未来卵
最も近くに在る〈レストラン・エレベーター〉を背にした東側のソファに座るのは、磯野波平と姫野あたる、そして三期生の山下美月と与田祐希であった。
BARカウンターと、その奥にある〈レストラン・エレベーター〉を背後に控えた北側のソファに座るのは、風秋夕と稲見瓶である。その正面にあたる南側のソファには四期生の遠藤さくらと早川聖来と賀喜遥香と柴田柚菜と田村真佑と清宮レイと筒井あやめが座り、東側の磯野波平達の正面となる西側のソファには、齋藤飛鳥と和田まあやが座っていた。
風秋夕は、自然と煙草を用意した磯野波平を嫌そうに見つめる。
「お前、天然? ここ禁煙じゃん……」
「あ?」
磯野波平はそれから、かかっと笑って煙草をスーツのポケットにしまった。
四期生達は、四期生同士で何やらの話題に必死になっている。風秋夕達、乃木坂46ファン同盟と話題を共にしているのは、一期生の齋藤飛鳥と和田まあや、三期生の山下美月と与田祐希であった。
「え、煙草吸いたいの、ずっと、我慢してるの? 今も」
山下美月はこぼれそうな大きな瞳で、磯野波平と風秋夕を一瞥した。
「我慢してる、つうのか? こりゃあ……」
磯野波平は片眉を上げて風秋夕を見る。
「いや、俺は特には。我慢するけどね、普通に。吸いたい時、普通に席立ってるし、トイレとかのついでに」
山下美月は、己の左肩に、こてん、と眠りについて頭を預けてきた与田祐希に一瞬苦笑して頭を撫でてから、また今度は、驚いた顔で稲見瓶を見つめた。
「え、飛鳥さんがひっそりとトイレで煙草吸ってるのは知ってたけど…」
「吸っとらんわ。くら! こら!」
齋藤飛鳥は座視で、山下美月を睨みつけた。
「えイナッチも、煙草吸う人だよねえ? 我慢、してるの?」
稲見瓶はにこやかに、頷いた。
「四六時中、喫煙意欲を我慢してるね、俺の場合は」
「えなんで、吸わないの? 吸っといでよ……」
「ここにいる方が遥かに貴重だよ。煙草ごとき、吸わないのは簡単だ」
与田祐希はすやすやと寝息を立てずに眠りこけている。山下美月は、己と与田祐希の間に大きなクッションを、優しい動作で挟み込んだ。
齋藤飛鳥は遠い眼で、与田祐希を見つめている。
「んっとうに、自由か、この子は……」
和田まあやは笑う。
「んあっはは、か~わいいよね? 可愛くない?」
風秋夕は微笑む。
「可愛すぎるよね」
「天使、でござるよ」
姫野あたるはそう呟(つぶや)いて満足した。
「まあ俺りゃあ、あんま我慢しねえけどな、ヤニなんか特によ……。吸いてえもんは吸やいいんじゃねえか?」
山下美月は、急にソファの背もたれに背を押しつけて、その顔を急激にしかめた。
齋藤飛鳥は不思議そうに小首を傾げる。その眼は山下美月を見つめている。
「えーでもさあ」
「待って!」
和田まあやの明るそうな話題のきっかけを、風秋夕が驚愕の表情で遮(さえぎ)ったのだった。
風秋夕は、磯野波平を見て言う。
「え……、いや、まさか、波平……、今なんかした?」
「あ?」
磯野波平は怪訝そうに答える。
「べっつに? 屁ぇこいただけだ」
「こいてんじゃねえか嘘だろおい‼ 乃木坂の前だぞっ! 神経死んでんのかてめえっ‼」
磯野波平は顔をしかめる。
「いや、つうかヤベえ……ちと、クソまで、出かけてんなあ……、こりゃ」
風秋夕は、驚愕する。
「お、お前………」
磯野波平は豪快に笑う。
「嘘だがあ~っはっは‼‼」
「嘘だがあっはっはじゃ、ねえよくっせーーーんだよふっざけんなこの野郎っ‼ 何ががっはっはなんだイカレてんのか貴様の脳みそはっ‼ 女の子の前で屁ぇぶっこきやがって殺すぞこの野郎っ‼‼」
