君に叱られた
そして、五人並んだ右端に佇(たたず)むこの背の低い男は、やはり二年生部員で、名前を有島勇気(ありしまゆうき)という。彼も部活では実に目立った存在であった。しかし基本的には静かな性格で、その存在自体は目立たないはずなのであるが、その顔にかけた大きな黒ぶちメガネと、博士のようなその雰囲気から、彼は部員達から『メガネキング』という意を込めて『メガキン』と呼ばれ、やはり目立った存在となっている。
「あ、あのー……、何でしょう…か?」
遥香は大きな瞳を怯えさせたままで囁いた。
「私ぃ、これから、怒られますか?」
「怒らないわよ」
最後に、この性格の歪んでいそうな、眼つきの悪い女子部員を紹介したいと思う。
彼女の名前は汐崎佐里(しおさきさり)。部員達からは『サリ』の通称で馴染んでいる二年生である。
しかし、このサリは、実は嘉喜遥香と唯一、部活内で仲の悪い生徒なのであった。言わば遥香の『敵』なのである。性格が自己中心的であり、遥香の部活初日に『転校生だからってちやほやしないから、さっさと部屋を掃除してよ。ほら、突っ立ってないで…も~、使えないわね~』と言って、まだ右も左もわからない遥香を泣かせた記録を持っている。
この科学部で有名人であるそんな五人が、今、遥香の眼の前に立っているのであった。
「あのさ、嘉喜さん、悪いんだけど、今日部活が終わったら、そのままここに残っててくれる?」
部長は淡々と遥香に行った。
「本当にすまない」
そう何度も会話した事のない部長が、自分に直接話しかけている。糸のような細い眼に、糸のような細い眉毛。普通としか言いようのない鼻に、実に小さく薄い唇。
初めての部活の日、子供が作った粘土細工のようだと思ったその顔が、今は直接自分に向かって何かをしゃべっている。
「嘉喜さん、残れるかな?」
「え……あはい」
とりあえず、遥香は頷いた。
「あの、えと、でも……」
「残れない? 残れるんでしょう? どっち?」
サリはご機嫌で口を開いた。
「無理しなくていいの、本当に、今日だけは無理しなくていいからね?」
キツネのようなサリの顔が、自分に話しかけている。
「あ、ううん。それは大丈夫なんだけど」
「そ……」
遥香がそう言うと、サリはあからさまに白目を剝いてから、パソコンが並ぶ机列に歩いて行ってしまった。そこで部員達はそれぞれがそれぞれの『科学』の研究をしているのである。
遥香はサリの行動に戸惑っている。敵、とは言っても、それはサリの一方的な認識なのである。泣かれた事に恨みを持っており、それ以来サリは遥香に絶大なるライバル意識をもっているのであった。遥香が男子生徒にモテる事も関係している。尚、遥香はサリに特別な感情は持っていない。『キツネみたいな顔だなぁ~』と仄(ほの)かに思っているだけである。
「何だよあいつ……」
今度は、村瀬が遥香に言う。
「嘉喜さん、お前、不思議って物に興味があるんだろう?」
「フウンっ‼」
遥香が素早く頷こうとすると、次の瞬間、すぐにフトルがでっぱった腹で村瀬を派手に突き飛ばした。遥香は驚いてしまい、そのまま少しだけ怯(おび)えた。
「おまっ、ちょっ……なんだよ!」
「……」
フトルは黙ったままで首を横に振った。顔は怖く極まっている。
遥香はわけもわからぬまま、ここのドアを開けてからずっとそうしているように、きょとんと怯(おび)えた顔をしている。
「まあ、今は余計な事を言うな」
部長は村瀬にそう言ってから、続いて遥香に笑顔を向けた。
「嘉喜、たぶん、お前も喜ぶと思う。今のところは何もきかないで、このまま残っていてくれよ」
「……はい」
迷う選択ではなかった。部長が『残れ』と言っているのだから、部活での仕事かもしれない。
「わかりました」
遥香は部長の顔を見つめながら、ゆっくりと頷いた。
「うん、よろしく」
その後、部長はいつもの席、つまりは一番奥の列にある、最後の席に着席した。
そして、一言をしゃべったままで笑顔を演出していたメガキンは、真ん中の列の最後の席に。デブ痩せコンビのフトルと村瀬は、ドアから近い手前側の列にて、隣同士の最後の席についた。
その列と同じ、フトル達の席の正面向かいの列にくっついた席に、先程のサリも着席している。サリの座る列の机並びが、入り口から最も近くにあたる並び列であった。
それは鏡のように向き合わさっている。否、机にはパソコンが陳列されている為、向き合った同列の部員達が眼を合わせる事はない。
遥香は、フトル、村瀬、サリと同列であり、そして、サリと同じドアから最も近い側の、サリと隣同士となる席に腰を下ろしていた。――そこが嘉喜遥香の指定席なのである。
すでに起動しているパソコン画面には背景画面(壁紙)として、乃木坂46の姿が映し出されている。それは遥香が自分で背景に設定した壁紙であった。贔屓(ひいき)しているアイドルというわけではないが、数人いる、同じ世代が歌って踊っている、というところに多少の興味があった。もともと誰かが科学の授業中か何かに、インターネットからパソコンに落として画面に取り込んだのだろう。遥香はそれを見つけて、なんとなく自分の背景画面に設定したのであった。
今はそれを見つめている。ただ、画面で笑顔になっている数名のアイドルを呆然と見つめているのである。
嫌な緊張があった――。自分は、これから一体何を話されるのだろうか。部活が終了してから行う作業といえば、一週間に一度の室内清掃しか思い当たらない。しかしそれは昨日やったばかりである。
遥香は考えながら、横眼でサリの事を確認してみる。
すぐ横の席で、パソコン画面に三角形を組み合わせて少女の絵を作っているサリが不気味であった。三角形で人間を描く事が不気味なのではなく、どうして、今、この場でその話をしないのかが不気味でならなかった……。
残れ、という事は、話があるに決まっている。ではなぜここでは話せないのだろうか。村瀬がフトルに怒られていた。それは『ここでは、話すな』という意味なのだろう。
グレー一色の淡白な絨毯(じゅうたん)に、上履きを脱いだ靴下でパソコンデスクに座っている。それは皆が同じであった。この科学室は土足厳禁である。
二十人程いる部員達は、部活中は沈黙している為、唯一そこでいつもしゃべる、フトル、村瀬、メガキン、部長の声が、やけに強調的に聞こえる。
「やだわ……。これじゃあ、三角お化けじゃん……。違う、失敗」
そして、サリの声も……。――よりにもよってどうして、この五人が自分に話しかけてきたのだろう。どうして――どうして?
遥香は最後に思い当たった言葉を思い浮かべながら、マウスを静かに掴んだ。
――お前、不思議って物に、興味があるんだろう?