君に叱られた
横からひょいと現れた赤いリボンの女の子にぶつかってしまったのであった。それは頭の上に『HA』というマークが浮かんだ、サリの動かしている女の子である。
「やだ…、ちょっと、じゃなくて……。――もう、急にびっくりした~。も~、急にぶつからないでよ~うふふふふ~」
サリの声が聞こえた。――遥香も急いで声を返す。もちろん、ゲーム画面を見つめながら。
「ごめんなさい、まだよくわかってなくて……」
遥香は……ん?――とゲーム画面を見つめた。
ゲーム画面では、自分の周りを、赤いリボンの女の子がぐるぐると歩いていた。これでは、動けない……。
このまま女の子を動かせば、また赤いリボンの女の子とぶつかってしまう。
遥香は、困った。
「あの~……」
「うふふ~……、閉じ込めた! もうあんたはここから出られないわよ!」
サリの陽気な声が聞こえた。
「え?」
閉じ込めた、と言われたので、遥香は女の子を前に動かしてみる。――すると、女の子が赤いリボンの女の子とぶつかって、また『ドボ~ン♪』という可笑しな音がヘルメットの中に鳴り響いた。ゲーム画面では二人の女の子がひっくり返って、二、三秒の間、ピコピコと両脚をもがいていた。
「あぁ……」
「痛ったいじゃないの!」
「あ……あは、ごめん。んふふ」
「やったわね~!」
遥香は起き上がった女の子を走らせた。どうやら、深くコントローラーを倒し込むとキャラクターが走るらしい。――後ろからは赤いリボンの女の子、つまりは、サリが追いかけてきている。
「待ちなさいよぉ~~!」
「嫌ぁ~だよぉ~」
横から響くサリの声と、ゲーム画面の自分を追ってくる赤いリボンの女の子が、一つに思えてくる。
それがサリなのだと、徐々にそんな楽しい感覚が遥香に始まってくると、遥香は己でも気づかぬうちに、大声で笑い、叫んでいた。
「あ、あ、あ、あーちょっと待ってよだあって~、汐崎さんがぐ~るぐるっや、ああ!」
「あああ!」
ドボ~ン♪
「あっはは、んっふふ!」
「体当たりばっかりしてぇ~……もぉ~お!」
二人の女子部員達から少し離れた場所に、この四人は立っている。
「どうやら、楽しさの第一段階を知ったみたいだな」
部長は遥香達のゲーム画面を遠目に眺めて、ゆるく微笑んだ。
「嘉喜はハマるよ。心が純粋なんだよ、あの子」
「部長って確か……、嘉喜の入部当時にさ、フラれたよなあ?」
村瀬はにやけて腕を組む。
「フラれといて、よっくまた引き抜いたな~……。鋼のハートかよ」
「あれ、それって実話なんだ?」
メガキンはそう言って部長の顔を覗き込む。
「本当だったんですか?」
「うるさい……。そんなの、もう関係ないだろ」
部長は不愉快そうに眉毛を怒らせる。
「古い話じゃないか」
「よくさあ、嘉喜さん、普通にしてられるよな~……。思いません?」
メガキンは感心ながら嘉喜遥香の背中を見つめた。フトルはメガキンの横でポテトチップスをボリバリと食べながら『あはっはあ』と遠くの二人を見て笑っている。
遥香とサリの二人は、背中を、びくん、びくん、と激しく反応させながら『きゃあキャア』と騒ぎ散らしていた。
「手紙だったんだよ……」
「あ~、そうか……。なるほど、手紙ですかぁ」
メガキンは、メガネを押さえて部長の顔を見上げた。
「それで気づいてないんですね、嘉喜さんは」
「部長の本名は言わない方がいいっすね?」
村瀬はそう言って笑った。
「モテるからな」
部長はすでに笑っていなかった。
「うちの部でも、僕の他に八人告白して、ダメだったんだよ、うん。――その話はもうやめよう」
村瀬がつり眼を笑わせて言う。
「はは……。サリ、なんかすっげえ嬉しそうなんだけど」
フトルも微笑んで呟く。
「俺とやった時はあ、笑ってなかったもんなあ。嘉喜さんがいるからだよぅ」
「彼女にもさ、奇跡が起こってくれるといいよね」
メガキンが言う。
「サリにもすぐに起こったし」
「起こるよ、きっと起こる。異世界が本当に好きだった奴に、奇跡は起こったんだから」
四人はそう言った部長の顔に、にこり、とそれぞれが個性的な笑みを返した。
「あんなに始めから楽しそうに騒いだ奴は、この中でサリだけだよ」
部長は糸のような細い眼で、ゆるく微笑んでいた。
「嘉喜は、あの時のサリにそっくりだ」
6
賀喜遥香はゆっくりとベッドに腰を下ろした。夕食を食べ終わったばかりなので、まだすぐには身体が動きたくないと訴えている。一日の疲労から呆然とするのか、はたまた今日の分の電池が切れてしまったのか、遥香はただじっと、棚の上に並ぶ三体のシマエナガのぬいぐるみを眺めていた。
見つめられているシマエナガのぬいぐるみはドキドキしているかもしれない。賀喜遥香本人としては、そんなつもりは毛頭ないのだろう。しかし嘉喜遥香の視線は恋のレーザー光線と言える。その視線を三秒以上貰い続ければ、たちまちに彼女の虜(とりこ)となってしまう事は否めない。
しかし、やはり遥香には、そんなつもりはなかった。――現在、彼女は考えているのである。満腹感を無効化してしまう程に、必死に、そして呆然と顔の表情筋を奪ってしまう程に、深く、遥香は部活での出来事を思い返していた。
「や………」
遥香が気がついた時には、その不可思議な現象はすでに終わっていた。
そして、耳に戻ってきた部員達の声が、大喜びでその現象を賛美していたのである。
遥香はすぐにヘルメットを脱いだ。
「…え……」
そしてそのまま、呆然と部員達を見つめた。
「やったな!」
「あっはぁあはあは、やっぱり凄いゲームなんだあ」
村瀬とフトルが異常に興奮していた。
そして、遥香が何か一言を口にする間もなく、すぐに部長が遥香に歩み寄ってきたのであった。
「今、何か気の遠くなるような、変な感じがしなかった?」
遥香は少し興奮したまま、そのままで、ゆっくりと、何度か深呼吸をして、大きな瞬きをした。返答する為の声を忘れているのか、遥香は答えない。
顕在的に整った顔つきは変わらなかったが、鼻と口から同時に呼吸しており、開いたままになった口が、遥香のそれを全て物語っていた。
「ゲームの世界にさ、一瞬だけワープしたような気になれたろ?」
部長は細い眼を見開いて興奮している。
「凄いなあっ、あっはは、ははは、僕達は相当かかったんだよ、でも嘉喜とサリは一発だよ、ああ、サリも一発でワープしたんだ」
部長が似合わない興奮口調でしゃべりたてている。一体何を語っているのか、先程までの遥香ならば一切わからなかっただろう。しかし、今となっては、それを理解してしまう自分がいる。
何を興奮しているのか。まだ自分は何も言っていないのに、どうしてそんなに喜んでいるのか。
ワープがどうのこうのと説明している部員達。
だいぶ興奮している。
部長が興奮して語っているのは、遥香の事であった。
「え、あの、馬? 馬が…、あの、ぶつかったら、しゃべってきたんです。あ、違うな」
遥香は、なんとかで言葉を探そうとする。
「説明なんていらないぜ?」
「いや、うん。一応聞こう」
部長は村瀬に微笑んで言った。
「どんな体験をしたかな?」