未来卵
パーティー会場には、ブラック・アイド・ピースの『ドント・ライ』が流れている。
一ノ瀬美空は天使のような美形を笑わせて、小川彩を愛(め)でている。
「かぁわぁいいね~~。赤ちゃんみたいだねぇ~~」
「赤ちゃんじゃない!」
小川彩はふざけてふてくされる。
五百城茉央はスイーツ・サンドイッチに夢中になっていた。
「美味しい~……。あ間違えた、うまイオキ! え、持って帰ってもいいのかなあ?」
岡本姫奈は上品な仕草で苦笑する。
「それじゃてれパンじゃん。あはは、でも持って帰っていいんだと思うよ。てか私もマジで持って帰っていいかー?」
五百城茉央は笑顔で頷いた。「私も持って帰る」と囁(ささや)いている。
風秋夕は池田瑛紗と川﨑桜に笑みを浮かべて言う。
「てれパンのモノマネ、みんなするの? 奈央ちゃんもさくたんもするよねぇ?」
川﨑桜は急に、真顔のままで、あごに人差し指を当てて、たどたどしい早口の日本語でしゃべり始める。
「池田てれつぁでつ。えーわたちたくらたんにしか不思議たんてゆわれた事ないんだけどー……」
風秋夕と池田瑛紗は笑う。池田瑛紗においては笑うしかなかった。
「えー似てる? 似て、ます?」
「わかるよ」
池田瑛紗はぷんすかと両手の拳を腰につけて、風秋夕をいじらしく見上げた。
「似てないもん……」
「うわ……。今のてれパン、世界中が惚れちゃうよ」
風秋夕はそう微笑んでから、走ってきた菅原咲月の存在に気がついた。
「どした咲月ちゃん?」
少しだけ息を切らしながら、菅原咲月は会場の奥の方を指差して必死な表情を浮かべた。
「和が誘拐されました!」
「え? 誰に?」
「なみへっ………。あら」
風秋夕はその名のように、秋の吹きすさぶ風のように素早く走り出して行った。
奥田いろはは微笑んでその姿を見送る。
「なんか、次自分かも、て思うと、なんか怖いね……」
冨里奈央はきき返す。
「何が? 何が怖いって?」
奥田いろははにこり、微笑んだ。
「波平君っ」
冨里奈央は、一度担がれた経験を思い出して、大きく二回「あ~~」と頷いた。
中西アルノは風秋夕の去って行った方向を見つめながら呟く。
「物理的観点から言っても、人間を持ち上げながら争うのは無理だな……」
菅原咲月は息を整えながら、中西アルノにきく。
「物理? 和を持ったままで夕君と波平君が戦うのが物理的に無理って事?」
「うん」
中西アルノは、菅原咲月を一瞥して頷いた。
菅原咲月は大きく息を吸って、大きく吐いて……、笑顔できく。
「物理的に無理って、どういう意味? てか物理的にってよく言うよね……」
中西アルノは澄ました表情で答える。
「空間、時間、重量……、数量に置き換えられる条件において無理、という意味」
菅原咲月は顔を険しくして、小首を傾げた。
「なに、言ってんのかがわからない……」
遠くの方では、井上和の悲鳴と、風秋夕と磯野波平の罵声(ばせい)がラグナロクの戦野(せんや)のように激しく響き渡っていた。
6
秋田県の北秋田市阿仁笑内にある笑内駅(おかしないえき)は無人駅である。その景色を懐かしく思い馳せながらタクシーで通り過ぎると、姫野あたるは滴(したた)る汗を大雑把(おおざっぱ)に腕でぬぐい、涼しい顔で車を運転しているタクシーの運転手に問いかけた。
「運転手殿……、さっきっからすまなんだが、厚くないのでござるか? 小生、気を失いそうに暑いのでござるが、なぜにクーラーが故障しているというのに、窓を開けてはならんのでござるか? 開けた方がよっぽど涼しいような気がするのでござるが………」
「あー、ごめんねえ。窓開けると、この辺は埃がはいってきちゃうからね~、ごめんねえ」
「いや、しかし……。運転手殿の、そっちの方も、厚いのでござるか? なんだか涼しげに感じるのでござるが……」
「私も暑いですよ、夏ですからええ、ねえ~、ごめんねえ」
姫野あたるは、そうっと、指先を整えて、まっすぐにシートとシートの隙間から、運転席の方に腕を伸ばした……。
「……うああ、びっくりしたあ~……、お客さん、どうしました?」
「ふうむ……。なにか、そっちは空気が冷たくないでござるか?」
「いやー夏はクーラーなんて利きませんよ~、ほん、ごめんねえ、暑いよねえ」
「そうでござるか……。不思議でござる」
大きな溜息を吐き、目的地はもうすぐだと、姫野あたるはもう少し辛抱する事にした。
大きな木々がうねって天井を造るように、道路の両側から延びて路に木々の屋根を造っている通称〈野生のトンネル〉をタクシーが抜けたところで、姫野あたるはタクシーに支払いを済まし、下車した。
山道を歩き、避暑地とはいえ、まだまだ夏の残暑が厳しい日射を全身に受けながら、姫野あたるは一時間半をかけて、風秋夕の父である風秋遊の所有物である山に辿り着き、その麓(ふもと)に在る二階建ての打ちっぱなしコンクリート建造物の〈センター〉という建物に到着した。
短いアーチを潜り抜けて、チャイムを鳴らすと、連絡の通り、茜富士馬子次郎(あかねふじまごじろう)こと、通称、夏男(なつお)がすぐに姫野あたるを玄関にて笑顔で出迎えた。
二人は互いでの久しぶりの会話を通して情報を交し合いながら、きんと冷えたクーラーの風の行き届いたキッチンへと移動して、すぐに温かいコーヒーを淹れた。
夏男は満面の笑みで、煙草を用意しながら言う。
「よく来てくれたねえ。東京はあっついでしょう? どう、秋田は?」
姫野あたるは苦笑を浮かべながら、煙草を箱から指先に抜き取って、100円ライターで火をつけた。
「はは、秋田も暑いでござるよ。しかし、東京の暑さは魂をけずる……。そういった意味では、やはり大自然の中の暑さと、コンクリートジャングルでの暑さとでは、暑い、の重さが違ってくるでござるな」
この日は、二千二十二年九月某日――。時刻はPM16時過ぎであった。
「また、卒業するんだってね………。ネットで見たよ」
夏男は、弱々しく笑みを浮かべて、姫野あたるに言った。
姫野あたるは、うつむき、下唇を強く噛んでから、囁く。
「樋口、日奈ちゃんと……、和田、まあやちゃんが、乃木坂46を、卒業する、でござる……」
きんと冷えた室内に、瞬間的に無音の状態が訪れた――。しかし、野外の蝉の大合唱で、その静けさは瞬時に吹っ飛んでいった。
夏男は、コーヒーをすする。
姫野あたるは、情けない表情のままで、煙草を吸った。
「どうして、卒業するのでござろうか……。小生は、いつもいつも、同じ事ばかりを思うでござる。まだ、まだまだ、まだまだ時間があるのに、…と」
夏男は息を吹きかけてコーヒーを冷ましながら、姫野あたるの顔を見つめていた。
「ようやく、家族のように……。恋をしたまま、それが愛だと確信ができるようになった途端(とたん)に……。ひなちまは、まあやちゃんは、遠くに行こうとする………。掴もうとすれば、擦り抜ける……。この手に、ひなちまと、まあやちゃんの手を掴めたなら、もう放しはしないのに………」
夏男は、深く煙草を吸い込んで、それを吐き出す。