君に叱られた
「え? 何突然、え、どうして?」
「だからぁ……、ね? 私達が言えばいい、のかなぁ~と、思ったわけですよ」
「私達が? 言うったって……。たった二人で?」
「だってぇ…、じゃないと、夏休みが終わっちゃいますもん。ね? 行こう?」
「どこに?」
「だからぁ……、学校?」
静まり返った学校。校門から近くに見えるグラウンドでは、野球部の活発で熱血的な姿が窺える。それ以外に動きのある風景はなかった。制服を着ている生徒さえ、遥香とサリの二人しかいない。
校門で短くサリが文句を言った。はあはあと肩で息を切らしている。何処に住んでいるのかは知らないが、サリは遥香が適当に指定した時刻をしっかりと守って参上してきたのであった。
「賀喜さんあんたっ……はぁ…ちょっとねえ……はぁ」
「ふふなに?」
遥香は可笑しそうな顔でサリを見る。
「あ走ってきたの?」
「走ってくるの見えたでしょっ! ……ちょっとそれより、…はぁ、……はぁ~……」
「ん?」
遥香は陽気に無表情を作る。
「一方的に電話切らないでよっ!」
サリはカンカンに怒っていた。しかしそれは初めから顔を見れば一目瞭然である。
「切るってあんたが言ってから、私はまだ何も言ってなかったじゃないっ! はぁ…はぁ…なんで切るのよっ!」
「あ~……、ごめんね?」
「ううん気にしないで、とは言わないわよっ! このニコニコ娘っ!」
少しだけサリが喧(やかま)しく怒鳴り散らした後は、遥香的に仲良く昇降口で上履きを履いた。
二人は職員室を目指して、まっすぐに廊下を突き進む。緊張を表情の前面に出しているのはサリで、遥香はにこにこと笑顔で廊下を歩いている。何度もサリに『夏休み~って感じがするよね?』と呟いていた。
職員室の前で深呼吸したのは遥香であった。サリはおろおろと遥香の顔を見ている。
「ふうぅ~~………。ん?」
「…ううん、別に」
「えはは」
遥香は微笑む。
「緊張するね?」
「してるのう?」
サリは不思議そうに言った。
「あは」
遥香は上目遣いで髪の毛を触る。
「ポニーにしてきちゃった……。これね? あ、このゴムね? 引っ越してくる前にぃ、友達に貰ったやつなんだよ」
「そう……」
「そ!」
遥香の返事と同時に、職員室のドアを開いた為に、遥香の『そ!』は近くにいた職員に聞こえたかもしれない。サリに至っては、どうしてか『あバカっ!』と、わけもわからずに叫んでいた。であるからして、サリの『あバカっ!』も、無論、職員室には響いている。
「職員室ぅ?」
「うん。顧問のぉ……おしり先生だっけ? 絶対違う……。でもまあ、とりあえず、おしり先生に会ってぇ、直接頼んでみない、ですか?」
「先生に言ったって無駄よ…。部長がもう頼んだみたいだし」
「わっかんないじゃないですか。――えだって、部活の時間って、ちゃんと研究してたよ、ねえ?」
「してたけど…」
「三角形の漫画だって、研究になりますよねえ?」
「なる……けど、何で知ってるのよ……」
「だあ~ったら、…だいじょぶ、じゃないかなぁ? …クーラーとかを、節電してぇ、使うパソコンだけさぁ、何台か、貸してもらえるように、お願いしに行きません? お願いしてみようよ」
「まさか……。無理よ。だって、あの先生がエコを授業してるのよ?」
「私だって授業してるよ?」
「は? ……ああ、授業を受けたって意味ね…そうね。そうよ、私も受けたの。だったらわかるでしょう? 先生は認めないわよ。あの人、強情なんだから……。しかも、おしり、じゃなくて、尾尻(おじり)よ、オジリ先生」
「んーどうでもいいけどさあ、」
「何よどうでもいいって……」
「私、これから二時半になったらさぁ、職員室ぅ、行ってみますね? それまで留守番してろってお母さんに言われたから、二時半までは家にいるけど」
「え、ちょっと…、本気で?」
「あのパソコン一台でもいいんでしょ?」
「もう今学期の部活は終わったのよ? 部長だって受験勉強があるし、他のみんなだってもう」
「私先生に頼んでみるね? うん。じゃあもう切りますね」
「えっ、ちょっと待ってよ、あなた……、もしもし?――もしもしちょっと!」
コーヒーカップから湯気が立っている。ピタッと繋げられた職員用のデスク。あまり面識のない職員用のデスクの上を見てみると、そこには意外にも個性豊かな私物が並んでいた。
散らかったデスクに、辞書やファイルを立て並べてあるデスク。
所狭しとしながら、無駄な物が飾ってある、子供が使用しているようなデスク。
ビニール製のデスクカバーが敷いてあり、その中に家族であろう写真が飾ってあるデスク。
遥香はそれらをじっくりと時間をかけて観察する。職員室自体に遥香はあまり関係性がない為、こんなチャンスは二つとないだろう。
整頓されたデスク。上には何も載っていない。それが、現在背中を向けたままでしゃべっている科学部顧問の尾尻教諭(きょうゆ)のデスクであった。
尾尻教諭のデスクには、湯気を立てているコーヒーカップしかない。その時取りかかっている仕事分しか物を置かない主義らしい。私物と呼べそうな物は何一つ見当たらなかった。
尾尻教諭から囁かれる言葉に、サリはピンと背筋をはって話を聞いている。しかし、遥香は、あからさまにその顔を職員室の景色に向けていた。デスクの上が気になるらしい。
「部屋の使用許可はもう取ってないんだよなぁ」
尾尻教諭は、二人に背を向けたままで、何かのファイルを作成している。カチャカチャと不器用な音を立てながら、次々とファイルに金具を取りつけていた。
「瀬川先生が鍵を管理してるからさあ、俺に言われてもどうしようもないんだよなぁ。もっと早く言えばよかったのに、なあ?」
尾尻教諭はまた『なあ?』と言って、後ろの二人を振り返った。
遥香はジョリジョリと音を立てそうな粒々のひげを見つめたまま『はぁい…』と、ただ呆然と笑みを浮かべて黙っていた。ここに来てからは、どうしてかサリ一人だけがだんまりを決め込んでいる。遥香は職員室に入った途端に、人形のように笑顔を維持したままになって、たどたどしくはあるが全ての会話を買って出ていた。得意の、笑顔で、である。
二人して職員室を出た後は、会話も程ほどに、すぐに昇降口へと向かった。
肩を落としたまま、サリが上履きを下駄箱に戻すと、遥香が『んふふ、汐崎さん、それ持って帰らなくちゃ』と笑った。その時にサリが『ああ…、そうね』と微笑みを取り戻し、遥香が『あーーっ!』と破天荒に大声を出したのであった。その瞬間にサリは『ひいっ!』と小さく悲鳴を上げている。
「ちょっと……。大声出さないでょ…。心臓弱いんだから……」
「あー、あは、ごめん」
遥香は笑顔のままであった。
「でもさぁ、あの、…いい事思いついたよ?」
「なによ」
サリはキツネ顔に戻っていた。
「もう無駄な事には付き合わないわよ」
「ううん、付き合って」
「えぇ?」
サリは真顔できき返す。
「何によ……。賀喜さん、要件を先に言ってくれる?」
「あー…、うふふ」
遥香はそう怪しく肩を上げて笑うと、突然に下駄箱から廊下へと飛び出していった。そのまま勢いよく職員室の方向に向かっている。