言霊砲
祐希はむすっと顔をしかめて、あぐらの上に片手で頬杖(ほおづえ)をつく。
「最後の人間の力なのに……」
グリフォンは前脚を舐めながら言う。
「言霊砲自体が、人間の心が創り出す魔力じゃないか……。いわば、心その物だよ。言霊砲がへたくそなんじゃなくて、心が臆病だったり、自信の無いところが言霊砲に反映されちゃってる状態なんだよ、若葉幸助は。彼自身が、なんていうか、心にもっと勇気を持たないとね」
「勇気って、それどうやんの? どうにかなんないの?」
「知~らない。だって僕人間の経験無いもん」
祐希は頬杖(ほおづえ)をついたままで、眉(まゆ)を顰(ひそ)めて横の方向を睨(にら)む。別にそこには何もないが。
夕刻、若葉幸助はパート勤務からくたくたで帰宅していると思われる母にと、夕食後のショートケーキを購入して、都内の街道を駅へと歩く。
すると、アパレルの店舗と喫茶店に挟まれた路地から、女性の悲鳴のような声が一瞬だけ聞こえた。
「いやいや、俺には関係ない。ティックトックとかで、よくあるやらせ動画でも撮ってるんでしょう」
若葉幸助はまた歩き始める。すると、今度は大きな声で「よして下さい、帰りたいの!」という、知った風な、聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。
若葉幸助は、巻き戻しのように後ろ歩きをして、その路地を見つめる。
そこで酔っ払いの若い男二人に、強引で悪質なナンパを強要されているのは、若葉幸助の勤務する印刷会社の後輩社員、宮下朱莉(みやしたあかり)であった。
「宮下、さん……」
若葉幸助は、咄嗟に、その路地に背中を向けて、考え始める。
強そうな男達だな……。
宮下さんが、ナンパされてるんだな。助けなくちゃ……。
いやいや、幸助、お前ボッコボッコにされちまうぞ。相手は二人だよ。
それでも、ここで見捨てたら、一生男を下げたままだぞ……。
プライドなんてどうだっていいじゃないか。負けるケンカを、どうして買うバカがいるんだ。どこの世界に殴られる為に手を上げるバカな生徒がいるんだよ。
ケーキだって買ったし、再来月の四月で、もう入社して四年目の立派な会社員だぞ。こんなところでバカやって、会社の人に悪く思われたらどうすんだ幸助。
今日は悪いけど、宮下さんだって、しつこくされてるだけなんだろうから……。
ここのところは、見なかった事にして、帰って……。
私、心も身体も、強い人が好きなの――。
そういうのが外見にも滲み出てる人――
あなたとまるで逆――。
もし、もしもここで、俺がスパイダーマンだったら……。
若葉幸助は、きりっと歯を食いしばった顔を、その路地へと振り返って突き刺すように向ける。
もし、もしもここで変われたら……。俺は、生まれ変わりたい……。
それに、最初からどうしても許せなかった。
二人で酔っ払いにからまれたら、女の人なら怖いでしょうが……。
もう、許さないぞ……。
「おい君達ぃ!」
若葉幸助は、宮下朱莉の絡まれている方へと早歩きで歩いて行く。
「やめて、やめてや、やめて!」
「いいだろぉ、一杯ぐらい付き合えや姉ちゃん……」
「お~い、あんまじらしてっと怖い顔しちゃうぞ~」
「君たぁぁちぃ!」
毛皮のコートを着た厳つい顔の若者達が、同時に振り返った。
若葉幸助は、震える指先で宮下朱莉を指差しながら、真っ赤に赤らんだ顔で必死に叫ぶ。
「君たぁぁちぃ! その子は、う、うちの大事な社員です! 即刻、手を引いて下さい!」
