新しい世界
絢音の初言に、堀が威勢の良いところをみせた。絢音の隣に座っている子供は、落ち着いた表情で堀の顔を観察している。
鈴木絢音と新内眞衣の二人は『リセット・プログラム』の講習会を経て、その流れで偶然にこのレストランへと訪れていた。しかし、それはあくまでも堀に与えた絢音の説明であり、事実上は、堀の自宅付近であるこのレストランを目指して、絢音が車を運転してきたのである。新内眞衣は、この日は愛車を運転していなかった。堀の地元神奈川で開かれる『リセット・プログラム』への参加を絢音から求められ、電車で遥々と、そうしてこの神奈川の地に脚を運んできたのであった。
「でぇ、そっちの子は、絢音の息子?」
堀は煙草に火を灯しながら、正面の子供を一瞥した。子供は堀に会釈を返していた。
「あらぁ、そんなふうに見えます?」
絢音は表情を整頓させて、あごの角度を上げてみせた。
「見えるから言ってんじゃない」
堀は一口目の煙を、口を右隅に寄せ、新内の方に吐き出した。
「親子でも、もう可笑しくない歳なんでしょうよ」
堀は横の新内に相槌を求める。
「なあ?」
しかし、新内は鼻を鳴らして煙草を用意していた。
「残念ですけど、この子は私の息子じゃありません」
「へえへえ、だからどこのご子息で?」堀が即す。
絢音は短く、完結にこの子供を堀に紹介した。
安房(やすふさ)ジュン。名前の方はカタカナ表記との事で、年齢はまだ十五歳との事だった。学年はどうかわからないが、年齢だけ見るなら葵の五つ上か、と堀はまじまじと少年の顔を観察する。
「日吉(ひよし)に住んでるんだって、あのぅ、最近建ったばっかりの、高層マンション」
新内が堀に言った。
「日吉か、近いな……。じゃ、うちのとは出身校が違うわね」
堀はそこで、新内に眉を顰めた。
「なんで大倉山(おおくらやま)まで食事に来たのよ?」
「ドライブついでのお食事だと、先ほど説明したじゃないですか」
絢音のそつない口調に、堀は顔をしかめてから、あきらめたように表情を大人しくさせた。
安房ジュンはインターネットでの『リセット・プログラム』では『七氏』というハンドル・ネームで知られる常連で、どうやら度々ネットに現れては、絢音とチャットを通して交し合っているとの事だった。『リセット・プログラム』が主催している講習会は三ヶ月に一度、実年齢の低い講習生徒を迎える為に時間帯が計算してある。本日がその日であり、そしてこの安房ジュンが今回の講習会で唯一の十代であったらしい。
「でぇ、なんで一緒にお食事?」
堀は煙草を灰皿でもみ消し、眼を擦りながらもごもごと言った。
「講習会じゃ不満足だった? まぁ当たり前ね、講師がひょろっこじゃあ眠い眼を腫らすだけ」
「失礼ですね、相も変わらず」
絢音は瞼(まぶた)を綺麗に細かく瞬かせた。
「満足ついでのお食事だと理解して頂ければ、光栄ですけれど」
「そうでございますか」
「まあまあ、ジュン君の手前、見苦しいのは遠慮してね」
新内が堀の背を軽く撫でて言った。
「いやね、本当に満足ついでなの。講習会ではジュン君が挙手を連発してねぇ、十代代表としての真に迫った意見を聞かせてくれたの。ね?」
「ほう」堀は鼻をすする。
「いい機会だったから、本当にただ、講習会を終えて食事会に流れ込んだわけよ」
「満足ついで、というポイントをお忘れなく、警部さん」
堀は――口の減らない女ね――と思わず漏らしそうになったが、これは本当に眼の前の十五歳を手前に呑み込んだ。実際に口を飛び出したのは、中途半端に「口」という裸の単語だけである。
