未来卵
「凄すぎますわ……。わたくしも二十年以上生きていますけれど、この世界観は、……あはぁ、乃木坂の創る、雰囲気って、最高です……。監督さんが天才的なのですわよね、毎回毎回、感心しかありません、言葉はうまく機能致しませんわ……。アンダーズ・ラブ、今風に言うならば、ヤバい、ですわ」
宮間兎亜は佐藤璃果ににんまりと微笑んで言う。
「ヤバいなんてむっかしの漫画にいくらだって載ってるわよね~え? 今風に言うなら、一生聴ける、よねえ?」
佐藤璃果は可愛らしく微笑んだ。
「でも良かったぁ……。あれですよね、上出来、て事ですよね?」
御輿咲希と宮間兎亜は声を重ねるように「ええ、もちろんです」「あったり前じゃな~い」と笑った。
北川悠理はフルーツの盛り合わせを少しずつつまみながら、沈黙して大型ディスプレイを見上げている。
比鐘蒼空は、勇気を振り絞って、隣の北川悠理に囁く。
「あの……。良ければ、……血ぃ、吸って下さい……」
北川悠理は、驚いたつぶらな眼を見開いて、比鐘蒼空に振り返る。
「え?」
「血ぃ吸って下さいお願いします……」
比鐘蒼空は、左腕の素肌をカウンターに出して、北川悠理を弱気に見つめた。
「吸っちゃって下さい……」
北川悠理は「んふっ」と吹き出していた。
和田まあやは「んんん!」と、大きな背伸びをした。
「はあっ!」
大きく吐息を吐いた後で、和田まあやは稲見瓶を一瞥(いちべつ)する。風秋夕は大型ディスプレイの『アンダーズ・ラブ』に眼を瞑(つぶ)って、頬杖(ほおづえ)をつきながら聴き入っている。
「イナッチってさ……、なん、それ、その顔、なんでずっと無表情でいんの? あ、感情があんまないとか?」
稲見瓶は、返答に戸惑う。しかし、なんとなく思った事を答える。
「生まれつき」
和田まあやは大きなリアクションで納得していた。
稲見瓶は、和田まあやに言う。
「アンダーズ・ラブを生み出してくれた秋元先生を、まず愛してるよ。そして、まあやちゃん達を管轄してくれている、乃木坂合同会社と今野さんを、愛してる。もちろんマネージャーの友さん達も愛してる。そして、まあやちゃん達を愛してるよ」
和田まあやははにかむ。
「あ、笑った……」
「うん。こういう事を言う時には、自然と感情が笑いたくなるんだ。不思議だね、感情って」
「イナッチの無表情が不思議だよ、だてまあやだったらさあ、逆にいっつも笑ってんじゃんかぁ? あそっか……。楽しいから笑ってるのかぁ……。じゃイナッチ、楽しくないんじゃないの?」
稲見瓶は薄っすらと笑みを浮かべて、首を小さく横に振った。
「楽しいんだ。もうね……、乃木坂と出逢ってからは、毎日が変わった……。夕と出逢ってからは更に乃木坂に食い入るように夢中になった……」
「ふうん……」
和田まあやは、不思議そうに稲見瓶を見つめている。
稲見瓶は無表情で会話を続ける。
「まあやちゃんが、メイドと、美少年と、チアガールと、子供の男の子になった時には、もう好きだったよ、まあやちゃんの事が」
和田まあやは「へ?」と真顔になる……。言われた内容を頭の中で整理し、それはいつ頃か考え始める。前に彼女は声に出してきいていた。
「何メイドって……、美少年?」
風秋夕が和田まあやの後頭部を一瞥してから、稲見瓶を見つめて言う。
「チアガールが俺は最強に可愛かったな……」
和田まあやは「えっ?」と振り返る。
「俺はメイドが良かった」
和田まあやは、また稲見瓶へと「え?」と顔を急いだ。
