未来卵
乃木坂46ファン同盟からの参加者は、磯野波平と、風秋夕と、稲見瓶と、姫野あたると、駅前木葉である。
現在この広大なフロアには、R&Bサウンド、ブラックストリートの『テイク・ミー・ゼアー・ホワット・ユー・バック・リミックス』が流れている。
和田まあやは、無造作にスマートフォンをテーブルに置いて、小籠包(しょうろんぽう)に息を吹きかけて冷ましながら、横眼で皆に言う。
「あ、ちま来れるって。時間はぁ、ちと言ってなかったな、わかんないけど」
風秋夕はにこやかに答える。
「一期生、揃っちゃうね!」
「まあやちゃんよ~、なんで今なん?」
磯野波平はカプレーゼを食べながら、和田まあやにしかめ顔を向けた。
「何でって……なんか、いま、だったから?」
和田まあやは笑った後で、口に入れた小籠包が熱かったらしく、「あっくぃ!」と嗚咽(おえつ)づきながら、小籠包を口から出したり入れたりを繰り返している。
「出しゃいいだろまあやちゃん……、何でもっかい食っちゃうのよ……、熱いんだろ?」
「あっくいっ‼」
稲見瓶は、齋藤飛鳥を見つめる。
「30枚目のセンターはかっきーか。大抜擢だね。ファン予想では飛鳥ちゃんの声が多かったけど、確かにかっきーを予想してるファンもいたよ」
齋藤飛鳥は、稲見瓶に眼を細める。
「イナッチ…、ファンの配信とか、そういうの観るの?」
「基本、観ない。けどね、動画を選んでるうちに、表面的に色んなノギヲタの動画の文字が眼に入ってくるんだよ」
姫野あたるは、泣き出しそうな気持ちを必死に抑え込んで、和田まあやを見つめていた。
和田まあやは熱々の小籠包と格闘している。
「ねえ夕君……」
秋元真夏はメニュー表から顔を上げて、風秋夕を見つめる。
「ん? どうしました、お姫様」
風秋夕は最高の笑顔を心掛ける。
「ねえこれさあ、この、こ、メニュー表以外の、かき氷のメニューって無いの? 秘蔵メニューって言うの? 必殺、あ必殺じゃないな、……え、隠しメニューか! 隠しメニューとか!」
風秋夕は笑みを浮かべる。
「あるよ。隠しもあるけど、更に秘密メニューがあって……。自由に、てきとーに味を注文しても、味の完成された一品として届くんだよ。かき氷なんか、俺なんかはいっつも、餡子(あんこ)と、抹茶と、練乳と、きなこのやつ。とか頼んでるけど。完成した味でちゃんとくるよ」
「え~うそー、それ、いいかも。でも逆にハードル高くないそれって? ま、いいや。イーサン」
秋元真夏は大喜びで、電脳執事のイーサンを呼び出した。電脳執事のイーサンとは、この巨大地下建造物〈リリィ・アース〉を統括管理するスーパー・コンピューターの総称であり、音声で様々な要求に対応してくれる頼れる電脳執事の呼称でもある。
注文した品は、〈リリィ・アース〉の所々に設置されている〈レストラン・エレベーター〉で地下二階から、最深部の地下二十二階まで常時届けられる。地上にある数軒の近隣の住宅が、実は一般住宅に見せかけた〈リリィ・アース〉専用の調理場となっていて(リリィ・アース自体も一般住宅にふんしているが)、そこから地下で繋がる〈レストラン・エレベーター〉で作り立てのフードやドリンクなどが届けられる仕組みになっていた。
現在この広大なフロアにて流されている楽曲は、チャーリーの『アイム・ゴナ・クレイジー』である。
和田まあやは、今度は熱々の牡蠣(かき)の蒸し焼きを、ふうふうと冷ました後で、豪快に口の中に放り込んだ。
「んっ‼ あっぢぃっ……、あダメだこれっ……」
