君に叱られた
「あ、えー、とあ、元気です…。あ、そっちは?」
「考えてみなさい…。私は悲しそうな顔をしてる?」
リスは顕在的に可愛い顔でサリを冷静に見据える。
「どんな顔に見えて?」
サリは笑顔を心掛ける。
「あ、じゃあ元気なんだ?」
「あなた程じゃないわ」
「うん……」
サリはわけもわからずに俯いた。
この街のぬいぐるみ達は、なぜか会話が優しくなかった。どうしてかサリとは会話が弾まない。それどころか、尋ねたい事をきき出すまでに一苦労してしまう。
サリは後ろを振り返ってみる……。そこでは、高い声を上げて笑っている遥香とワニの姿があった。
「話しかけておいてシカト?」
サリはぐっと腹に力を入れて、笑顔を作ってからリスを振り返った。
「リスさんは、これからどこに行くの?」
リスは迷いなく後ろに振り向いてから、露骨に顔をしかめて、またサリに顔を戻した。
「リスなんてどこにいる?」
ぬいぐるみの表情は実に可愛らしくない。
「マイネームイズ、マングース……。リスはどこかしら?」
「マングースさんは……」
サリはなんとかで笑顔を立て直す。
「えと、マングースさんは、これからどこに行くの?」
「またシカト?」
サリの顔から完全に笑顔が消えた……。
「間違えたんだもん………」
「故意的に? それとも不可抗力?」
マングースは息遣いが荒い。
「何で答えないの? それは故意と受け取っていいのね?」
「何言ってるのか、わかんないもん……」
サリは、胸に走った暗い感情の痛みを、必死で堪える。
「わざとじゃないから……。ごめんなさい」
マングースはサリの顔をまじまじと観察した後で、『初めっからそう言えばいいじゃん』と小声で呟いた。
サリはマングースの頭を、ボコン、と叩いた。
「きゃあ!」
ボコン、ボコン、と無表情で叩いてから、サリは全速力で後ろへと走っていく……。
先程も、サリは同じように通行人のぬいぐるみをボコン、ボコンして、遥香の近くに走ったのであった。それから会話をあきらめて、時間を潰していたのである。
数メートル離れた場所から、マングースが脚音を怒らせて三人の横を通り過ぎていった。サリは遥香の身体をうまく使い、遥香を柱のようにしてマングースをやり過ごした。
「またケンカしたの? ちょっと…、触らないでよ?」
遥香は呆れてサリを睨む。
「サリちゃん…。本当に聞く気ある?」
サリは弱った眼つきで何も答えない。狼(おおかみ)に睨まれたキツネのようである。
「この子が使えないわけね、なんとなくわかるわ」
ワニが言った。
「置いてっちゃったら?」
サリは無言でワニの頭を、ボコン、と凹ました。
「ぎぃゃあ!」
サリは続いて、ボコン、ボコン、とワニの頭を凹まし、また急いで遥香の影に隠れた。
サリは、弱った顔で遥香の背中からちょこん、とワニの顔を真剣に覗く……。
「あんた……。いいわ」
遥香は疲れた表情で、ワニに向き直す。
「もう行ってちょうだい。悪かったわね、忘れて」
ワニは悲愴な顔でサリに何度か文句を吐き捨ててから、それから間もなく、脚音を怒らせながら退散していった。
「なんで手を出すのよ…、あなたは……」
遥香は腕を組んでサリを振り返る。
「そういう人なの?」
サリは、弱った顔のままで呆然としている。
「あなた…、ちょっと危ないわよ?」
「悪口、言った……」
キツネ眼をぱちつかせながら、サリが声を出す。
「みんな、だって意地悪するんだもん……。え、だって……、さっきのマングースだって、あ、の、私、何もしてないのに、かってに怒ってきてさぁ」
「顔を叩かれたら誰だって怒るでしょう?」
「口じゃ勝てないもん」
「あなた……。じゃあサリちゃん、私とケンカしたら、私を殴るつもり?」
遥香は腕組みのまま、肩をリラックスさせて、じっくりと訝しげにサリの顔を見つめる。
「これ、あなたの顔だけど、それでも殴るの?」
「殴んないよ……。んーなん、殴るわけないやん」
サリはよくわからない顔で興奮する。
「ぬいぐるみだから、痛くないんでしょ、だから、……だよ。さっきカメレオンが痛くないって言ってきたもん」
「何人ぶん殴ったのよあんた」
そう言われた後で、サリが両手を使って数え始めたので、遥香は困った顔で首を掻いた。
二人の近くには絶えず住人である動物のぬいぐるみ達が行き交っている。こちらから話しかけぬ限り、ぬいぐるみ達には二人が空気に見えているらしかった。
「いい? ここ子達は、み~んな価値観を持ってるの」
遥香はすぐ近くを歩いているペンギンのぐいぐるみを、手のはらを上に向けて指差した。顔は遥香に似合わず、笑顔がない。
「あのペンギンもそうよ、可愛い見た目は忘れなさいよ…この際。いい、考えてみて? みんなどこかへと目的を持って歩いてるのよ? 声をかけられて脚を止めるんだから、対等な話ができない人には不快感をいだくでしょう? 話しかけてきた人がもじもじやってたら、サリちゃんはどう? ――そうでしょう?でもこの子達は会話をするように設定されてるから、私達を無視できないの。怒らせたままなら悪口だって言われるのよ。……腹が立ったらもう話なんてしたくないでしょう? でもこの子達はそうはいかないのよ…。会話が続いてるようなら、ずっと話をするしかないの。わかるでしょう?」
サリは、通り過ぎていったパンダを眺めながら頷いた。きゅうと細身がかった表情には、まだ幾らかの不安が感じ取れた。
「会話なんて簡単に成立するはずよ?」
遥香は自分を見つめたサリに、頷いてみせる。
「楽しいぐらい。私、さっきだって楽しそうだったでしょう? ワニだって楽しそうだったじゃない」
「なんか……、サリちゃんに似てるんだけど……。あ、今は遥香ちゃんか。うん…。遥香ちゃんに似てる……」
サリは地面を見つめる。
「何が?」
遥香は深呼吸するように、鼻から息を吹き出して適当にきき返す。
「性格の事?」
サリはもじもじと頷いた。
「私? …それとも、賀喜さんって事?」
「そっち」
サリは上目遣いで答えた。
「話し方とかが、なんか似てる気がする……」
「別にいいじゃない……。何か問題があるの?」
そう言うと、遥香は感情的に、大きく整った瞳を細く歪めた。
「え、ちょっと待って……。それって、ちょっとぉ…。わざと何かを言いたいの?」
「ううん、…別に」
「ちょっと……、なんか傷ついてるんだけど私……。ねえ」
遥香はサリに自分を見つめさせる。彼女の顔が自分に向けられると、遥香は、それからまたゆっくりと表情をしかめていった。
「わざと? ……。それとも、それって天然? ……私が性格悪い、みたいに聞こえるんだけど……。はあ?」
サリはキツネ顔を困らせて、必死にあまり体験した事のない返答を探してみる。
「困ったらシカト?」
遥香は器用に、顔の原型を消した。しかし、まだどこかに可愛さが残っている。ぬいぐるみと違い、彼女の原型は強かった。
「性格悪いって私に言って、それで何を得するの? はっきり言うからには理由か何かあるんでしょう? ねえそうでしょう?」
サリは無表情で遥香を見る。
顔が呆然としていた。
「ちょっと、」