君に叱られた
「これが、家内のチーズケーキです」
「どうも初めまして、ソフトクリームの母でございます」
チーズケーキは爽やかな微笑みで、強烈な異臭を放っていた。動くと匂いが漂ってくる。
「ごゆっくりしていって下さいな」
チーズケーキは優しく微笑んでいる。性格も感情も全てがわかりやすかった。
「おほほ、家族以外と会話をするのは、本当に久しぶりなんです。ソフトクリームったら、もう喜んでしまって」
「ちょっと母さん……」
「ええ、あの、突然であれなんですけど」
遥香は、慣れた顔つきでさっさと話し始めた。スイーツ家族達が、素早くシリアスな顔つきになる。
「ワープ…みたいな、あの、瞬間移動のような現象って、この辺りで起こりませんか?」
「ああ、起こるよ」
ソフトクリームが言った。
遥香は激しくその顔をソフトクリームに向ける。サリも走り出したショートケーキに激しくそのキツネ顔を向けていた。というか、ずっと向けていた。ちなみにショートケーキはあまりの恐怖に夢中になって泣き叫んでいる。
話は一時中断となり、父と母と妹が突然に逃げ出していった弟を心配して追いかけていった後で、ソフトクリームが改めて床に座り込み、二人の話を深刻に受け止める時間となった。
時間が存在していないのか、そのリビングには時計が飾られていなかった。無機質な打ちっぱなしコンクリートの室内には、テーブルセットとソファと絨毯しか置かれていない。
寒気がするような灰色の空間を、ただ電気が照らしているような単純なリビングであった。
「違う世界から?」
ソフトクリームはその瞳を大きく興奮させていた。
「じゃあ………、え、たまに遊びに来る村瀬さんとか…。待ってください、それは……、本当の事なんですか?」
「ええ、嘘は言ってないわ」
遥香は激しい顔で頷いてみせた。隣のサリにも、同じ顔のままで説明する。
「村瀬は、つまりフトルの事よ」
サリは真剣に頷いた。唾を呑み込んで、今度はソフトクリームの顔を見る。
「あの、はいあの…、帰れないんです……」
サリは顕在的なキツネ眼でしっかりとソフトクリームに話しかける。
「いつも遊び、えと、ここに、遊びに来てるぅ……村瀬君とかもぉ…、最後には私達の世界に、帰ってこれてるんですけどぉ…、私達だけ、なんか帰れなくなっちゃって……」
「それで、帰り道を探してるんですけど……」
遥香がすぐにサリに続いた。
「そのワープは、どこで起こるんですか?」
ソフトクリームは驚いたままの顔で、ゆっくりとその声を発した。
「名前も知らない国なのですが………」
「え? 国の名前を知らないの?」
そうサリがすぐに言うと、遥香が『待って』と言ってソフトクリームの説明を仰(あお)いだ。
「誰も知りません……。危険な国ですから」
ソフトクリームは二人の顔を、ゆっくりと交互に見て話を始める。
「その国の事は、風の噂でしかこの国には届きません…。ですが、その国ではいま、人々が徐々に消えている、という噂です」
遥香がサリの顔を見た。しかしサリがソフトクリームの顔を見つめて口に指を咥えていたので、遥香はあきらめてその顔を改めてソフトクリームに戻した。
「消えるって、どうやって? ピシュンって消えちゃうのかしら?」
「それはどうかわかりませんが……、噂では、ウサギが消す、と伝わっています。なんでも、この世界を支配しようとしている、凶悪で、とても恐ろしいウサギらしいのです」
14
少し経ったら出発と遥香に言われ、サリは思い残す事がないように、ショートケーキの部屋に遊びに来ていた。
「あっはは、あー、そう思ってたの? お姉ちゃんそんな事しなぁーいよぅー」
サリは優しく微笑んだ。
ショートケーキは土台が木製造りのベッドに座り、丸くなっている。サリはそこにちょこん、と腰を置いていた。
「食べなあい?」
「んふ、食べない!」
サリは優しく、うん、と頷いた。
「お話ししようよ。もしかしたら、お姉ちゃん達もうすぐ帰っちゃうかもしれないから。だからさぁ、ね? 少~し、お話ししよう?」
「僕のこと、食べなあい?」
ショートケーキは背筋を伸ばして一所懸命に言った。
サリは微笑んだまま、真剣に胸の前で両手を合わせ、『食べませ~ん!』と頷いた。しかし、それは『いただきま~す!』によく似ている。
ショートケーキはけらけらと笑って、サリにその無邪気な笑顔を見せた。
「ケーキ君はぁ、学校は、あるの?」
「なあにぃそれぇ」
「お姉ちゃん達が向こうの世界で通ってる~……、んー…、お勉強? するところ。お勉強はわかる?」
「うん」
ショートケーキは真剣な面持ちで頷いた。
「美味しくなるお勉強するぅ。それとね、それとね、パイ投げするお勉強するぅ」
「パイ投げ? へー、パイ投げ。するんだ?」
サリは短く笑った。
「パイは生きてないの?」
「生きてないよ?」
ショートケーキは不思議そうに首をひねった。
「これだもん」
そう言って手を差し出した少年の手には、いつの間にか、大きな生クリームの載った紙皿が出現していた。
サリは驚いて、慌てている。
「え、え、え今、今どこから出した?」
「みんな出せるよ。パイ投げやるぅ?」
ショートケーキは嬉しそうに微笑んだ。サリが頷いたので、少年はベッドに立ち上がり、元気よく床へと飛び移った。
「じゃあ行くよ?」
「えちょっと、何いくよっていくよじゃなくて、だ、ダメダメ、待った待った、ちょっと待って!」
サリは、パイを振りかぶったショートケーキに慌てて手の平を前に出して『やめろ』を強調した。そして、サリはまた慌てて驚いた。
「えっ、あれ!」
サリの手には、すでにパイの載った紙皿があった。
「へひゃひゃ、え~い!」
「やっ…っ……。ちょ~っと」
サリはクリームのついた横顔で苦笑する。すぐに自分も立ち上がった。
「じゃこっちも行くからね~……、行っくぞ~…そりゃっ!」
「わあんっ」
「あっは、やったー…へいへいへーい」
「まだだもん、え~い!」
「このっ、こっちだって、このっこのっ!」
手の平を強く開けば幾らでもそのパイの皿は出現してくれた。
サリは少年と夢中になってパイ投げ合戦に熱中する。大声で笑って、たまに脚が縺(もつ)れて壁に体当たりしても、また二人で大笑いした。生クリームは少しすると消えていく。顔や洋服に付着した生クリームも、壁やベッドに飛び散った生クリームも、何秒かすると透明になって消えていった。
サリはつり上がった眼を更に細くし、ショートケーキの少年にパイの嵐をおみまいする。少年は大喜びで、へひゃひゃ、と笑顔を振りまいていた。
遥香は強烈に顔をしかめていた。リビングの静寂も手伝い、飛び抜けて可愛いはずの遥香の雰囲気は欠片もない。見事なまでに鼻筋に走っている皺は、パイプ椅子で殴られたプロレスラーに類似した迫力がある。
ソフトクリームは眼を逸らした。
「………ちょっと」
遥香は、更に顔をしかめる。
「じゃあ、日に一度なわけ?」
「ええ、ですから…僕達は毎日行って、占ってもらいたい事を、占ってもらえるまで……あのうぅ……」