恐竜の歩き方
伊藤理々杏はおどける。
「えぇっ、だってまだぁ、ぎり二十歳になったばっかりだからぁ……」
ルピーの『テンプテッド・トゥ・タッチ』が、広大な地下二階フロアを賑わしている。
「金玉って何で二個なんだよなあ? でっけえ一個でもよくね?」
「うるっせえなてめえはさっきっから! ハ~ウスっ!」
「じゃシカトすんじゃねえこのいじめっ子野郎っ!」
樋口日奈は長いまつ毛を瞬きさせて、黒見明香をじっと見つめる。
「黒見ちゃんは、ほんとに、まっすぐというか、何に対してもまっすぐだし、私一番凄いと思うのが、乃木坂のぉ、先輩とかがぁ、出てるテレビとかぁ、ちょっとでも出た舞台とか、ちょっとでも出てる番組とかもチェックしてぇ、ブログに書いてくれたりぃ、乃木坂への愛っていうのがぁ、ほんっとにぃ、凄い、強いなあって、思うからこそ、いっぱい、乃木坂生活楽しんでほしいなあって、みんな見てるから、そのがんばりを」
「ヤバい泣きそう!」
黒見明香は、くしゃと、鼻筋に皺(しわ)を作った笑顔で泣きそうになった。
今度は和田まあやが、笑顔で黒見明香を見つめて言う。
「黒見ちゃんはねえ、なんかぁ、楽屋の黒見ちゃんとかこうリハの黒見ちゃんとかは、なんかほんとに変わってる、変わってるよね? なんかそれをー、もっといっぱい~、出していってほしいな、っていう。まだ緊張してぇ、こう構えちゃうと思うんだけどぉ、くろみんってくろみんしか持ってない面白さがあ、いっぱいあるから、肩の力を抜いて楽しんでほしいなって思うな」
満面の笑みで、黒見明香は「ありがとうございます!」と応えた。
和田まあやは微笑み返す。
「がんばれえ~!」
「がんばりまーす! 嬉しい……」
稲見瓶は、樋口日奈に微笑んで言う。
「さあ、次はりりあちゃんが待ってるよ」
樋口日奈は、伊藤理々杏を見つめて微笑んだ。
「私はもう理々杏は~、りりベイビーって呼んでるぐらい、えっへへ、舞台セーラームーンで一緒だったけど、一緒に舞台やってからはぁ、も、ほんとに、赤ちゃんのようにみんなで可愛がってたんだけど、もう今は一人で~、舞台もこなしてえ、乃木坂の方のお仕事も大変なのに、こういっぱいいっぱいになりながらも、ちゃんと、なんだろうなこう、逃げないというか、休んだりしないのよ、ほんとに。それがぁ、カッコイイなーって思うし、その根性がほんとに私は好きなのでえ、自分が、ダメにならない程度に、変わらず、がんばり続けてほいしなって思う。絶対、その演技の方で柱になってくる人だと思うから。応援してます」
「ありがとうございます。ヤバいヤバい!」
伊藤理々杏は、今にも泣きそうな、実に幸せそうな笑みを浮かべていた。
和田まあやが、伊藤理々杏の事を見つめて、話し始める。
「でも、ほんとにね、がんばり屋さんで、ちまも言ってたように、がんばりすぎちゃって気づいたらこう爆発しちゃってるっていうふうにならないのが、一番こう、だいじょぶかなって見ちゃう事があるから、なんか沢山SOSを出してみんなに相談してほしいなって、思うので、無理せず、がんばって下さい」
伊藤理々杏は「ありがとうございます。ヤバい……、んひひ」と笑った。
地下二階のエントランスフロアに、ナズft.ローリン・ヒルの『イフ・アイ・ルールドゥ・ザ・ワールド』が流れる。
姫野あたるは満面の笑みで言う。
「たまちゃんの番でござるな。ささ、まあやちゃん殿、ひなちま殿、お言葉を頂戴するでござるよ」
和田まあやは、じっくりと観察するように阪口珠美を見つめて言葉を発する。
「たまちゃんってほんとにぃ、繊細でえ、しかもきっと、嫌な事とかも、人に、言われる事があったとしても、もっとたまちゃんの事を愛してる人がいっぱいいるから、えーなんだろね……」
和田まあやは、己を見つめ返している阪口珠美に、笑顔のまま、涙で声を詰まらせる。
「んー……、みんな味方だと思ってぇ、楽しく、前を向いてがんばってほしいなって、思います」
阪口珠美は笑顔で「ありがとうございます」と、丁寧な言葉を返した。
樋口日奈が、暗黙の了解で、阪口珠美への言葉を綴(つづ)り始める。
「私はでもぉ、珠美がオーディションの時からぁ、名前を唯一挙げてくれててぇ、そう……、私もたぶんもしぃ、三期生としてオーディションを受ける時に、こう、考えた時にぃ、きっとぉ、憧れの先輩に、第一線でえ、こう乃木坂で活動してる、子の、名前がぽっと浮かぶと思うんだけどぉ、珠美はそんな中ぁ、こアンダーだった私の名前を挙げてくれたのがぁ、ほんっとに嬉しくってえ……。なんか珠美がいてくれたからぁ、ここまでぇ、がんばろって思えた、なあって凄いぃ……、思うからあ……」
樋口日奈は笑ったまま、笑顔を崩して、声も明るい泣き声にした。
「なんかほんとに、珠美がぁ、どんな場所にいても、こう……、輝い、てるって、思ってくれる人がいるって事をわからせてくれたのが珠美だったのでぇ……、ほんとに、珠美のおかげで、私も先輩としてがんばろって、思えたなと、凄く、思う、ので、えへへ」
樋口日奈は、両手で両瞼(りょうまぶた)の目尻に浮かぶ涙をこすりながら続ける。
「きっとねえ、ちょっと同じ感じを、同じ匂いを感じるのでぇ、うん……。早く心から楽しめる日が来て欲しいなって、絶対来るから! 来るからがんばってほしい」
「沁(し)みます心に………」
「あれ、何泣いてんの珠美……」
全員がその声に振り返ると、そこには全身黒コーデの久保史緒里の姿があった。
「あらん、皆さんお揃いで……」
バスタ・ライム&マライア・キャリーの『アイ・ノウ・ワット・ユー・ウォント』が地下二階のフロア全域に流れ始める中、久保史緒里はきょとん、とした表情で、とりあえず一期生の二人に軽く会釈(えしