君に叱られた
遥香は一歩だけサリから離れる。
「殴ったら、絶交だからね……」
「殴らない殴らない」
サリはふっと肩の力を抜いた。その瞬間に表情もはっきりと戻る。
「わかった。じゃあ~……、また別々に、帰りの方法、きいてみよ? あ、それとぉ…、私、悪口のつもりじゃないから。私遥香ちゃんは好きだし。んふふ」
「ん~…、ならいいわ」
遥香は笑わずに、右の口元を引き上げた。
「はい、仲直り…。私もこれからは不要な体力を極力削減するから。そうね……、じゃあ、これからは私もワープの事だけを聞くから、賀喜さん……じゃなくて……、サリちゃんもそうしてね」
「はぁい」
サリは周囲を窺って、頷いた。
「わかった」
「それじゃ、お互いが見える範囲で、始めましょ」
遥香は辺りを見回した。動物のぬいぐるみ達は、前からも後ろからも歩いてくる。
「遥香ちゃん……」
サリが言った。
「ん?」
遥香は振り返る。
「なに?」
「やっぱり帰りたいもんね」
サリは微笑んでいた。
遥香は、ぬいぐるみ達の方に顔を戻す。
「ええ」
「がんばって帰ろう?」
「うん……」
遥香は前に歩き出す。
「一緒にね……。科学室のクーラーもつけっぱなしだし、早く帰らなくちゃ」
「うん! うふふ」
サリは、なるだけ明るい笑顔を心掛けて、首を横に振った。
「じゃあなんで何も言わないわけ?」
シマウマのぬいぐるみは興奮している。
「私がシマシマだからなめてる? 」
「そうじゃなくて、ただ、何を言おうかな、って迷ってただけだから」
サリは笑顔を浮かべる。
「シマウマは可愛いと思うよ? あ、間違った…。シマシマは可愛いと思う」
「わざと間違った?」
シマウマは大きな鼻から息を噴出する。大量の湿った二酸化炭素がサリの前髪を持ち上げた。
「シマウマは、とか言ったわね、あんた……。じゃあ馬はなんなのよ、私の価値はシマシマだけだって言うの? 私は列記とした馬なのよ? こんにゃろう……」
「ごめんなさい」
サリは丁寧に頭を下げる。
「馬さんも好きだし、シマウマさんも好きなの、ほんと。今の、ただちょっと間違えただけ、です。ごめんなさい」
「もっと謝罪しなさいよ……」
「ごめんね」
サリは微笑む。そして、また丁寧に頭を下げた。
「ごめんなさい……。もうしません…。んふふ」
「へらへらして…、何が楽しいわけ……」
シマウマは強烈に顔をしかめて、『ぶるるるぅ!』と唇(くちびる)を震わせた。
ぴちゃぴちゃぴちゃ、と、顔面にかかった唾に、サリはとっさに眼を瞑っていた。
「シマウマなめちゃダメよ? この街でシマウマって言えば、オシャレでクリスチャンで……」
シマウマは、サリの顔をまじまじと見る。
「何よ……」
ボコン、ボコン。
遥香は顔をしかめた。
「危険なんじゃないの?」
「危険だからって、行かないわけにはいかないんだろう?」
トラのぬいぐるみは表情を器用に豹変させながら言葉を続ける。
「帰るってのが…、ここじゃないんなら…、そ~んな世界と繋がっていそうな場所なんて、異世界しかないもんな」
トラがその身体を方向転換しそうだったので、遥香は次の言葉を急いだ。
一切の風が吹かぬぬいぐるみの街に、ガサリ……と、植物の崩れる音がすぐ近くからしていた。
「行っても……、だってウサギがいるんじゃないの?」
遥香は眉間を顰めてトラに言う。隣に葉っぱのクッキーを食べているサリが並んだ。しかし、遥香はサリを一瞥しただけで、次の言葉を急いだ。
「そこには凶悪なウサギがいるんでしょう? 人を消してしまうって、違う国で聞いたわ……」
