君に叱られた
「服の色がさあ、急に、え、青から赤に? って、急に変わったからさぁ、あ、なんか変わった、戻ったかも、て一瞬で思ったよね。あだからさぁ、あのままウサギにさわんなくてもさぁ、たぶんうちら帰ってこれてたよね?」
サリはくすくすと笑みをこぼして聞いていた。
「あ…、でもぉやっぱりぃ……」
遥香はくるっと、サリを見て微笑んだ。
「ウサギが消すって、サリちゃんの街で聞いたもんねぇ? あぁ~…じゃあ、やっぱり、ウサギで帰ってこれたのかなぁ~……」
「いいわねぇ~…」
サリは悔しそうに言った。
「私も五分でいいから、理想の街で遊んでみたかったなぁ」
遥香はくすりと笑った。
「クッション、食べちゃってごめんね。うふふ、お腹、すいてたから。んふふ」
「ふふふ、どういう謝罪なのよ、それ」
「あっはは」
「クッションを食べたの?」
サリは細い眼を糸にして遥香を見た。
「んっふ。それで、私はなんて言ってた?」
「……あ、なんて言ったんだっけ?」
遥香は小首を傾げた。
「私は知らないわよ」
サリは苦笑する。
遥香は歩いていた脚を止めて、不思議そうに振り返ったサリに、視線を凝視させた。
セミの鳴き声が、ミイン、ミイン、と夏の光線をいっそう際立たせていた。
サリは眩しそうに、こちらに振り返っている。
「どうしたの?」
「遥香ちゃん……」
「え?」
「………」
遥香は、サリの隣に急いで並んだ。
「何も憶えてないの?」
また、二人は歩き始める。――少し先を行ったところでは、四人の滅裂な歌声がエコ問題を明るくラップしていた。
「え、何も憶えてない?」
遥香は必死になっていた。
「な~に言ってんの、まさかとは思ったけど……」
サリは更に、落ち着いた苦笑で遥香に微笑んだ。
「あれはヘルメットの故障で、少しだけ眩暈(めまい)がしたり、気が遠くなったりしてるの。賀喜さんはそれに敏感だったのよ。寝てたの、……気絶か」
サリは遥香に微笑んでいる。――その当たり前のような微笑みに、遥香は急激である不安を、もう受け入れようとしていた。
それは、やはり儚(はかな)い夢だったのであろうか……。
「でも、向こうでは、ちゃんと私になったんでしょ?」
サリが機嫌良さそうに言った。
遥香は、サリに顔を向ける。
「え?」
自分をにこやかに見つめていたサリに、遥香は、気持ちを慰(なぐさ)めるように、頷いた。
「うん……」
「信じるわ」
サリは優しく言った。
「賀喜さんが異世界を好きだって事も、私と旅をしたって事も…。そんなに真剣になって、嘘なんか誰もつかないもん」
「うん」
遥香は、頷いた。
どうしようもなく、じわっと沁みる、胸が張り裂けそうな温かな快感を感じていた。――それは間違う事もなく、人生で初めて体験する、果てしない大冒険だった。
驚きの連続で、計り知れない程に楽しくって、それはとてもとても恐ろしかった。
いつも時も、隣にいてくれたよね。あんなに楽しかったのも、不思議だったのも、怖かったのも、初めてだよ。理想の国々を巡る旅の中で、お互いを交換したんだよね。まるで、それは誰にも信じられないぐらい、嘘みたいな本当の、夢の中の物語。
旅をしたよね。ずっと隣を歩いてくれたよね。いつも怒ってばっかりで。腹を立ててばっかりで。気性が荒くって。気難しくって。怒られてばっかりの私を、命を懸けて守ろうとして………――。
どうして?
へまばっかりしてたのに。
いう事もきかなかったよね。
ごめんね。
ありがとう。
命を懸けた私達の大冒険は、私が見ただけの、ただの夢だったのか……。
それでもね。
楽しかったんだ。
サリちゃん。
大好きだよ。
「何度も…、何度もね……、サリちゃんには、……ううん。遥香ちゃんには、叱られたの……。それでも、私を…、許してくれて」
「叱るでしょうねぇ……。あなたと冒険するんなら、そりゃ一度や二度と言わずに、叱るタイミングは多いはずよ」
「また叱って……」
遥香は、涙ぐんで、微笑んだ。
「何よそれ……」
「ちゃんと叱って」
「えぇ?」
「素直に聞けるから」
ぽろり――と、遥香の瞳から、大粒の涙が落ちていった。
「何よ、それ……。ふふ、わかったわ。叱ってあげる」
「んふふふ」
住宅街を歩く時間、その時間の中だけは、確かに、瞬間瞬間を使って、自分の何かが、学校へとサリを誘ったあの時間を間近に感じさせている。それから、すぐに学校内の時間、科学室の時間。――そして、今の時間に繋がっている。
あの世界、あの国々で過ごした時間は、何日間だったのか、それとも何時間だったのか。それは全く考える余地もない。一体それがどんな体験で、どんな感覚であったのかという事だけを覚えている。
サリになっていた、異世界の体験……。
それは科学室への帰還で、ほんの数分であった事がわかった。始めから、すぐに自分達は気絶してしまい、そして、部長達が来てくれた。
サリが眼を覚まし、自分が次に眼を覚ました。
サリが行き、自分が行った。
自分はサリで、彼女は遥香であった。
遥香がいて、自分がいたのであった……。
「楽しかった……ね?」
遥香の瞳には、笑顔と一緒に、涙が浮かんでいた。
「……。ええ」
サリは戸惑った表情をやめ、遥香に、そう、優しい微笑みを返した。
「怖かったねぇ~……っふふ」
遥香はごしごしと、滲んだ涙を手でこすった。
「すっっっごい…、楽しかった……。でも、ちょっとだけ、ふふん、怖かったんだよ?」
「ええ」
サリは遥香に頷いた。
「そうでしょうね。聞かせて」
遥香は大きく頷き、満面の笑みで、何からサリに話そうかと、とても不思議であったあの時間の事を考え始めた。
少しだけ寂しい気持ちは何処かへと隠れてしまい、それは、サリの笑顔と、夏の象徴的なミイン、ミイン、の鳴き声で水色に透き通った。
自分が隣で微笑んでいる。
自分も、自分に微笑んでいるのであった。
それが自分であったのだと、隣の自分は何も知らない。
爽やかな夏休みの一日目。ゲームセンターへと向かう遥香の脚取りは、もう、それを素直に受け入れていた。
「あ~あっちぃ……。ゲーセンにジュースってあったっけ?」
「心配するとこが違うんだよお前は~」
「この場合は先生の見回りだよ」
「ははは、販売機があるよ、たぶん」
今は、これから六人で向かう新しい一日(いせかい)が、楽しいのであった。
「あのねえ、ソフトクリームの子とか、あのぉー、あのね、ショートケーキちゃんとかがいてえ」
「うん、うふふ」
「お~い、女だけで別行動すんなよな~」
「置いてきますよ~」
「部長がアイスおごってくれるってさ~」
「嘘だぞ~~!」
「あはは、行こっ」
遥香は、サリの手を引っ張った。
「あっ……」
サリは、少しだけ慌ててから、溜息をついて、笑った。
「びっくりするじゃない……」
遥香は、にっこり、と笑った。
たぶん、それは遥香だけにしか、わからない。
「ぼよよ~ん……」
「ん?」
「ううん、あははは」
「変な子ねぇ……」
「変でいいもぉ~んだ、んふふ」
四人は騒がしく路上で待っている。遥香と遥香は、繋ぐ事のなかったその手を繋ぎ合って、その路を走り出した。