未来卵
「ん? じゃあパルプンテ」
稲見瓶はにやける。
「使えそうだな、まあやちゃんなら……。ボス戦で使いそうだ」
「なんなの? パルプん、て? とめら? だっけ?」
「メラは火を当てる魔法で、パルプンテは、何が起こるか予想もつかない謎めいた魔法なんだ。ドラクエはやった事ない?」
「んああ、あるある、あるよ。すぅそんなん、あったっけかぁ?」
「面白い響きに反応するのかな……」
和田まあやは稲見瓶から4メートルほど離れた大型ソファに座り直して、今度は身体ごと稲見瓶に向けるようにしてにやけて座った。
「な~みへいの名前聞いた時、それが一番印象的だったよ、はっはだってサザエさんじゃあん」
「あれ、夕の名前じゃないんだ? 驚いたのは、波平の方か……。やっぱり変わってるね」
和田まあやは、不思議そうな表情で稲見瓶を見つめる。稲見瓶は無表情であった。
「夕君? なんで? なんで夕君?」
「風(かぜ)の秋(あき)の夕(ゆう)は、ふあき、ゆう、と読む。風秋夕(ふあきゆう)。発音はそのまま、ふわぁっきゅー、だよ」
「ふあわきゆう…ふぁっきゅ~……、あ、ほんとだっ‼‼」
「夕はお母さんとお父さんが結婚するまで、母子家庭の月野夕だったんだけどね、風秋遊という、夕と同じ発音の名前を持つお父さんの名字になってからは、そのふわぁっきゅーという名前の発音にだいぶ苦労してた時期があった……。ちなみに、風秋というその父親は、夕の血の繋がった父親であって、夕と俺が通ってるファースト・コンタクトのCEOでもある人だ。つまりあの世界的な大企業で一番偉い人だね。世界一のコンピュータや半導体や、車や電化製品の全てを産み出した、大天才だ」
和田まあやは更に不思議そうに言う。
「あれえ? イナッチのお父さんファースト・コンタクトの社長さんじゃなかったっけ?」
稲見瓶はにこり、と頷いてから答える。
「そう。風秋遊と一緒に世界企業ファースト・コンタクトを立ち上げた、風秋遊CEOの共同経営者だね。取締役社長、という役職にいる。つまり俺のお父さんだけどね、彼は俺の目指すずっと先の先にいる憧れの存在だ」
和田まあやは肩を竦(すく)めて、眉根を寄せて、腕組みをした。
「そっかぁ~~。夕君、ファッキューって名前だったんかぁ~~……。気ぃづかなかったけどなぁ~……、言われてみれば、確かにね……」
「俺は瓶(びん)だ。ビールやワインが入ってるガラス製の入れ物の事、ビン。俺もかなり個性的な名前だよね。自分自身でそれに気がついたのは中学生ぐらいの時だけど」
和田まあやはにっこりと鼻を鳴らして笑った。
「んふねえ、なんでビンなの? 聞いた? 親に」
「うん」
稲見瓶は無表情で頷いて、脚を組み替えた。和田まあやを見る。
「名付け親はお母さんだよ。名前の由来(ゆらい)、というか、ビンにした理由はね、父親の稲見恵(いなみけい)との交際中に気づいたらしいんだけど、俺の父親は、どうやらビンが好きだったらしい……」
「ビンが? ビンってあの、空きビンとかの?」
「うん」
電脳執事のイーサンの呼び声が応答した。稲見瓶は近くの〈レストラン・エレベーター〉にリリィ・アース・アイス・ミルクティーと苺味のプロテインを取りに行く。
和田まあやも大型ソファを立ち上がって、稲見瓶の方へと歩いていく。
「え? ビンが好きって、陶芸(とうげい)? とかが好きって事ぉ?」
「違うんだ。はい」
稲見瓶は、和田まあやに苺味のプロテインを手渡しながら言った。
「あはぁい、ありがと」