「ジュン君は中学三年生で、うちのより四つ年上だから、葵ちゃんの五つ上よね、どう未央奈、こんなチャンスはそうほいほいとは無いよぉ?」
「それって、どんなチャンスよ?」
堀は鋭い座視で新内を捉えた。
「少年犯罪は十代と共にあるんだから、いくら刑事課の名物女って言っても、生の少年と言葉を交わし合える機会なんて全く無いでしょう?」
新内は堀にうむと頷いた。
「そういう、チャンスよね」
――なるほどねえ――と、堀は今度、その座視を正面の絢音に向けた。
「現状的な話を聞かせてもらえる事は、私にも、警部さんにも、とても為になると思ってお呼びしたのですけど……」
と、口調に気を配っていた絢音は、それから言葉を濁して、新内の顔をちらりと一瞥していた。
「何よ」堀は面倒そうに溜息をついた。
「ええ…、そちらのテーブルでお見受けしてしまったので、そういった経緯で、お声を掛けたつもりだったのです…けど」
絢音は新内にSOSの視線を送る。
「葵ちゃんが見えなかったのよ、あんたの華奢な図体で」
新内は眉根を搔いて、淡々とそう言った。
「邪魔じゃなかったかって、そういう意味よね」
堀は――ああぁ――と短い声を漏らして、座視に冷笑を浮かべた顔を、ここまでの間、終始緊張気味であった安房ジュンに向けて言う。
「おい坊主、坂道グループのぉ、乃木坂46ってぇ、知ってる?」
安房ジュンが返答するまでに、数秒間の沈黙が停滞した。その間は誰も声を発していない。
「えっとぉ…、齋藤飛鳥、ですか?」
「んあぁ?」
堀は横の新内を一瞥してから、忙しくその視線を、今度は正面で微笑んでいる絢音へと向けた。そのまま眼忙(めまぐる)しく、また安房ジュンに顔を戻した。
「いやぁ、乃木坂46ね。睨めっこしましょ、ぶっちゅっちゅうだか、あなたのハートにずぎゃおん、だかは知らないけど、乃木坂46は知らないの?」
渋茶をすすったような困り果てた顔で首を傾げたジュンに、絢音がぽんと肩を叩いて苦笑した。安房ジュンは、絢音の顔を見る。
「あってます…よねえ?」
「あってるあってる、ちゃんとあってる」
絢音は三角形に変形した眼で、しかめづらの堀に手を軽く叩いてみせた。つまり、拍手である。
「乃木坂46であってますね。睨めっこしましょう、は、あっしゅしゅ~、で、あなたのハートには、ずっきゅん、です。全くぶっちゅっちゅうでもずぎゃおんでも無いけれど、良い線はいってましたよ警部さん。まあ、睨めっこでぶっちゅうされたら害悪ですし、ハートにずぎゃおん、だと撃ち殺してますけどね」
堀は無言で次の煙草を要し始めた。
「けっきょく乃木坂のライブには連れて行ってあげたの?」
堀は煙草を唇に咥えて――んん――と片言で答えた。絢音が――それがどうかしました?――と言葉を進めると、堀は擦ったマッチの火を煙に変えて、口からも煙を吐き出しながらジュンに言う。
「坊主は、何か趣味とかあるの? うちの娘は乃木坂が趣味なんだけど」
「趣味はぁ…、ゲーム…とか、です」
ツーブロックのマッシュ、というネーミングで流行っている髪型が、堀の言葉で、少しだけ俯いた。堀は――う~ん――と頷いた。絢音と新内は暗黙の了解で言葉を遠慮している。先ほどの会話通り、それは堀にとってが、最も貴重な機会と成り得るのである。
「ゲームか……そう、感心しないわね」
沈黙が返ってくる。
「どんなゲーム?」
少しだけ堀を上目遣いで窺い、ジュンは言葉を探す素振りを開始させた。
「パソコン? ゲームキューブか?」
「プレステ……」