君に叱られた
遥香が開いたパソコン画面には、おとぎ話に登場してくるような、お花畑があった。そこにはお菓子の家もあり、羽を生やした文豪ストレイドッグスの太宰治や、中原中也。浮かぶ星に乗って路を歩いているスパイファミリーのアーニャ・フォージャーやヨル・フォージャーなどもいる。他にも空飛ぶバイクに跨(またが)った僕のヒーローアカデミアの爆豪勝巳や、オールマイトとお茶をしている緑谷出久などもいた。
それは遥香がこの一年でようやく制作した、グラフィックでの映像であった。何を研究してもいいと言われたので、遥香はこの一年でグラフィックのプログラミングを学び、その次元の違うキャラクター同士が住まう可愛らしい不思議な世界を創ったのであった。そのパソコン画面の中の不思議な世界には、一人だけ、普通の人間の姿をした少女が歩いている。それは遥香と同じく、髪にピンクの髪飾りをつけた少女の映像であった。
遥香はこの十七歳になるまで、ひと時も忘れなかった事がある。大阪府に滞在していた幼い時も、栃木県を出る事になった学生時代にも、そして、この東京に引っ越してきてから、今に至るまでにも、遥香はそれを忘れず、放さなかった。
それは、――夢ある不思議な世界が好き――という、心である。幼心に芽生えたその興味心は現在も遥香の心に宿り続けている。毎日必ず聴くCDからは、冒険を歌っている歌詞が流れてくる。毎晩開く漫画本には、夢のような世界が広がっている。部屋の中を埋め尽くすキャラクターもののグッズ、様々な世界に登場してくるような、可愛い髪飾りなどのアイテム。遥香は今も、現実離れした不思議の世界に魅了され続けている。
そしてこの日、遥香は村瀬の口からそれを聞いたのであった。別に誰に隠しているわけではないのだが、『不思議が好きなんだろ?』と、そこまで具体的な比喩(ひゆ)で囁かれた事はない。あっても『漫画が好きなの?』程度である。
パソコン画面に広がる異世界を見つめたまま、遥香は大きく静かに深呼吸をした。横ではサリが『あ~ら、また失敗だ』と呟いている。正面の席からは『また食うのかょ』『ほっといてくれ』と村瀬とフトルの声がする。そして、メガキンが部員に何かの説明をする声と、部長が『成功だ!』と喜んでいる声が聞こえる。
この科学部最強の存在感達と、自分は、この二時間後に、何かの話をするのだ。
しかも、もしかしたら、それは――不思議についての話かもしれない……。
「はぁ~……」
遥香はぱちくりと瞬きをして、画面をクリックする。
「はぁ~」
男子部員達の熱い眼差しが自分に向けられている事も知らずに、遥香はわけもわからずにこの後の何時間をお預けされる、というやっかいな事実に溜息を連発していた。残れと言われれば気になるに決まっている。
そう、遥香は何も知らずにぱちくりとパソコン画面を見つめている。そう、自分に向けられた男子生徒の眼差しに、『ちっ』という、サリのきつい舌打ちが響いている事も知らずに。
2
「なんであの子なの?」
サリはひどく歪んだ顔で言った。
「よりによって、嘉喜さんだなんて……、だって私のパートナーでしょう?」
例の五人は現在、部活終了の五分前になったという事で、部室前の廊下に出てきていた。本人達はこれを『会議』と呼んでいる。
「僕が決定した」
部長は落ち着いて返答する。
サリはその表情を更に歪めた。
「でも部長、私のパートナーなんですよ?」
「僕らの仲間に引き入れる条件は、一つだけなんだよ」
部長は落ち着いた口調で、しっかりと糸眼でサリを見つめる。
「この科学部で、僕らと同じ仲間、それは賀喜さんしかいない。彼女が何を研究してるか、サリは隣なんだから知ってるだろう?」
「なんなの?」メガキンがきいた。
「だから、なんか夢のある世界だよ」村瀬はメガキンに答える。「この前俺さ、嘉喜さんのパソコン、科学の授業中に覗いてみたんだよ。席が偶然同じだったからさ。――あれは合格だった」
サリは不満そうに顔をしかめている。キツネのような顔がいっそうキツネのように見えた。
「部長の決定は覆(くつがえ)らないよ」
メガキンがサリに笑顔で言った。極端に背が低い為、この瞬間には誰もが顔を下ににさげる。
「サリを僕達の仲間に加える為の会議だって、村瀬が最後まで嫌だって言ってたのに、部長がそれを無理やりに決定にしてくれたんだから」
「だって……」
と顔をしゅん、とさせた後で、サリは激しく村瀬を睨みつけた。
「ちょっとあんた! 嫌ってど~いう事よちょっと!」
村瀬はフトルの背にさっと身を隠した。後ろで『昔だよ、昔…』と弁解している。尚、フトルはでんと構えた長身と巨漢で、怒ったキツネ顔に『あはあ』と笑っていた。
「サリがどうして賀喜に厳しいのか、うん……、よくわからないけど、もう僕が決定したんだから、それは…、納得するように」
そう言った後で、部長はサリに落ち着いた頷きを見せた。
「えぇ~……、嘉喜さんなのぉ……」
サリはそう言ってから、素早く豪快にメガキンの尻を蹴った。
「聞こえてるのよ、このチビっ!」
「うあぁっ……、痛いなぁ、もう」
メガキンは突然の痛みに尻を抑える。メガキンは『嘉喜さんがモテるから嫌いなんだよねえ?』とフトルと話していた。しかも、フトルは腹を掻きながら頷いていた。
「何よ……、嘉喜さんの味方するの? …ずっと仲間だったのに、やっぱり、ねえ、女は顔なの?」
サリは激しく部長を除いた三人を睨みつける。
「そんなん…、言ってねえじゃん」村瀬は顔をしかめた。
「女……というか、それよりポテチ」フトルはけけらっと笑う。
「仲間だと本気で思ってるのに……。泣くわよ?」
激しく睨むサリの顔つきは、もうすでに泣きに入っている。
「泣くからね……、あっ…ほんとに……泣くかも」
「あがいてもダメだサリ、もう嘉喜で決定してる」
部長がそう言ったところで、ガラガラガラ――と、ドアの開く威勢の良い音が鳴った。
五人共が瞬発的にそちらに眼をやると、グレーのタイル床に、次々と上履きの音が歩き始めた。部活が終了し、皆が帰っていくのである。
部長は『お疲れ様です』と連発される愛想のない声に『はいよ』と、それぞれに個性的な声を返している。一方、サリを含めた四人は、口喧嘩を勃発させながら、廊下の壁に張りついて部員達が歩く路をあけていた。
「私があの子のなるのよ?」サリは睨む。
「僕になるよりはマシなんでしょ?」メガキンはきく。
「マシって…変わらないわよ」サリが険しく言う。「嫌いなのよっ」
「もうさ~、あきらめなよう」フトルは呆れて言う。「男言葉使わなくていいんだからさ~」
「あんたねえ……、あのねえ」
サリは激怒した鬼のような顔でフトルを見上げる。
「あの子は普通ぅ~に、なんとかかんとか、んふふふ、って輝くような笑顔でしゃべった後よく笑うのよ? アイドルみたいな顔で、うふふふ、なのよ! 私にどうしろって言うの!」
「興奮すんなって」村瀬は落ち着いていた。
「あ~……、もうすぐ、異世界だ」メガキンは嬉しそうに囁いた。
「興奮するな?」
サリは、改めて村瀬の顔を恨めしそうに睨みつけた。