「うちの父さんは、コーラをね、ビンのコーラでよく飲む人だったらしい……。他にも、気がつくと、ビンや透明なグラスを眼の前に持ち上げて、そのガラスを通してよく景色を見つめる人だったらしい。変な趣味だよね、そんなの。ちなみに俺の弟の名前は、景色だよ」
「えそれもお母さんが付けたの?」
稲見瓶は大型ソファに座りながら、声でも首でも頷いた。
和田まあやも、稲見瓶の方に身体を向けながら、片脚をソファに乗せた体勢で大型ソファに腰掛ける。
「お母さん、お父さんの事っ超~大好きじゃん! ビンも景色も、みんなお父さんの趣味から付けてんでしょう?」
「だね。うちの母親も、変わり者だけどね、真面目な人だ。父さんも真面目一筋のような人だから、似たもの夫婦かな。ああ、稲見の前は、西宮が俺の旧姓だよ。ちなみに稲見恵は俺の血の繋がった父親だ。弟の景色と血の繋がったお父さんは別の人なんだけど、景色も正当な稲見恵の息子には違いない。景色はね、俺よりも機能的に優れてる。素直で可愛い奴だ」
「なんか複雑だね~世間ってぇ~……」
そう言って和田まあやは苺味のプロテインを大口のストローで「うんまい!」と飲み始めた。
稲見瓶は、ミルクティーのストローから口を離して、薄い笑みを浮かべる。
「まあや、まあやちゃんの名前、大好きだよ……。まあやって名前は誰が付けてくれたの?」
和田まあやは微笑む。
「お父さん」
稲見瓶は顕在的に鋭い眼つきを柔らかく丸めて、和田まあやにきく。
「まあやという名前の由来(ゆらい)は、何だろう? 聞いてる?」
「うん」
和田まあやは無邪気に頷いた。
「みつばちマーヤの大冒険、が名前の由来みたい。っへへ、知ってる? みつばちマーヤ」
稲見瓶はメガネの奥の眼を、薄く微笑ませて答える。
「原作者は、児童文学者のワルデマル・ボンゼルスさんだね。かなり有名な著名人だよね。その作品を発表したのは、確か1912年ぐらいだったかな……。俺も幼少期に読んでるし、母親にアニメを観せてもらった。ウィリーと冒険するんだよね、バッタのフィリップと出会ったり……。あれは深い」
「あ知ってるんだぁ~…てか、えそんなに知ってるの?」
和田まあやは可笑しそうに笑った。
稲見瓶は質問する。
「だけどみつばちマーヤの大冒険の日本語版では、マーヤはカタカナ表記だね。まあやちゃんはひらがなだ、どうしてだろう……」
和田まあやは稲見瓶を見つめたまま、苺味のプロテインの大口のストローを、尖(とが)らした口で咥(くわ)えようと探しながら言う。
「まあやって、響きが、良かったみたい…、ひらがなにしたのは。その方が優しい感じがするから…、優しい子になってほしいからだって、お父さんが付けてくれた……。お母さんは『ことね』ちゃんにしようとしてたみたい」
和田まあやはそう言い終えてから、ストローを眼で確認して、咥(くわ)えた。
「見事なまでに優しい子になったね……。ことねも同じぐらいいい響きがする。さすが、まあやちゃん一家。センスがいい」
「センスがいい……いっひひ~」
和田まあやは口を引き上げて、悪戯っ子のようにして笑った。
「ん?」
「ん?」
和田まあやは、声を低くして、稲見瓶の声をまねて言った。
「もしかして、俺の声まね?」
「ぴんぽ~ん! あっははイナッチってさあ、声ひっくいよねえ~?」
和田まあやは無垢な子供のように笑う。
稲見瓶は、メガネの位置を修正して、言う。
「声と表情の事はよく人から言われる。声が独特みたいだね、どうやら俺は……。そうだね、そういえば、好きな声優さんがいてね、俺はその人のものまねだけならできる」