君に叱られた
「賀喜さんが、おにぎりも貰ってくれたから、何とか歩けそうだわ…。ふふ、よくあんな暗闇で外が見えたわね」
サリはにっこりと微笑んだ。
「んふふ、この眼って夜行性みたい」
遥香もにっこりと微笑んだ。
「ええ、私は視力がいいのよ。二.〇だから」
その後、サリの『キツネさんみたいだよね!』という言葉に『ざっけんじゃないわよ!』と遥香が怒鳴った後で、二人はがやがやと騒がしく洞窟へと集まってきた男の集団から逃れるようにして、森林の中へと走り出した。
夜の森はとても険しかったが、遥香の叫んだ『お爺さんなんで大家族なの~! 洋服を着なさい洋服を~!』という声に、サリがくすくすと笑い、それに影響されるように、遥香の顔にも元の可愛らしい明るさが戻った。
二人はたっぷりと時間をかけて、村瀬の国を抜ける。大きな渡り橋まで戻ってくると、そこには晴れ渡る真昼の世界が広がっていた。
13
フトルはポテトチップスを食べていた。ベッドの上に全開に開口されたポテトチップスを載せて、それをバリボリと食べている。別に他には何もしていなかった。
彼はただ、眼を瞑って、たまに独り言を呟いている。
室内には音楽さえもがかけられていない。窓の外からたまに工事の騒音が入り込んでくるだけであった。
「パイ投げしようか…。当たった人が、そのパイを全部食べちゃう。…なんだったら、俺が全部食べちゃってもいいけど…ぐっふ」
ギシギシとベッドを揺すりながらフトルは笑う。眼は瞑ったままであるが、開かれたポテトチップスの位置は見事にぴたりと当てていた。
「ああ~…うん。今日はフトルがいないんだょ……ちょっと、理由があって」
そう言って、フトルは眼を開いた。掴もうとしたポテトチップスがもう終わっていた。
フトルはぼりぼりと口元を掻いて、音を立てている窓の外を眩しそうに眺めた。
何処かで工事をしている。
「………」
弟が電話だと廊下で自分を呼んだので、すぐに部屋を出て、一階のリビングへと出向いた。
フトルは受話器を掴んだ。
「もしもし、メガキン?」
電話はメガキンからであった。
「もしもし、元気してた?」
憂鬱(ゆううつ)であった精神は、その賑やかな一言でさっぱりと消えてなくなっていた。フトルは片脚で片脚を掻きながら、キッチンの方に視線を向けて、にやけた。
「元気じゃ~ない。メガキンって今は何してるの? こっちは暇で仕方ないよ、ポテチも買いに行かないともうないし」
「ネットで遊んでるよ。サバゲー。さっき少しだけぇ…村瀬も来たよ」
「あ~……、やっぱりそういう事してたんだ…」
フトルは受話器のコードを指先に巻く。
「賀喜さんとかさぁ、サリとか、今頃何やってんだろぉね?」
「賀喜さんはわからないけど、サリは出掛けてるってさ」
「電話したの?」
フトルはそのまま冷蔵庫を開けた。器用に受話器を肩に挟んで、中をじっくりと覗き込む。
「電話番号知ってるんだ? あ、実は付き合ってたとか?」
「くっだらない……。本当に暇してるみたいだね。パソコンを起動させなよ、もう一回村瀬も呼ぶから、ネットでヴァロでもやんない?」
「あのさあ…、やるわけないじゃん。人を銃殺するだけなんだもん」
フトルはファンタ・オレンジのペットボトルを取り出して、腹で冷蔵庫を閉めた。
「なんで課金してまで殺人しなくちゃいけないの、面倒臭い…。痩せちゃうよ」
「僕も暇なんだよ。わかった。じゃあ、今からフトルの家に遊びに行くよ」
「え~来なくていいよ」
フトルはファンタ・オレンジをごくごくと喉に流し込んだ。
「来てもする事ないもん」
「お土産にポテトチップスと村瀬を連れて行くよ」
「すぐ来れる?」
フトルは微笑んだ。
「USBも持ってくるんでしょう?」
「うん。確か~、ジョイスティックは、秋葉原で買ったやつを持ってたよね?」
「一人分だけ。あ、メガキンが二人分持ってこないと、村瀬はジョイ持ってないよ」
「わかった。じゃあ、もう一回電話する」
「うん、じゃあね」
「あ」
「……ん?」
フトルは受話器を耳に戻した。ファンタ・オレンジを飲もうとした尖った口元が、素早く元に戻った。
「なんか言った?」
「ジュースぐらいは用意しておいて、僕も小遣いが危ないから」
「な~んだ。ファンタが三本あるよ」
「じゃあ、また電話するから」
電話を切った後、フトルは小学生の弟の部屋へと行き、かってにジョイスティックを借りて、自分の部屋へと戻った。
そしてまたベッドに座り込み、フトルはしばらく、そのまま眼を瞑った。
昼の十二時を過ぎたせいか、窓の外に響いていた工事の騒音はもう聞こえなかった。
今は綺麗な静寂が部屋を支配している。
「…フトルと、部長が、これから来るってさ……。うちじゃワープは無理だけど、パイ投げはできる……。ふひ~」
フトルはファンタ・オレンジのペットボトルを、幸せそうにラッパ飲みした。
~フトルの国~
現実の中で現実感を再確認するような景色であった。しっかりと設計しくまれたような、洋風の建築物。街と呼ぶに相応しいその光景は、つい先程まで歩いていた『始まりの街』を遥かに超越して、二人にリアリティを体感させた。
それはゲームの中であるという恐怖の現実を忘れさせ、瞬時にして二人に『外国』を連想させたのである。
森林の造形物に繊細な造りだと関心を寄せた心はとうに消えてなくなっている。始まりの街で見渡した煉瓦造りの家々も、すでに玩具(おもちゃ)のように思えていた。
そこは通常世界とよく類似した現実感の塊であり、フランスかイギリス、パリやロンドンといったシティを思わせる。
サリは口に指を咥えていた。遥香、つまりは中身は本物のサリである遥香が、今早々に街の住人と会話を始めている。
「煙突なんてないじゃない……。どこにあるのよ」
遥香は忙(せわ)しなく問い質(ただ)す。ここに来てから、すぐにでも帰れそうな、そんな気がしていたのであった。
「言っても無駄だと思うけど、詳しく説明してくれないかしら……。この街は初めてじゃないけど、ある意味で、初めてなのよ」
遥香は『フトルの国』に来て、すぐに眼の前を歩いていた住人に突進した。あの不思議な音は住人との接触時には流れない。その変わりに、住人との会話が発生するようになっている。それがこのゲーム世界での共通のシステムであった。
住人の硬度は無論その形体や性質によって異なる。この世界が設定に忠実に存在している為、岩の姿をした住人に突進していけば大けがをするであろう。
しかし、遥香が現在会話をしている住人は、とてもソフトな形体をしていた。
サリは指を咥えたまま、無言で二人に近づいてみる。
「この路をまっすぐに行くんです」
住人は横眼でちらり、とサリを一瞥して、また、その可愛らしいお目目を眼の前の遥香に戻した。
「良かったら僕が一緒に行きますけど、どうします?」
「やだ、ちょっと…、賀喜さん、ここの人達、やっぱり生きてるわ!」
遥香は、その美形な顔を器用に豹変させて喜ぶ。声が上ずっていた。その眼も三角に湾曲し、嬉しそうにサリに驚きを表現している。