言霊砲
通学バスが出発する。高校に向かうバスはこの一本だけである為、今朝寝坊してこの時間のバスに乗り遅れた若葉幸助は、バスが往復して戻ってくるまでの時間、バスの停留所にて時間を潰す事となった。
「ん?」
誰もいないバスの停留所に、紅い何かが落ちている。拾い上げようと近づくと、それが女子学生の生徒手帳である事が判明した。
若葉幸助の通う高校と、同じ高校のものである。
「中は……、見ちゃダメだよな、ダメだよな、ダメダメ、女子の花園だぞ幸助……、んでも…見ないと、名前、わかんないと届けようにも……」
若葉幸助は、生徒手帳を開いてみる。
生徒手帳の名前欄には、村沢苺花(むらさわいちか)と記入されていた。
祐希は整った美少女の顔を笑わせて、思わず声を上げる。
「そういう偶然が大切!!」
グリフォンはその声で眼を覚ました。
「もう起きてるの……。祐希、昨日もつい何時間前まで若葉幸助の勉強、一緒にしてたじゃん……」
「だってまるでダメの助が起きてるんだもん……、そんじゃ祐希も起きてなきゃ、まるでダメの助の事見れないじゃん」
「好きだね~、あの青年が……。どこがいいのか、僕はよくわかんないけどね」
祐希は下界の人間界を見下ろしたままで微笑んだ。
「性格! 運の無いところ! 見捨てらんないよ、一応、祐希天使だから」
「まあね……」
若葉幸助は今朝拾った生徒手帳を届けに、三年生の己よりも一学下の二年生校舎へと向かった。
二年A組に到着すると、生徒手帳に貼ってあった顔と同じ金髪の女子生徒はすぐに発見できた。
近づいてくる若葉幸助を察知して、村沢苺花はきょとん、とした顔をした。
村沢苺花の眼の前で、若葉幸助は今にも震えだしそうな脚を止めた。
「あのう、これ…、バスのところに落ちてまして……。あの、別に俺が盗んだりとか、そういうじゃなくて、あの……」
村沢苺花はきょとん、としている。
若葉幸助は、恐縮した顔で、生徒手帳を更に前に差し出した。
「あの……、いえ、得にはありません。拾いましたもので、届けにまいりました、はい……」
村沢苺花は生徒手帳を受け取って、にんまりと微笑む。
その笑顔を見て、ざわつく教室の中、若葉幸助の意識の中で、時が静止する――。金髪の女子生徒、村沢苺花が、自分に微笑んでいる。
若葉幸助は、その瞬間に恋に落ちた。
祐希は下界の若葉幸助を観察しながら呟く。
「なんかチョロいな~~、まるでダメの助~……。たぶん恋しちゃったんじゃない? あの子に」
グリフォンはポメラニアンのような愛らしい瞳をきらきらとさせて言う。
「そもそも、与田家の天使族は元々が恋のキューピッドだからね。つまり、一応、祐希という恋の守護天使に守護・祝福されてるから、若葉幸助は普通の人より恋心には敏感にはなってるんだよ」
「ふう~ん」
祐希は、下界の人間界の様子を覗く。若葉幸助の動向の続きを垣間見る事にする。
何やら教室中は盛り上がってきていた。今では若葉幸助と村沢苺花の出逢いを祝福する声までもが挙がっている。
村沢苺花は、にこっと微笑む。
「お礼に、バレンタイン、受け取ってもらえます?」
「え!」若葉幸助は眉間を険しくさせる。「あ、ええ? あ、お、俺に!」
「はい」
村沢苺花は可笑しそうに微笑んだ。
「ああ、あの、はい、はい! 受け取りますです!」
真剣な顔で敬礼をしてしまう若葉幸助を、教室中の生徒達がその光景にざわざわと笑った。
「どこでぇ、渡せばいいかな?」
祐希は握った拳を力ませる。
