僕たちのサヨナラ
「馬鹿言うなよ、俺が絢音ちゃんの事どんだけ思ってるか、知っててわざと嫉妬してるんだろ?」
鈴木絢音は、黙ったままで、視線を逸らした。
山本翔太は身振り手振りで齷齪(あくせく)必死に伝えようとする。
「海に行ったの、忘れたの? 絢音ちゃん、クラゲにさされちゃって……。山に栗拾いに行ったろ? 絢音ちゃん、サンダルで栗ふんじゃって」
「あっはっは、私って、ドジですね……」
笑みを取り戻した鈴木絢音に、山下翔太は、苦い笑みを浮かべた。
「ずっと一緒だったじゃない……。やめようよ、変に探り合うの……」
「うん……」
「俺にとっても、絢音ちゃんにとっても、真夏は、真夏だよ……」
「うん、わかった」
「本当にわかったあ?」
眉を上げて苦笑した山本翔太を見上げて、鈴木絢音はけけっと笑った。
「本当に、わかりました!」
「あ、うん……。ふう、よかった」
鈴木絢音は、一滴の不安をすくうような上目遣いで、山本翔太を見上げた。
「翔太さんは……、私の、こと……。今でも、好き?」
山本翔太は、苦笑した。
「滅多な事いうもんじゃない。あったりまえだろ。十年前に告ったのは、俺の方だよ」
「あ……。もう、十年かあ」
「そう。もう十年の月日が、俺達にはあるんだよ。真夏が帰ってきたからって、別に、俺は……」
「………」
「………」
鈴木絢音は、眼を瞑って、背伸びをした。
山本翔太に、鈴木絢音はキスをした。
地面に向けられた懐中電灯が、紐にゆられて灯りを揺らしている。
山本翔太は、鈴木絢音の背中を抱きしめた。
「心配してるの……。俺、絢音ちゃんが好きだよ、今でもずっと……」
「真夏がいないからでしょ」
山本翔太は、鈴木絢音の肩を素早く引きはがして、その顔を覗き込む。
「何言ってるの、絢音ちゃん?」
「東京に行ったのが、もしも私だったら……」
「馬鹿な事言うな、絢音ちゃん!」
鈴木絢音は、懐中電灯で山本翔太の顔を照らした。山本翔太は眩しそうに光を手で遮断する。
「なんにしても、私は、同窓会には出ないので……。みんなに、真夏に……。よろしく言っておいてね。じゃあ、ね。帰ります」
「待ってって……」
「元気だといいな、真夏にヨロシク、おやすみなさいっ」
鈴木絢音は真っ暗な暗夜行路を走り出した。懐中電灯の灯りだけが、その道行を示している。
山本翔太は、言葉を無くしたまま、しばらく彼女の走り去った現場の方を見つめていたが、気分を一新させるようにして、バイクに跨(またが)り、激しく発光するライトをつけて、ヘルメットをかぶり、自宅へとバイクを走らせた。
明日は同窓会……。
この十年間、開かれる事のなかったその同窓会に、秋元真夏が来る……。
山本翔太は、アクセルを強く握る。
真夏に会える……。
あいつは、変わったのかな……。
どんな変かがあろうとも、秋元真夏でいてくれればそれでいい。
もう、俺はそれだけでいい……。
3
軽く散策気分で、手提げバッグにはスマートフォンと財布だけを入れて、秋元真夏は早朝に民宿を出た。久しく故郷を放浪していると、正面道路から歩いてくる女子学生たちがいた。
真夏は、すれ違いながらも、その少女達を見つめる。
いつかの、絢音と自分のようであった。部活終わりには、いつもそうして肩を並べて夕焼けのオレンジ色の中を歩いた。
鈴木絢音は親友で、いつも二人は一緒にいた。
いつから私たちは、割れてしまったのだろう……。