興奮絶頂の風秋夕に、磯野波平は器用に顔をしかめる。
「ああぁ? ちゃんとすかしただろうが」
風秋夕は堪らずに立ち上がる。
「よけいくっせーーーんだよ‼‼」
和田まあやは、笑いながら苦しそうに囁く。
「っ屁ぇ、こきましたね、あなたっはっ」
稲見瓶は囁く。
「おならはね、人前では我慢して、お腹の中にするんだよ」
「あんま我慢しねえなあ、俺りゃあ」
「我慢しなきゃダメなんだよこの野蛮人のさきがけみてえな馬鹿者めっ‼」
齋藤飛鳥は鼻をつまんで、ソファの後ろに顔を向けて、呼吸を再開させる。
「やだぁ~~……」
山下美月は鼻をつまんだままで囁く。
「信じられない……。この時代、女性の前でおならする男性がいるんだ……」
「ああぁ?」
磯野波平は前かがみになって山下美月を見つめる。山下美月の事を見つめたまま、己の尻(しり)をなでて、屁の残り香(が)を手に込めて、姫野あたるの鼻と口をその手で塞(ふさ)いだ。
「ふがあっこ、殺す気でござるかっ!! 何を食えばこうなるでござるっぐああっ‼‼」
「がぁっはっは!」
「どこの馬鹿殿(ばかとの)だ貴様ぁっ、やめんか恥じらいを持て獣かてめえはっ‼‼」
風秋夕は稲見瓶を跨(また)いで、磯野波平にけりを入れる。
和田まあやは笑う。四期生達も事の様子に気づき、その方向の空気をあまり吸い込まないようにしていた。
稲見瓶は、深い溜息をついて言う。
「文字通り、空気を変えよう。イーサン、空気清浄を最大出力でお願いします」
畏まりました――。という電脳執事のイーサンのしゃがれた老人男性の声が応答してから、約七分後、話題は一変していた。
風秋夕は尊いものを見る時の眼つきで、呟くように囁く。
「ペットか……。愛しいよな、ペットは家族の一員だからさ……」
「シュガーもポテトもミルクもみんな元気にしてっか?」
磯野波平は和田まあやに微笑んだ。
「おー元気元気、ポテトは実家ね」
稲見瓶は和田まあやに無表情を向けてきく。
「あれ、もう一匹、ワンかニャアがいなかったっけ?」
「はいはい、あとスイートポテトね」
和田まあやは笑顔で答えた。
「どんだけ腹減ってたのまあやちゃん、名前付けた時さ……」
風秋夕は吹き出しながら言った。
姫野あたるは懐かしそうに呟く……。
「小生も、昔、飼っていたでござるよ、野良犬だった犬っころを」
山下美月はおつまみをぱくぱくもぐもぐしながら面白がって聞く。
「へー名前は? オス? メス?」
齋藤飛鳥も和田まあやも、自然と姫野あたるへと視線を動かした。
「名前は、うんこ、でござった」
「う………」
風秋夕は、言いかけて止まった。
姫野あたるを見つめた齋藤飛鳥の視線は険しく細くなり、和田まあやの視線はぽっかりと大きくなった。
磯野波平は左隣に顔をしかめた。
「はい~? うんこっつったか今?」
姫野あたるはにこやかに頷いた。
「うんこでござるうんこでござる、はは。いささか、刺激的でござったか?」
風秋夕は興奮する。
「刺激的すぎて刺激臭すらしそうだわっ‼ なんでそんなイカレた名前にしたのあんたはぁ‼ イカレた奴の集まりかこの集団はっ‼‼」
姫野あたるは立ち上がりそうな勢いの風秋夕に苦笑して言う。
「まあまあ、たかだかクソの1つや2つ」
「便所みたいに流そうや、ってか‼? うまい事言っても回避しきれねえぞこの野郎!! 愛犬じゃねえのかお前にとってその…そのぉ……っ」
「うんこ」
稲見瓶が言った。