っ!!」
掛橋沙耶香もそれを見て【暗記】の能力で咄嗟(とっさ)に唱(とな)えた。
「灰爆発(キニス・フラルゴ)!!」
ニャルラトホテプの周囲に、粉雪が降り落ちる……。否、それは粉雪では無く、灰であった。ニャルラトホテプの巨体に触れた灰から爆発を引き起こしていく……。
ニャルラトホテプの巨体は激しい連続爆発に巻き込まれた――。
「えーこれうちらに使おうとしてたんだよこいつ~?」
あやめは嫌そうに言った。
掛橋沙耶香は眼をこらして煙幕の中を凝視する。
「やったかなあ?」
清宮レイは爆炎の中心部を、全開の視力で見る――。
「まだだっ、なんか言ってるっ!」
「光の火(ファクス・フロガ)――」
「もらうっ!!」
あやめの左手が持つ〈紫色の背表紙をした本〉の白い頁(ぺーじ)に、――『光の火(ファクス・フロガ)』――と記された。
あやめは右手を指先まで伸ばしきって、ニャルラトホテプに叫ぶ。
「闇の火(オプスクーリタース・フロガ)っっ!!」
掛橋沙耶香も咄嗟(とっさ)に【暗記】の能力で叫んだ。
「闇の火(オプスクーリタース・フロガ)っ!!」
地獄から召喚された黒く燃え滾(たぎ)る炎が、爆煙(ばくえん)に巻くニャルラトホテプの巨大な手脚を焼いていく……。悲鳴を上げたと思ったニャルラトホテプは、歌を歌っていた……。
清宮レイは、あやめを振り返って強い表情で言う。
「たぶん最後の詠唱だ、最後の呪文唱えてるんだ……、くるよ、あやめちゃん!」
「うん。わかった……」
歌い声が黒炎(こくえん)と黒煙(こくえん)の中から響いている……。それはとても、悲しみに満ちたメロディであった。
「超爆発(エクスプロシオン)――」
「もらぁう!!」
あやめの左手の〈紫色の背表紙をした本〉の白い頁(ぺーじ)に、――『超爆発(エクスプロシオン)』――と記された。
掛橋沙耶香は悲鳴に近い声で叫ぶ。
「それじゃない! ちがっあぶな!!」
「超破滅的天災(カタストロフィ)――」
白い点が瞬間的に巨大なドームへと巨大化し、それは津波に呑み込まれたように身動きを封じる上下左右の間隔さえ瞬時に奪い去った光の大爆発であった――。
赤い世界の中、大口に抉(えぐ)れたクレーターの中心部に、本を開いた、年老いた老人が佇(たたず)んでいた。その老人の形をした灰は、風が吹くとぼこぼこと崩れ、やがて、塵(ちり)となった。
赤い空間が終わり……。筒井あやめと、清宮レイと、掛橋沙耶香は、互いの土砂やコンクリートの塊を退けて、助け合うように、立ち上がった。
掛橋沙耶香は無邪気に微笑む。
「んふあは、うちらの方がタフだったね!」
清宮レイは苦笑を浮かべる。
「ぼろっぼろだけどね……。え、てか、一人でこんなに強いの? 早く他の現場行った方が良くない?」
筒井あやめは呟く。
「最後の効いたなぁ………。本も一度掻き消されちゃったし……。あれを使えたら、役に立てるかもしれなかったのに……」
清宮レイは笑顔で言う。
「充分強い術とか必殺技とか、あやめちゃんもういっぱい使えるじゃん! 神の技なら、ベルゼブブにも効くよたぶん!」
掛橋沙耶香は辺りを見渡す……。それは富士山の山頂の辺り。そこらは赤い空間に染まっているままであった……。
「正直、ヨグソトースはかなり強いヒーローが行ってるから、任せるとして……。やっぱり一番ヤバいって言われたベルゼブブ、富士山だね!」
「登りますか!」
清宮レイは微笑んだ。
「登りましょう~!」
筒井あやめも片腕を高く上げて賛成する。
「じゃあ、ダッシュで行くよ!」
掛橋沙耶香は富士山の方向へと、高く飛び跳ねて移動を開始した。
――〇△□悪魔の王といえば、サタンやルシファーの名前が挙がるかもしれない。けどね、悪魔やオカルトが最も盛んだった15世紀から17世紀のヨーロッパでは、別の悪魔が首領だと考えられていたんだ。それが、ベルゼブブだよ。ベルゼブブは七つの大罪の暴食に対応する悪魔だが、ベルゼブブが好む悪事には暴食と関係ありそうなものは実は見られない。
ベルゼブブが好むのは、国の支配者を暴君に変えて国を亡ぼしたり、人間に悪魔を信仰させたり、高位の聖職者の性欲を高めて姦淫(かんいん)の罪を犯させるといった事だったらしく、その他にも争いを起こす、殺人をそそのかす、嫉妬心を引き犯すなど、大規模で深刻な悪事ばかりを好んだそうだよ。
七つの大罪と悪魔を関連付けた悪魔学者ビンスフェルトが、ベルゼブブを暴食の悪魔にしたのは、ベルゼブブが残飯や動物の死体に群がる『蠅(はえ)』と関係の深い悪魔だからと思われる。
ベルゼブブは、ユダヤ教徒やキリスト教徒が独自に生み出した悪魔では無く、ユダヤ人が住んでいたイスラエル周辺で信仰されていた、ライバル宗教の神を悪魔に変えた存在なんだ。その神の名は、『バアル・ゼブル』と呼ばれていたが、旧約聖書に収録された歴史書『列王記』では、『バアル・ゼブブ』という名前で登場した。
ユダヤ教にとってバアル・ゼブブは、信者を奪い合う最大のライバルだった。その為『列王記』ではユダヤ人の国、イスラエル王国の王でありながら、バアル・ゼブブへの信仰を認めたアハブ王が戦士したり、その息子アハズヤ王が、唯一神ヤハウェを無視して、バアル・ゼブブの占いに頼った為に死亡するなど、バアル・ゼブブを信仰する者には災いがあるという事が再三にわたって強調されている。
バアル・ゼブブの前身であるバアル・ゼブルの名前は、『高き館の王』という意味でね、カナン地方などで信仰され、両方の名にもみられる『バアル』という神の尊称だったんだ。
旧約聖書では『バアル・ゼブブ』と呼ばれていたんだけど、これは、ユダヤ人の使うヘブライ語で、『蠅の王』という意味になる。ユダヤ人がバアル・ゼブルという名前からバアル・ゼブブに変えた理由は幾つかある……。
その一つが、『高き館の王』という名前は、ユダヤ人の偉大な王『ソロモン王』の事と勘違いしやすく、違う名前で呼ぶ必要があった事。
もう一つの理由は、敵対する神の名前の『ゼブル(高き館)』を、音の似た『ゼブブ(蠅)』に変えて『蠅の王』という汚らしい名前にする事で、神の権威を貶(おとし)めようという目的だった事。
ただし、この『蠅の王』という名前も、一概(いちがい)に悪意を持って付けられたものとは断言できない。なぜなら、腐った肉から自然にウジがわき、蠅に変わる事から、『蠅は生命の象徴』でもあったんだ。
作品名:ジャンピングジョーカーフラッシュ 作家名:タンポポ