君に叱られた
「あの子は、カッキーーーン‼ ってやるのよおっ!」
サリはその説明の時だけ『カッキーーーン‼』と絶妙な笑顔で、片腕を斜め上へ伸ばし、もう片方の片腕を曲げて、脚も片足だけ曲げ、ウサイン・ボルトのような、弓を引くような決めポーズを作っていた。
村瀬は大笑いしている。
「ちょっとあんたねえ!」
「ほら、いつまでやってんだ」
その声に振り返ってみると、部長が呆れた顔で腰に手を当てて四人を待っていた。
「もうとっくに部員なんていないよ、いつまで壁にはりついてんだ」
部長はそのまま言葉を続けながら、部室のドアを開いた。
「嘉喜~、ちょっと僕の席に来てくれるぅ?」
四人は呆然と壁に突っ立ったままで部室の中を見つめる。科学部の部屋は廊下の突き当りにある為、現在そこには四人の姿しかない。四人は固まり合って窮屈に壁に背を張りついているが、廊下の遠くの方に生徒たちの影があるだけで、その廊下のスペースは実に広々としていた。
「ねえねえ、今日って誰からだあ?」
「俺今日も一番がいいな~」
「ズルい、僕と部長だね」
三人は科学部の部室の中に上履きを脱ぎ散らかしてずかずかと入っていく。慣れた手つきで上履きを拾い上げ、開放的な靴下でグレーの絨毯に乗り上げていた。
サリは深い溜息を吐き落としてから、やむなく、自分も部室の中へと入る事を決意した。嘉喜遥香の事は、仕方がないと理解する。しかし胸に湧き上がってくる不快感が、これからの素晴らしい時間を緊張を要する物へと変えてしまっていた。
しかし、上履きを脱ぎ、白いハイソックス姿になると、ス~……と、つま先に涼しげな科学室の冷房が吹きかかり、不思議と開放的な気分が蘇ってくる。
そのままいつものように、パソコンが陳列された三列のデスク列を見渡してみる。パソコンはどれも電源が落とされている。そして、もう誰もそのデスクには座っていない。
科学室、という学校の中では最も綺麗に清潔に、そして新鮮な空気に整えられた教室を、白いハイソックスで歩く。
タイル床ではなく、グレーの絨毯を、靴下で歩く。――この真夏の最中、冷房でキンキンに冷えたコンピューター・ルームを、セーラー服のままで自由に使うのだ。しかも、それは現在ここに残っている六人だけで独占する。
部長のデスクに集まる五人に、サリが合流した頃、サリの顔にはいつもの笑顔が浮かんでいた。
それはまるでキツネがステーキの載った皿でも発見したかのような、この時間始まって以来、一度も崩れる事のなかった完璧なキツネの笑顔であった。
4
「え?」
遥香は、顔を上げる。そこにはパソコン画面を覗いている部長の顔があった。
「私が……、え、私が、ゲームの中に入るんですか?」
遥香は部長のデスクに座っている。そこで遥香を囲うようにパソコン画面を覗いている五人を、きょとんと振り返っていた。
「ゲームの中に入る…、というか、入れば、必ず楽しめる」
部長は、うんむ、と真剣に頷いた。
「部長は説明がへったくそなんだよ」
村瀬が文句を言った。
遥香は大きくつぶらな瞳をそのままに、呆然と五人を見つめている。口が少しあいていた。
僕が説明しますよ。――そう言って、メガキンが遥香の前に立った。
遥香は、わけもわからずに、ぺこり、とお辞儀をした。
「僕らは科学部の部員だ。嘉喜さんもそうだよね」
「はぁい……」
「僕らは科学が好きだよね?」
「……」
「あれ?」
メガキンは、メガネの奥の大きな瞳を、よりいっそう大きくした。
「科学は好きでしょう?」
遥香は少し困ったようにメガキンの顔を凝視してから『はい、まあ…』と小さく頷いた。
「この子は科学なんて興味ないわよ」
サリがそっぽを向きながら淡々としゃべり始めた。
「この子は科学部を、『かやく部』と勘違いして入部したって、水島さんから聞いたわ。花火を楽しむ部活だと思ったんでしょ?」
遥香はくすくすと笑ったが、やがて、サリのその笑っていない真顔に気がついて、笑うのをやめた。
「花火する部活なんて……っは、本当にあると思ったの?」
「……あ、はい」
遥香は正直に頷いた。苦笑しながらサリを凝視している。
「な、何よ……」サリは少しだけ怯えた。
「説明を続けてもいいかな?」
メガキンが場を仕切り直す。低い位置に皆の視線が移動した。
「僕らはね……いや、ここに集まった五人の部員はね、みんな、科学を好きなんだ。でも、それよりももっと好きな物があった。偶然にそれが同じ物だったんだよ」
「ゲームとかさぁ~」フトルが嬉しそうに呟いた。
遥香は椅子に座ったまま、呆然とフトルの顔を見つめる。しかしすぐにメガキンがフトルの腹を触ったので、すにまた、遥香はメガキンの顔を見た。
「待ってょフトル……、僕が話しちゃうからさ。――それは、ゲーム、という物だったんだ。部長がゲームを制作してる事は知ってるよね?」
メガキンがそう言うと、遥香は頷いて、続いて部長が遥香に頷いた。
メガキンは説明を続ける。
「部長のゲームでこの五人は自然と集まったんだ。そして、それからさ、もう一つ、夢……と言うのかな。僕達は共通的に同じ事が好きなんだと知ったんだ」
遥香は真剣にメガキンを見つめている。長いまつ毛がゆっくりと、何度か瞬きをした。
「嘉喜さんはさ、夢のある話って、好きでしょ?」
メガキンが言った。
遥香は真剣だが、どこか呆然と笑顔を浮かべてメガキンを見つめ返している。
部員達は黙って遥香に注目していた。
メガキンはすっと、メガネの位置を直した。
遥香は瞬きを忘れたまま、じっとメガキンを見つめている。
「あなた……」
サリが耐え切れずに言った。
「ごめん、寝てました…、とか言わないでよ? ちゃんと起きてるの?」
遥香は『え?』と苦笑で素早くサリを見てから、また素早くメガキンを見た。その時にサリは『うっ』と言っている。
「え、え夢? ですか? ……」
遥香は疑問の表情を浮かべた。しかし、疑問の表情でさえ遥香の顔は美しい。
「夢ってなんですか?」
「ぶっちゃけた方が早いって」
村瀬がその性格と同じように簡単に言った。
「不思議だよ不思議、嘉喜ってパソコンになんか可愛い異世界作ってんじゃん。あんな異世界が好きなんだろ? 文ストとヒロアカが一緒に生活する世界なんて、実際ないんだから。夢見ないとそんなん作らないだろ」
「あぁ~……」
遥香はそう言ったまま、しばらく俯いて考え始める。困った村瀬がまたしゃべり始める。
「かってに見たのは悪いけどさ、違うんだよ嘉喜、あのさ、俺も大好きなんだ」
遥香はふっと、顔を俯けたままで眼に微かな力を入れた。耳が自然と反応している。
漫画やアニメのような、創作の世界が……、大好き?
遥香は顔を上げる。
「俺達はさ、昔っから~…なんだ? 絵本の世界? とかさ、例えば好きなキャラが冒険するゲームの世界とかさ、そんな世界に憧れてたんだよ」
村瀬のがりがりに痩せ細った顔は、実に新鮮な笑顔を作っていた。遥香はそれを初めて見る。
村瀬は言う。
「この時間は、そういう時間なんだよな?」