朝から陽が落ちるまで、歩き通してしまった。思い出に浸る時間とは、どれほどあっても満ち足りぬものだ。もしお酒を呑んでいたら、疲れ果てて眠る手前まで、私は形の無い思い出を取り戻そうと、この町を歩き回ってしまうだろう。
もうそろそろ同窓会だと、〈喫茶店バロンセブン男爵〉へと向かおうと、スマートフォンのアプリをいじってみたが、近くに要請できそうなタクシーは見つからないとの事だった。
ど田舎、と微笑みながら、秋元真夏は暗く成り果てようとしているその路を、ひたすら目的地である昨日の晩、夕食をとった〈喫茶店バロンセブン男爵〉へと進んだ。
一時間もかからぬほどで、〈喫茶店バロンセブン男爵〉へは到着した。大きな窓から、宴会が始まっている様子が見て取れた。
秋元真夏は、恐る恐るで、ドアから入店する。
出入り口のすぐそばに立っていた山本翔太が、秋元真夏を一目見て、すぐに近づいてきた。
「真夏か……」
「うん……。翔太?」
「うん、そう。変わったか? 俺」
秋元真夏は、上目遣いで、笑った。
「か~わんない、あっはは」
山本翔太は、大きな声で、皆に「秋元が来たぞみんな、久しぶりの真夏のご帰宅だ!」と叫んで紹介した。
秋元真夏は、眼を見開いた表情で、店内の二十数名を見回す……。
数秒間の沈黙の後、男性陣の「おお、真夏ぅ!」という歓声に、女性陣が「真夏、おかえり!」とすぐに駆け寄った。
山本翔太は、真夏の耳元で言う。
「あとで、抜け出そう。話したい事もある」
真夏は、眼をぱちぱちとさせて、「あ、うん」と頷いた。
二時間も経過すると、皆の真夏への対応も特別なものではなくなり、ごく自然とした談笑の時間が訪れた。
それは十年分の思い出の回収時間であった。真夏は、どんなくだらない話にも食らいついて笑い声を上げた。本当に楽しかった。どうして、東京を選んだのだろうと、つい思い返してしまうぐらいに。
十年前、高校を卒業した頃、真夏は、鈴木絢音の付き合っていた彼氏に、実らぬ恋をしてしまった。恋心とは、計算して成るおのではなく、無神経に、うとんちゃくに、獰猛に、無差別に、だた一方的に、気がつけば好きになってしまっている。
鈴木絢音の彼氏は、山本翔太であった。昔ながらの友人でもあり、親友の彼氏でもある山本翔太との、息苦しい関係の始まり。それは、鈴木絢音を嫉妬に憎む果ての無い急行列車の発車の警鐘でもあった。
鈴木絢音は、いい子で、なんでも相談になってくれる優等生で、自分にはもったいないぐらいの特別な存在であった。
山本翔太は、汗臭い悪ガキであったが、いつからか、気がつけば、背も高く育ち、顔立ちの整った、穏やかな性格の立派な青年になっていた。
どちらも私の宝物で、どちらも私の自慢の友人だった。
もうできあがっている恋の関係性に、割り込むようにして入っていったのは自分で。
勝手に好きになったは自分で、絢音も翔太も、何も罪はなかった。
それでも私は翔太が欲しくて……。あの夜に、絢音がこの町にいなかった、あの一夜に、翔太を魅惑して……。
それさえもが否定されていたらば、私はこの命を絶っていたかもしれない。醜い嫉妬に、卑怯ないいわけと誘惑を使ってまで、翔太を一日だけ、己のものにしたのだから。私の恋はそこで行き止まり。
何もかもを阻まれてしまったなら、醜い悪魔になってまで、それでも尚、拒否されていたら、もう存在する価値まで疑ってしまっていただろう。
けれど、あの夜は訪れた……。朝まで、眠る翔太の顔を見ていたら、自然と、この町を捨てて、絢音と翔太のいない街で暮らすという決意ができあがっていた。
そうすることで、引き下がる決意を固めたのだった。