自分じゃない感じ
帰ってきた三郎に、『どこ行ってたの?』と聞ければいいのだけど、三郎に言葉はしゃべれない。心は通じ合っていると信じているんだけど。
「さぶろーさんは、どこまで遊びに行っちゃったんだろぉねぇー……バカ」
三郎君……。私、なんか変だよ……。猫のあんたに、あんたに……。
どうなの、なんなの……。この熱い気持ちは……。
私は、人間なのに……。
猫に、恋をしてしまったとでもいうの?
ああ、でも、自分に嘘を付けない。
自分には、嘘なんてつけるわけがないよね。
神様、私を明日、猫にしてくださいませんか……。
「神様…聞こえてる? 私……、猫になって、三郎と……」
三郎と一緒なら、何処でも生きていける自信があります。
路地裏のゴミ箱を漁ってもいい。
野生のネズミを追いかけてもいい。
三郎と、しゃべってみたい……。
三郎に、この気持ちを伝えてみたい……。
変だよね。なんか、変すぎたな、今の私は。
神様、取り消し取り消し、シカトでお願いします。
お前ぇ、今日はこんな晩くまで、何処に行ってんだよー……。
心配させるなよ。
一人にさせるなよ。
寂しんだぞ……、三郎……。
6
そうだ。あの可愛らしいメスの好きな草むらの空き地にでも行って、あのメスが喜びそうなお土産でも持って帰るか。
俺とあの可愛いメスが出逢ったのが、この草むらの空き地の、前に延びている道路だった。もうだいぶ、懐かしいな。草むらには、歩くだけで服にくっつくとげとげの豆みたいな面白い植物とかがある。これを身体中にはり付けて帰ってやろう。
あの可愛いメスが、どんなに喜ぶか、何だかメスの顔が浮かんでくる。今から喜んだあのメスの顔が楽しみだぜ。
7
三郎が、なんか変なとげとげした豆を持ってきた……。いま、私の眼の前で、どたばたと器用に前足を使って、身体中にくっついていたとげとげした豆を床に落として、私の座っている床に、前足を使ってそれを飛ばしてくる……。
いや、飛ばしているというよりも、並べているのだろうか。ばらばらと、とげとげした豆を床に並べ終えた後、三郎は、私にどや顔をした。
「何がしたい、三郎……」
プレゼントのつもりなのだろうか。その豆みたいな植物は、確かあの雑木林に沢山あったと思う……。
私はとにかく、無表情でどや顔をしている三郎を喜ばせたい一心で、三郎にちゃんと伝わるような喜び方をしようと、その場にごろん、と寝転んで、右手と左手を使って、そのとげとげの豆に、じゃれた……。
「なんだこれ~、服にくっつく~、とげとげが痛~い……」
ふと、三郎の顔を横目で見上げる、三郎は無表情のままでどや顔していた。こちらを見つめている。
私は何をやっているんだろうと、そのとげとげとした豆とじゃやれつくのを早々にやめ、髪の毛をとかし始めた。
「ん? え、ええっ、なにこれぇ! ちょ……」
でも、そのとげとげの豆が五、六個、髪の毛を巻き込むようにくっついちゃってて、取るのに五、六分間ぐらい奮闘した。
三郎は、そんな私の事も、満足そうな無表情のどや顔で見つめていた。
8
俺は満足してる。このメスは、本当に可愛い。やがて辛い別れが訪れるまで、俺が大切に守って行こうと思う。
愛するとは、こういうのも入るのかな。最近やけにこいつの散歩の行先が気になるし、人間関係っていうのか、他に知り合いがあいるのかとか、付き合いとかはあるのかとか、よくよく考えれば俺はこいつの身の回りの事ばかり気にしていた。
今度、こっそりこいつが散歩に行く後を、追いかけて見ようと思う……。
他で恋人でも作られて、二人の憩いの拠点に、居候に来られたりしても困っちゃうからな。
しかし、ほぼ毎日、どこを散歩しているのか。何しに行ってるのか。
謎の多いメスだ。
ついて行くしかないな。
よし、決めたらそく実行だ。
こっそりなら、わからんだろう……。
9
今日は会社だ。私は自慢の髪の毛をじっくりと時間をかけてとかし、念入りに手入れして、鏡の前で自分チェックを終えてから、家を出た。
厚い日照りだった。夏は涼しい格好を心掛けているのだが、今日はまた特別に暑い太陽だった。
会社に着くと、もう社員達が集まりかけていた。
会社は家から割と近くにあるのだ。
「あー美月おはよー!」
「おはよう。きょうあっつくなーい? わったし汗ヤッバいんですけど……」
「おっす、美月!」
「あーおはよー。あれ、久しぶりじゃない? 出勤したんだ?」
「コロナコロナ、たぶん。二週間で治ったから、まあ、も元気よ」
「みーづき! おっは!」
「やー葉月~、今日もかんわいい~! あれ、なんか髪型軽くなった?」
「髪の毛だいぶすいてもらったの。夏はあっついからね」
「それよかさ、美月、誰かに恋してるっしょ?」
「え! ……なんでぇ?」
「フェロモン出てるもん。わっかるよ」
「え、葉月は恋、してないの?」
「してないーい」
「そうなんだ。私もね……、うまくいきそうな、普通の恋じゃないみたいなの」
「どんな恋だよ、あっは」
「猫に、恋しちゃった、みたい、なんだ……」
「猫に?」
「え、猫?」
「猫に美月が、て事ぉ?」
「うん………」
「うっそ……」
「マジ、かぁ~……」
「えそんな事ってあるの? 有り得るの?」
「うちの三郎がね、なんか、私の事いっつも守ってくれてるのがわかるの」
「三郎って、猫だよねえ?」
「うちら人間だよ、美月。しっかりしてよ~」
「マジで、猫になりたいって、思っちゃった……」
「美月、わかってるでしょう?」
「そんな恋、報われっこないんだよ、美月」
「わかってる。わかってるよ……」
「ちゃんと決着つけな、その気持ちに……」
「うん……」
「猫は、猫だよ。美月。ペットなの」
「んふ……わかったから、もう、言わないで……。泣いちゃうから……」
「美月……」
「終わりにする、ね……。この、へんてこな恋を」
「がんばれ美月! いい男が未来で待ってんぞ!」
三郎……。好きになったんだよ? 猫のあんたを……。
きっと、伝わってくれたよね。
毎晩、おやすみのキス、してるんだもんね……。
ねえ、三郎……。
もしも、私が、猫だったらさあ……。
「美月、泣かないの」
「美月……」
好きに、なってくれたかなあ?
私は本当に、君が好きだったよ……。
たぶん、前世が私も猫だったんだね。
私は、神様の失敗作だ……。
好き……。
三郎……。
一生、一緒に暮らそうね?
一生、かまってあげるね。
三郎の好きなソファに、一生一緒にいてあげる。
バイバイ……。
猫のあんたに失恋なんてね。
じゃあね、私の理想の彼氏猫……。
マジで、好きだったよ……。
10
「お。帰ってきたな、おいメス猫。お前今日いた空き地のあの集まりって、なんとかの会議っていうんだろ、じかに見ると怖ええな?」
日向朝樹(ひゅうがあさき)は坊主のヒョウ柄に染めた頭をぼりぼりと搔きながら、名無しの愛猫を見つめる。