「体育館とかっ!!」
村沢苺花は微笑んだ。
「じゃあ、駅前のショッピングモールの、銅像の前で。夕がたの18時に来て下さい。待ってるんで」
若葉幸助は、恐縮して、上の方を見上げて、敬礼しながら叫ぶ。
「はい! あのう、必ず行きます! あの、あの雷に打たれても雨に打たれても、必ず行きますから! はい!」
村沢苺花はくすくすと笑った。
若葉幸助は、彼女を一瞥して、照れ臭そうに、敬礼をやめて苦笑した。
祐希は寝そべりながら呟く。
「あそっか~…、今日はバレンタインかあ~……。まるでダメの助も、そろそろ高校卒業だね」
グリフォンは祐希を見つめた。祐希はだらしなく天雲に寝そべってだらだらしている。
「就職を希望してたよね、確か。いい会社に巡りあえればいいけどね~」
「ねえもちおって、チョコって食べた事あると?」
「ああ、昔、ヨーロッパの方でね。うん。どうして?」
「ううん、あんな黒いの、よく食べるな~って思って……」
「まあ天使には関係ないよ」
祐希は大きな溜息を吐いた。
「これでまともな彼女できるかなぁ~~」
グリフォンは首を傾げる。
「さあね。ま、守護天使がいるだけでも、若葉幸助はついてると思うよ」
「それがついてないから、気になるんだよ~~……」
祐希は、心配そうに下界の様子を覗き見る。
PM18時――。若葉幸助は、制服姿のままで、花束を胸に抱きかかえ、夕焼けの終わった夜空を見上げて、深呼吸を消化した。
突然に、若葉幸助をフラッシュが襲った。それは連続したもので、スマートフォンの撮影する時の音が響いている。
若葉幸助は驚きながら、その表情をひきつらせながら、片腕でフラッシュを遮(さえぎ)る。
よく、眼を凝らしてそちらを見つめる。
それは、村沢苺花を含む数人の女子高生達であった。スマートフォンで若葉幸助の事を連写している。動画を回している女子高生もいた。
若葉幸助は、何が何なのかもわからずに、必死で眩しいフラッシュを遮る。
「こいつがあたしの生徒手帳拾いやがったんだよ! あたしの秘密とか、見たんだろ? 何が書いてあったよ! チクったらてめえの顔晒(かおさら)して痴漢偽造(ちかんぎぞう)すっからな!」
祐希は溜息を吐いた。
「まぁたぁかぁぁ~~………」
若葉幸助は、必死な表情で、片手を天に伸ばす。
「何も見ていません! か、神に誓って!」
村沢苺花は、第一印象とは全く異なる、凶悪な面(つら)で若葉幸助を威嚇(いかく)する。
「マジだろうなてめえ、マジにチクったら殺すじゃすまねえからな……」
「何こいつ、苺花にチョコ貰えると思ってここに来たんでしょ、マジきめ~からぁ~」
「花束持ってどしたせんぱ~い? 花束っていくらぐらいすんの?」
卑屈な顔をしていた若葉幸助は、瞬時に笑顔を浮かべて、「僕のは、5000円ぐらいです」と苦笑した。
「5000円だって。もらったげれば?」
村沢苺花は強烈に顔をしかめて舌打ちをした。
「マジキモい、ごめんけど無理でしょ。いい、こっちお前の動画と写真、いつでも流せっからな?」
「チクんなよ」
背の低い女子高生が言った。彼女はそのまま若葉幸助を激しく睨みつけている。
「はい、……あのう、まず、見ていませんし、1ミリも……。あの、はいわかりました。別に誰にも何も言いません」
若葉幸助は、そう言ったあとで笑顔になる。
村沢苺花は地面に唾(つば)を吐いた。
「マジかったりい。じゃあなダサ坊」
「じゃあな」
「バイバ~イ」
「花束どうすんの? まいいや、バイバイ~」