サリは残りの葉っぱを口の中に入れて、トラの顔を呆然と見た。
トラは真顔で腕を組んでいる。
「噂だろう? 人を消すウサギなんて、俺なら信じないけどな」
トラはサリを一瞥する。
「キツネさんも信じないだろう?」
「ど~こがキツネだってんのよこのトラこうっ!」
どうしてか、遥香が興奮した。
トラは猛烈に顔をしかめて、遥香を威嚇(いかく)している。
「……ふぅー。キツネじゃないじゃない」
遥香は苦笑し、トラに可愛らしい笑顔を振りまいて、会話をやり直した。
「だってこの子…、超可愛いでしょどう見たって…。でしょ? どこがキツネ? 絶対違うじゃん…、ふふ、変なトラさんね~」
「顔が似てるんでしょ?」
サリは自分の顔を指差す。
「しばき倒すわよあんた!」
遥香が必死だったので、サリは何だかわからないが、笑った。
「違うよ、なんだよさっきから……」
トラは不機嫌に喉を唸らして遥香を睨んだ。太い指先の爪は、サリの顔を指差している。
「キツネはこっち……。別に、あんたは可愛いよ。こっちの顔をキツネって言ったんだ。なんであんたが騒ぐんだよ、あんたは可愛いって」
遥香はトラの顔を両手でがっしりと掴んだ。
「んむぶぅ!」
トラは驚いている。
「ん……むぅむぐぅ!」
遥香は両手で、トラの顔をせんべえのように潰している。
「やわらかいのね……」
遥香の顔に感情はなかった。あえていうならば、面倒臭そうにトラの顔を凹ましている。
行動の設定が施されていない為、トラはその間、ずっと悲鳴を上げているだけであった。
程よくそれにサリが大笑いした後で、二人は不愉快そうに帰っていったトラを笑顔で見送った。
名残惜しい街を、再度、眼に焼きつけるようにして、二人は歩く。擦れ違うぬいぐるみ達に声をかける事なく、二人はまっすぐに砂糖で造られている土の上を歩いた。
向かう先は、始まりの街――。そこに戻るまでに、ワープ現象が起こらなければ……。
次に向かう先は、この世界の住人に『異世界』と呼ばれた、最後の街になる。
それは部長が具現化した街である。
「お腹壊すわよ…。葉っぱなんて、美味しかったの?」
「あー意外と? 美味しかったかもーんふふ。甘かった」
「ふぅ~ん……。お土産に、持って帰れたらいいのに」
「あー、ねー!」
それは、冒険家がこぞって訪れる、陽の光が存在しない街。
始まりの街から延びた、急激に黒ずんだ大地。
それは最果ての土地。
「絶対に誰にも話しかけちゃダメよ?」
遥香は、行きがけに取ったクッキーの葉っぱを口に入れながら言う。
「ウサギにも、街の人間にも、絶対に話しかけちゃダメ」
「ほ~い」
サリは小さく手を上げた。
「うふふ、あのさ、でも、始まりの街に行ったら、洋服屋さんにちょっと寄り道しようね?」
「着替えなんてたぶん無理よ?」
「見るだけ。アニメのコスとか、あるかもしれないし」
「まあ…、いいわ」
その国に入国したならば、武器を装備しなければならない。
その街で会話とされるそれは、全て強さの象徴である。
部長の国。――弱者が脚を踏み入れてはならない街。眼を逸らしてはいけない街。気を抜いてはいけない街。
異世界と呼ばれる暗黒の大地。多くの事柄は不明とされている。国々を代表する腕自慢の冒険者達が集まっている。冒険者達との会話により、多数のイベントが発生する。
イベントが発生した場合、それを消化するまでは、全てのコマンドは一時停止される。その間は、ゲーム世界の何処へ行こうとも、誰とも会話を楽しむ事はできない。