言霊砲
若葉幸助は、しばらく女子高生達が遠ざかっていくのを呆然と眺めていたが、大きく深呼吸をすると、急に己が情けなく思えて、花束を強く握りしめたまま、がくん、と項垂(うなだ)れた。
祐希は大きな溜息をつく。
グリフォンは笑っていた。
「本当に、まるでダメの助だね」
祐希は下界から視線を上げて、美しい童顔の前にガッツポーズを作る。
「いやあ! いつかは、彼を大好きになったライバル達ができて、話しかけるきっかけ探してる日がくるかも。だって、運が無いだけで、まるでダメの助、見た目は普通じゃん。だったら普通に、恋だって実るよ」
グリフォンは首を傾げた。
「そうかな~……。だい~ぶ、個性的だと思うけどな」
祐希はあぐらをかいて、背を丸める。
「祐希だったら見た目で判断しないのになぁ~……。あ~あ~、いいとこいっぱいあるのにぃ」
若葉幸助は、驚いている母親に花束を手渡した。
「バレンタインだから……。受け取って。ね……。心こもってないかもだけど、部屋に飾ろうよ。なんとなく買っちゃったわけだから」
「誰かにプレゼントするつもりだったんじゃないの?」
「違うよ。ちっが、うっしっし、ちぃ~がいますよ、しっし、おみやげですよ単なる、お、み、や、げ」
「そうお? じゃ、もらっとくねえ。ありがとう。綺麗じゃない」
「今日は、夜ご飯いいや。ごめんねお母さん、部屋行くね」
「毎日コロッケばっかりで飽きちゃった? ごめんね、幸助本当は焼肉大好きだもんね」
「飽きるもんか! コロッケは世界一美味しいよ! うん……、そうじゃなくて、色々、学校の友達とね……。あ、気にしないで、大した事じゃあないんだから」
「大丈夫幸助? 元気ないね?」
「げ~んき100パーセント! ってか、なんつってな、うっしっし、は~い部屋にまいりま~す、おやすみ~母上~」
「うふふ。おやすみね、幸助」
「は~い!」
自室のドアをゆっくりと閉めた後、若葉幸助は、部屋の灯りもつけずにベッドに腰掛けて、とりあえずリモコンでテレビの電源をつけた。
暗がりに、テレビ画面の光が若葉幸助をカラフルに染める。
「俺はさ、ついてないだよ……。ついてないよなぁ~……。あの時もそうだよ、小学校の時、遠足が大好きで…、大好きで大好きなはずなのに、バスに乗ったとたん、うんこしたくなるんだよなぁ~……。腹が痛くなるんだよ……。遠足って言う名の、あれは我慢大会だもんなぁ~……」
3
祐希はあぐらをかいたまま、あごを指先で挟んで考え耽(ふけ)っていた。天使は皆、白装束(しろしょうぞく)という名の白いミニスカートのドレスを着ている。下界の人間界の女子ならば、その白装束であぐらはかかないだろう。
グリフォンは眼を覚ました。
「んん……、何、考えてるの? 祐希……」
「恋って何? 好きって何? 恋の定義は何っちゃ?」
祐希は大きく整った瞳を潤(うる)ませながら、口元を窄(すぼ)めてグリフォンを見つめる。
「つか定義って何よ? 定規(じょうぎ)みたいなもん?」
グリフォンは鼻を鳴らす。
「いやそこからかよぉ……。しかも、定規みたいなもんだよ、たぶん……。急に何さ、どうして? 恋の定義なんか」
「いや、するとしないとで、何が違うのかな~って……」祐希は大地である天雲を引きちぎって、ぽうん、と空に軽く投げた。「まるでダメの助は、恋をしたがるでしょう? なんでなんかな~って……」
「まず、変化があるよね」グリフォンは羽根を開いたり閉じたりさせる。「何かをして、何も変わらないなんていう行動なんて、この世には無いのさ。恋もその1つだよね。自分の身の回りが変化したり、自分のモチベーションが変化したり、未来が形を成していったり……。なんでえ?」
祐希は引きちぎった天雲でお手玉をしながら、一瞬の一瞥でグリフォンに言う。
「何もなければ、友達……」
グリフォンはその言葉に続く。
「何かが始まれば、それはもうステディーだ」
お手玉をやめて、祐希は上目遣いでグリフォンを見る。
「狙ってるだけじゃ、あっという間に卒業……」
グリフォンは猛禽類の動作で大きく頷いた。
「間に合わなけりゃ、片想いだな」
祐希は笑顔でグリフォンを指差す。
「例えば、渡り廊下とか!」
グリフォンはふふん、と笑った。
「駅のフォームとかね?」
祐希はグリフォンを強く見つめて微笑む。
「ファミレスとか! 意外すぎるタイミングを狙って!」
グリフォンは、今度は犬の動作で後ろ脚を使って耳を搔いた。
「そうだね。相手もびっくりして、立ち話したくなるようなシチュエーションがいいよ」
祐希はまた、はにかんでグリフォンを指差した。
「そ~うなの! そ~うなんだよ、そんなサプライズが欲しいんだよ!」
グリフォンは下界の人間界を透視してみる。
「ん……。あれ? 若葉幸助が、雑誌の占いページめくりながら、何か言ってるよ……」
「え!」
祐希は咄嗟(とっさ)に、跳び込むような動作で天雲の上にうつ伏せになった。
若葉幸助は、独り自宅の自室で、月刊雑誌bisとMAQUIAの占いページを二冊とも開いたままで、極まった表情の顔を上げる。
「ようっし! 大平渚(おおひらなぎさ)さんに、ここっ、告白してみるぞ。こんなに運勢が良いのは生まれて初めてなんだから!」
祐希は嬉しそうに天雲を手の平で叩いた。
「そうだよその意気!」
グリフォンはちょこん、と姿勢良く座り直して、祐希を見つめる。
「大丈夫かな~? この前、バレンタインで痛い目みたばっかりなのに、もう誰かに告白ぅ? 前から気になってた人かなあ? それとも、一目惚れ?」
「だぁ~いじょうぶ!」
祐希は天雲にうつ伏せになったまま、羽根はぱたぱたと動かして、下界の人間界を覗き込みながら微笑んだ。
「この恋は必ず、うまくいくはず!」
若葉幸助は、昼休み、同学年のクラスメイトである大平渚を呼び出した。それは読書好きな、普段から目立たぬ存在感の少女であった。
大平渚は余所余所(よそよそ)しく、斜め下に視線を落としながら言う。
「若葉君……、私の名前、知ってたんだ?」
そこは三年生校舎裏の、雑草が生える長方形の植木鉢が幾つも設置された、あまり生徒達が立ち寄らぬひっそりとした場所であった。そこは若葉幸助が三年間を通して弁当を食べてきた場所でもある。
若葉幸助は、後ろ頭を右手ですりすりと擦りながら、微笑む。
「あ、はい、あのう、もちろん、知ってました……」
「若葉君とは、しゃべった事、なかったですよね」
若葉幸助は、苦笑する。
「あはい…、ございません」
「なんか、緊張するなぁ……」
「き、緊張しますか? き、緊張しないで下さい!」
若葉幸助は、必死に、誠実に、笑みを消して伝える。
「ただの、俺の勝手な、……そのう、……つまりぃ」
大平渚は、まだ一度も、若葉幸助の顔を見ていなかった。荒れ果てた割れたアスファルトの広がる地面の方をただただ見下ろしている。
「あ、あは……、あのう俺もぉ…、本はよく読むんです……。大平さん、本、お好きですよね?」
「まあ……。学校では、する事がないんで、読んでるだけなんですけど……」