「何なんの話ぃ? いつ、いつのやつぅ? なんの番組とか言ってよ」
稲見瓶は、薄いが、得意げな笑みを浮かべて言う。
「それは物語の始まりの頃でした……。まあやちゃんは、メイドになって、三人の容疑者の疑いがかけられたまあやちゃんを相手に、推理をします……。して、その犯人は……」
風秋夕は面白がって笑った。
「メイドのまあやちゃん何だよな、犯人は。推理していく本人が、私が犯人です、ていうオチっていう可愛らしい推理もんだった。チアガールのまあやちゃん、ありゃ反則級に可愛すぎたぞ……」
稲見瓶は、険しい表情をしている和田まあやに、微笑んだ。
「誰がおやつを食べたのか、容疑者は三人のまあやちゃん。推理するのはメイドのまあやちゃん。お題は、この中に嘘をついている人が一人だけいます。わかったかな?」
和田まあやは大きな笑顔で、手を鳴らした。
「ファースト・シングルの、個人PVだ! まあやの!!」
4
二千二十二年八月十五日――。乃木坂46一期生の和田まあやと三期生の吉田綾乃クリスティーは、〈リリィ・アース〉の地下六階にある〈無人・レストラン〉三号店に、もんじゃ焼きを食べに訪れていた。食事と談笑の尊い時間はすぐに流れ経ち、風秋夕と磯野波平が合流した頃にはPM19時を過ぎていた。
乃木坂46の二人は真夏の全国ツアー2022の真っ最中であり、その中のオフ日であった。
清流のせせらぐ清らかな音が、店内にささやかに満ちている。
磯野波平はキャップ帽を取ってから、ずっと髪形を気にしていた。
風秋夕は畳にあぐらをかいて言う。
「だから嫌なんだよ、帽子って……。もうかぶったら、その日一生かぶってるね、俺なら」
和田まあやは「ふうん」と感心してから、おもむろに後ろ側を振り返り手を上げた。
「あの、すいませ~~ん!」
風秋夕は笑う。
「だからまあやちゃん、いないから。店員。俺らだけだから」
「あ、そっかー……。や、なんか自然に、今の自然だったよね? なんか自然に求めちゃう! 店員さんを!」
吉田綾乃クリスティーは「はい」と和田まあやにメニュー表を手渡しながら、磯野波平の事を見つめて言う。
「前髪がおっ立ってるんだよ……。あ鏡、貸そうか?」
「おお、ちと貸してくれ綾ティー……」
吉田綾乃クリスティーは鞄の中の手鏡を探し始めた。
和田まあやはデザートを選んでいる。
風秋夕はにやけ顔で、磯野波平を一瞥して笑う。
「お前その方がいいんじゃないの? 前髪おっ立ててる奴、今あんまいないじゃん。オリジナリティーがあるじゃんか」
「俺ぁ~前髪が好きなんだ、つうの!」
「あそ」
「はい」
吉田綾乃クリスティーは大きめのサイズの手鏡を、磯野波平へと手渡した。
磯野波平は手鏡を覘くと「は、ハンサム!」と驚きながら、髪形をチェックしていく……。
風秋夕は和田まあやに微笑む。
「萩の月、ありますよ、お姫様」
「ええあんの!」
「あ~がっはは、萩の月でも何でも、こいっつが取り寄せちまうかんなあ? ぺっ……」
風秋夕と和田まあや、そして吉田綾乃クリスティーは、たった今、清流の音の中に響いた「ぺっ」という違和感に、同時に磯野波平を見つめていた。
「よい、しょってか……、うし」
磯野波平は、曇っていた手鏡に唾(つば)を飛ばし、それを手の腹でキュ、キュ、とふくように磨(みが)いていた。
「おっ、お前っ、今何したっ! てか、何してんのお前!」
「あ?」
和田まあやは苦笑する。吉田綾乃クリスティーは、手鏡を見つめてフリーズしていた。
風秋夕は驚愕(きょうがく)しながら叫ぶ。