凶悪な面(つら)の二人が、「あぁん?」「誰だおめ」と、低い声で唸(うな)っている。
宮下朱莉は、「ああ! 若葉先輩!」と若葉幸助の存在に気がついて、素早くその場から若葉幸助の背中側へと非難した。
「殺されてえの? ああん? 帰った方がいいんじゃないの僕ぅ……」
「何しちゃってんのお前……。つか誰だよお前、ぴんたしちゃうよう?」
「何言っても引かないぞ俺はぁ! 来るなら来い! どうせ警察なんて間に合わないんだろうから相手してやるアチョ~~ウ‼‼」
若葉幸助は中国拳法のような構えをして、次の瞬間、激しい衝撃に顔を右の方向に吹き飛ばされた……。地面に這いつくばった若葉幸助は、若者達の脚にしがみつく。しかし、激しい蹴りに、唇を切り、鼻血が噴き出して、また地面に横たわった。
「若葉先輩っ! やめろお前らっ!」
祐希は両手で眼を隠した。
「やめて! まるでダメの助が死んじゃうう!」
グリフォンは黙って下界の人間界を見つめている。
若者達は弄(もてあそ)ぶように、若葉幸助を滅多滅多に蹴り潰しては、雁字搦(がんじがら)めに無理やり羽交(はが)い絞めして立たせて、何発も何発も、言葉を失った若葉幸助を強烈に殴りつけていく……。
宮下朱莉は、息を呑んで驚愕しながらも、大きな声で周囲に助けを求めたが、堅気(かたぎ)かどうかもわからぬ輩(やから)を相手に、救いの手を差し伸べる勇者はその夜にはいなかった。
「やめて、やめてよ死んじゃうようっ!!」
「糞野郎がっ……ハァ、……死ね、ペッ」
「あ~あ、呑みなおそうぜ? PC来るかもしんねえから、消えとくか」
「おう。おい姉ちゃん、お高くとまってんじゃねえぞブス」
「若葉さん、若葉先輩っ、っひ、ん、…大丈夫えすかぁ~……」
宮下朱莉が若葉幸助に膝枕をしてただひたすらに泣いていると、しばらくしてから、若葉幸助が、腫れ上がった血塗れの瞼(まぶた)を、うっすらと開けて、微笑んだ。
「あ、の……、大丈夫、だった?」
「私は大丈夫です、でも若葉先輩がっ……、こんなの、酷いっ」
「はあぁ~……。ケンカ、初めてしたよぅ……。怖いんだねぇ、ケンカってぇ……」
「救急車、呼んでもいいですか先輩?」
「いや、いいや……。今日は、帰りたいし……、ケーキもあるし……」
若葉幸助は上半身を起こして、周囲を見回してみた。そこには、ぐしゃぐしゃに踏みつぶされた泥のついた生クリームのはみ出ているケーキの箱があった。
「ごめんなさい、先輩、……ケーキは私が」
「いいんだ、いいんだよ……、痛つつ……」
「助けて下さって、ありがとうございました……。このご恩は、一生忘れません……」
5
数日後、若葉幸助が腫れた顔に眼帯をして、首と頭に包帯を巻いたまま会社に出勤すると、先輩社員の文月三春がその容姿を見て笑った。
「ボクシングジムでも通ってるの? それにしては、ちょっと本格的よね、ふふ」
若葉幸助は、白い歯を出してにやける。裂けた唇には絆創膏がしてあった。
「ちょっと、憂さ晴らしを……うっしっし。嘘です嘘です、派手に転んだだけです」
文月三春はじろっと見つめてから、微笑む。
「社会人になってから、やんちゃするのって……。どうかな、と……。大人としての自覚を持ってもらわないと、こっちも指導する気も失せるのよね」
若葉幸助は、笑みを消して、斜め下を見つめる。
「うす、すいません……。大人としての、自覚が、足りてませんでした……。今度からは、気を付けます。あの、脚元の石に! うっしっし、転んだもので! あの派手にね!」
「ま、その元気があればだいじょぶそうね」
「あはいぃ!」