新しい世界
何度か頷いて、ジュンはまた口を閉じた。堀の事はしゃべるタイミングに一度しか一瞥しない。
たまらずに新内が――お前なぁ、今どきゲームキューブは――と言ったが、堀の「うっさい」にすぐに掻き消されてしまった。
「パソコンはどう? しないの? 今はそれが流行ってるんでしょう? え?」
「流行って…あぁ、どうだるなぁ」
「え、違うの?」
「ちょっと警部さん、態度が威圧的になっていますけど」
「そうお?」堀は煙草を口から離す。
「そうよ」
新内が肩を竦める仕草をみせて、堀に言う。
「肩の力を抜きなさいよ、もっとこう。取り調べじゃないんだからさ」
「ん……まあね」
堀はそう言われて、煙草を灰皿に置き直してから、文字通り肩の力を無くして、安房ジュンに眉を持ち上げて笑みを浮かべた。
「坊主のゲームは、誰が買ったんだ?」
絢音は堀のその柔らかい問いに、軽く頷きをした。
「それは、親です」
「兄弟と一緒になって、そのゲームをやってるの? 取り合って」
「いえ、兄弟はいないんで」
「坊主は、一人っ子か?」
「はい」
「そうか」
堀の単独的な質問はそれで終わった。その後は新内がその場の空気を開始点にまで戻し、やがて並べられた注文の料理を賞味しながらの、緩い会話の時間が流れた。
本日の講習会においての『リセット・プログラム』の内容は、まさに『少年犯罪の本質』という議題であった。例によってジュンの意見が重宝された事は、先刻絢音の口から語られた通りである。
「年齢の大小は関係ない、そういう意見は、大人からは中々出てこないよね」
新内はテーブルに腕を組んで悠々と言う。彼女だけがコーヒーのみの注文となっていた。
「いや、十五歳でたいした達観だよ、いや勉強になる」
「ストレスの蓄積、とか、そういう事が犯罪を促すとしたら、僕らにも、ストレスって結構あるんです」
「会場では言わなかったけど、例を挙げてと言ったら、挙げられるかしら」
ジュンは一度絢音の顔を窺ってから、口を閉じて無言の自己問答を始めた。
「新内さんと警部さんは、ちゃんとその辺を理解してあげられてるのかしら?」
「難しいところね、私は」新内は素直に苦笑した。「接点がどうしても持てないの、反抗期からなのかな。いつからか、どうもそういうのが苦手になってね」
「そういうのとは?」
「部屋に籠もるからねぇ、まずは部屋に入らないと、話が出来ないでしょう? それがどうもね、母親がノックすると帰ってくる声の反応が違うのよね。ドアを挟んで娘の顔が想像できるからなぁ、中々どうして……」
新内は正面に向き直り、眉を柔らかく持ち上げた。
「どうなの? その年代はどんなストレスを抱えてるのかなぁ?」
ジュンが待っていたかのように首を上げた。――堀も先刻からずっと黙って煙草をふかしている。否、無論、ただふかしているわけではないが。
「フラストレーションっていうのか、その人によってまちまちだと思うんですけど、大抵は受験勉強のストレスとか……」
「対象を人間にしたらどうよ?」
久しぶりに堀が言った。
「溜まったストレスで、誰をムカつく?」
ジュンは少し怯えた様子で、真っ直ぐに堀を捉えていた。――絢音も新内も、堀への一瞥を済ますジュンを見る。
「………」
計り知れない期待が自分に向けられていると悟ったのか、ジュンは首を俯けて、また無言の問答を始めてしまった。
「私は昔よく母親と喧嘩したな」新内は思い出し笑いをこぼす。「兄弟がいないんじゃあ、やっぱり親に向かうのかな?」
「あんたんちぐらいでしょうよぉ、何年も反抗期散らかしてんのは」
「あら、しっかりとした反抗期を消化しない事にも、問題はありますけど?」絢音が清まして言った。「私は反抗期はありませんでした。私の場合はまあ例外ですね」
「何なのよ、あんた達は、いま私が坊主と話してんのよ」
堀は――ったく――と呟いて、眉間の皺を解いてから、ジュンに――ん?――とひたいの皺をみせた。
「親…というか、そうですね」
ジュンは苦笑に近い顔で、唇の筋肉を器用に変形させていた。
「ストレスって、溜まったらそのまんまなんで…解消で気ない限りは、身近な人に反発するんだと思います」
「友達同士ではどう?」
「は、僕はないですけど。でも、そういう人も絶対にいますね」
「身近な人間、やっぱり、一番心を許し合った人間が対象になるのかなぁ?」
新内が絢音に言った。
「そうですね、親は絶対の存在ですから、子供である限りは一目置いた意見が、最もな影響力ですから、ええ、反発というよりは一番拘(こだわ)ってしまう対象にはなります」
そこでジュンが何かを言おうとしたが、一足先に言葉を発したのは堀であった。
「なんであんたはそう決めつけたがんの、親ってのは逆らえないもんでしょう、拘りがどうってのはただの女の意見じゃない」
「あら、そうかしら」絢音は涼しい顔で口を動かした。
「親にストレスぶつけるとは決まってないのよ、身近な対象って言ってるんだから、そこに親がいて当たり前なの、価値観だかカチカチ山だかぁ知らないけどねえ、いっつもあんたが眼の前のガキに諭してそうなっちゃうんじゃないの、それでまた」
さんざんになりそうであった堀の暴走を、新内が――まあまあまあまあ――とお、うまい具合にいなした。
「具体的には、親とそうなったらさあ、ジュン君ならどうする? うちもそうなんだけどさ、親の意見と全く違う意見を持ってるのよね」
新内は肩を竦めて説明する。苦労を意識した表情と表現は、そのテーブルに不釣り合いな道化師のようであった。
「家族が集合する時間が必要だと思うから、私は八時までは全員が揃うリビングで過ごせって娘に言うのね。でも、娘はそんな必要ないって言うんだな。部屋にテレビもあるし、そもそも携帯いじるのに場所は関係ないって。部屋があるんだからそっちで過ごすのは当たり前だって」
「だいたい、子供部屋に専用のテレビを置いとくのがそもそもよ」
「いやさ、テレビなんかはもう買ってやんないと駄目なのよ、ね?」
新内はジュンを見る。
ジュンは――そうですねぇ――と含み笑いで即答した。
「リビングにいる時と、部屋に籠もる時があるんだな。家族で揃っていたい時間なんて、娘が学生でいるうちぐらいなんだから、親が指定した時間ぐらいは居てほしいんだけどね」
「あの、質問してもいいですか?」
そのジュンの声には、すぐに――うん、いいよ――という新内の声と、――もちろん、いいわよ――という絢音の声が即答した。
「どうしてリビングで家族に揃って欲しいんですか?」
ジュンはここに来てから、初めてその無垢な表情を一変していた。微動だにしなかった眉毛が、筋肉の働きに持ち上がっている。
「それは母親のわがままとか、そういう、事じゃ、なくて?」
窺い確かめるように囁かれたジュンの言葉に、新内は誠意的な笑みで答える。
「話を聞きたいんだよね、私達親はさ。――ついこないだまでそういう時間が当たり前だったのに、急に無しになれば、親は要らぬ心配もするし、断る理由が返ってこなければ、しつこく聞く必要もあるのよ」
「自然と集まるとかじゃ、駄目ですか?」