風秋夕は、和田まあやを熱そうに見つめる。
「まあやちゃん、一回口から出しちゃえば? なぜまた入れるの……」
「ああっくい‼」
和田まあやはなんとかで、ぎこちなく噛みきり、口の中をカラにした。眼を真ん丸にして皆を見る。
「っああ~~……、あっぶな。口から出すところだったよ」
「いや出てたっつうの!」
磯野波平は言った。
「そんでまた食った、つうの!」
齋藤飛鳥は稲見瓶に言う。
「イナッチって、神推し、とかはないの? なんか、いっつも無機質、みたいな感じしてるけど……」
「無機質?」稲見瓶は、軽く喉を鳴らした。「まあ、強いて言えば、今の神推しは、まあやちゃんと、ひなちまがそうなるかな」
秋元真夏はきく。
「卒業しちゃうから?」
稲見瓶は首をふった。
「卒業するから神推しなんじゃないよ。みんな、失う寸前に気づくんだ、それが自分にとってどんなに尊い存在だったのかをね」
「あっぢいい‼」
和田まあやは苦悶の表情で叫んだ。口の中には蒸したての牡蠣がある。
「だ、なんで一気にいこうとすんだよまあやちゃん!」磯野波平は焦る。「学ぼうぜぇ、危険だぜ? マジで!」
姫野あたるは、黙ったままで、ウェットティッシュを和田まあやの前に差し出した。
「んええ? あ、ありがと……、ああっちぃ~」
磯野波平はチラ見で姫野あたるの顔を見てから、鼻を鳴らした。
「会話しろ、会話ぁ~……。まあやちゃんはちゃんっとぉ、ここにいる、てわっかるからよぉ……」
姫野あたるは涙をいっぱいに溜めて、その大声を叫んだ。
「ま、まあやちゃん殿(どの)! 小生(しょうせい)、まあやちゃん殿が大っ好きでござる! ゆえに、この卒業に多くの想いが詰まってござる!」
「はあ……」
和田まあやは、お得意の、きょとん、とした顔をする。
「卒業しないでほしいでござあ痛ってぁ~ええぃ!」
身体を乗り出した姫野あたるの頭を、磯野波平が殴り、風秋夕がしゃべり始めた。
「ダーリンの言いたい事もわかるよ、だけどさ、ダーリン、まあやちゃんはもう決めたんだよ。11年間活動してた人間が決めた決定だぜ? そんなの、悲しさごときで覆(くつがえ)せるか? 聞いてんの、ダーリン……。聞こえてんの?」
姫野あたるは、顔を極めながら、頭を激しくさすりながら体勢を整える。
「聞こえてござる……。ただの悲しさではござらん! 11年分の、悲しさでござる……、それは、悲しさを雪に例えるならば、大雪も大雪、大災害でござる……」
「なに、これ……。褒められてんの?」
和田まあやは、そう言ってから苦笑した。
「あのっさ、も、卒業とかそうゆうんは、も、決めちゃったからさあ…、てか、も発表しちゃったし。あカキフライお願いしますイーサン」
畏まりました――と、電脳執事のイーサンのしゃがれた老人男性の声が応答した。
「もっとさあ、アンダーとか、後輩ちゃんの事よろしくですよ。あまあやが卒業した後もよろしくですけど、ふふん」
和田まあやは、はにかんで笑った。
稲見瓶は、和田まあやを見つめる。
「ぐるぐるカーテンでね、開いた窓~~、吹~き込んだ風が~~、ていう歌詞がある。まあやちゃんはある時期までずっと、開いた窓を、未来卵(みらいたまご)と思い込んでいたらしい。実際に未来卵と、そっちの歌詞でぐるぐるカーテンを歌ってたんだよね」
和田まあやは「うふん」と頷(うなず)いた。
「えずっと間違えてた……。いつの神宮だったかな、それまでずっと間違えててぇ……」
「未来卵ですか……」
駅前木葉が、久しぶりに囁(ささや)いた。