未来卵
御輿咲希は納得して、アイス・カフェ・ラテを一口飲み込んでから、巨大大スクリーンを眩しそうに見つめてながら囁(ささや)く。
「わたくし、まだ語った事はあまりないのですけど、まあやちゃん推しになった時の、まあやちゃんは、乃木坂二年目か三年目でしたね」
宮間兎亜は驚いた顔をする。
「あんら、意っ外と古参なのね~?」
比鐘蒼空は眼を瞑(つぶ)って音楽を聴いている。その楽曲は乃木坂46の『アンダーズラブ』であった。
稲見瓶は風秋夕を見る。
「まあや、と言えば何だろうね?」
風秋夕は頬(ほお)を笑わせる。
「頭NO王じゃないか? あれは天才的だったからな……。寂しくなるな」
「うん」
磯野波平は、声を荒げる。
「まあやちゃんを好きになった日の事を今も憶えてるぜまあやちゃ~ん! その時のまあやちゃんはロン毛だったぜっ‼」
風秋夕が遠い眼で、にこやかに稲見瓶に言う。
「新幹線にさ、キャリーバッグとか荷物とかを載せた時に、……家族が寂しそうな顔をしたんですねぇ……、て言った、いつかのまあやちゃんは、泣いてたな……。あぁ~、もう帰れないんだなぁ~って。そこで初めて、東京に行くんだって思って、凄い、泣いたのは憶えてます……。てさ、泣きながら語ってくれてた」
「立派な乃木坂になったね」
稲見瓶は、誇らしく微笑んだ。
「今やまあやちゃんを知らないファンはもぐりだ」
「初代頭NO王覇者、&、乃木坂モノマネ王者だからな」
「カンパイしよう、彼女の存在に」
風秋夕は笑って、クリアアサヒの缶ビールを稲見瓶の缶ビールに当てた。
「カンパイ!」
「あ~あ~、まあやちゃんにカンパイしてえなぁ~、どっかにまあやちゃんの事大好きな猛者共(もさども)はいねえかなぁ~~」
磯野波平の声に、風秋夕は笑った。
稲見瓶が、磯野波平を振り返る。
「会話に入りたいならそう言えばいい。こっちも大歓迎だ」
磯野波平は興奮する。
「違う違う、そお、じゃ、そお、じゃ、なあーい~~……。カンパイしてえ気分なんだよ!」
風秋夕は嫌そうに言う。「何今の歌……、まさか鈴木雅之じゃあねえだろうな……。キング・オブ・シンガーの歌声を」
「ううるっせえはいお前ザコすぎ。カンパ~~イっ‼ まあやちゃん最高な~っ!」
磯野波平は後ろの座席から、強引に風秋夕の缶ビールと稲見瓶の缶ビールに乾杯した。
駅前木葉は、姫野あたるの肩をとん、と指先で突いた。己はリクライニング・シートを静かに立ち上がる。
姫野あたるも、顔面を極めて、リクライニング・シートから立ち上がった。
「終わりの始まりが、始まるでござる……」
会場が映し出される――。ステージ上は紫一色のライティング。佐藤璃果が影ナレを務めると、拍手が上がった。『今日はまあやさん最後のアンダーライブ、そして、りりあさん、お待ちしていました。今日は、過去最大のアンダーライブにしましょう!』そう言って、佐藤璃果は影ナレを拍手で見送られながら完成とした。
まだ場内が明るく点灯されている。やがて、暗闇が訪れ、開演である――。
巨大なスクリーンに和田まあやが映し出された。彼女がアンダーライブについて思いを語っている。
まあやが主役。
みんなも主役。
オーバーチャーが流れる――。巨大スクリーンに乃木坂46の映像が流れる。メンバーの声が囁いている。
木製の椅子が一脚、登場し。巨大スクリーンに砂嵐が起きると、その椅子に和田まあやが脚を組んで座っていた。黒と白と赤の交差するこうし柄の紅いドレス。黒いロング・ブーツ。彼女は人差し指を口に付け、『しい~~!』と囁(ささや)いた。
バラの花びらが飛び散ると、和田まあやのセンターで『アンダーズラブ』の始まりである――。赤いライトに白いライトが激しく明滅していた。バラの花びらが舞い落ちる。
比鐘蒼空は頬を伝った涙に、唇を噛みしめた……。
まあやちゃん。おいらは感情を出すのがへたくそで、感情のコントロールもへたくそです。
そんなおいらは友達すら作らなかった。作れなかった……。
まあやちゃん。そんな不器用なおいらは、ある時、乃木坂のライブ配信前に、思わぬトラブルが起きて、落ち込んでしまって……。感情がうまくコントロールできない時があったんです。
乃木坂のライブを、一番イケてる心で楽しめるか、不安で仕方なかった……。
落ち込んだまま、応援もできないんじゃあ、ライブを観る事も烏滸がましいと自粛しようか激しく迷っていたんです。でも、どうしても観たかった……。乃木坂のライブは、おいらの生きる意味みたいなものだから。
そんな時、影ナレをなんとなく不安な気持ちのままで聞いていたら、まあやちゃん達1期生の3人が影ナレをしてくれていて、まあやちゃんの順番になったんです。
まあやちゃんは、しゃべり始めると同時に、『あれ、私達って何期だっけ?』と真剣な顔で同期の二人に聞いたんです……。1期生ライブだったんじゃないかな、その日は。
1期生ライブで、しかもずっと最初から乃木坂をやってきたまあやちゃんが、真剣な顔で『うちらって何期だっけ?』と言った瞬間に、その瞬間に……。
おいらは、笑っていた……。
不安も感情のコントロールも何もかも忘れて、ただ可笑しくて、可笑しくて……。
笑っていました。
ライブはしっかり応援できました。
まあやちゃんに救われたんです……。
そんなおいらの英雄が、卒業するライブだ。
おいらは、一体どんな顔をして、見送ればいいかな? ねえ、まあやちゃん。
一生大好きなのは当たり前として。
このライブが終わっても、またおいらの見えるところに帰ってきて。
お願いだよ。マイ、スーパーヒーロー……。
「まあやちゃん……、まあやちゃーーーんっ‼」
比鐘蒼空は鼻水をすすり上げながら、悔しがる子供のような表情で泣いていた。どうか、このファン達の温かな気持ちでまあやちゃんが包まれますように――。そう強く願いながら。
阪口珠美のセンターで『不等号』が始まる――。ブルーのライティングの中で舞い踊るメンバー達が印象であった。赤のフラッシュライトが間奏に光る。
向井葉月のセンターで『自由の彼方』が歌われる――。懸命に踊って歌唱するその姿は、まさに歌う表現者達である。
和田まあやのセンターで『あの日、僕は咄嗟に嘘をついた』が始まる――。不屈の名曲を和田まあやが見事にセンターを務めてみせる。
御輿咲希は涙をぬぐう。
まあやちゃんが決めた事ですので、わたくしは……、その決意を受け取りますわ。
わたしくには、あなたのような楽しいおしゃべりはできない。
わたくしには、あなたのように涙に耐える事はできない。
わたくしには、あなたのように、誰にでも優しくある事はできない。
わたしくは、あなたにはなれません。だから、わたくしは、あなたが大好きなのです。
わたくしの嫌いな自分と、ま反対の存在。あなたは眩しい……。
わたくしの、半身は贅沢な暮らしと共に死にました。残る半身は、まあやちゃん達乃木坂がくれた反骨精神ですわ。
泣かないわ、まあやちゃん。わたくし、あなたの決意を受け取ったもの。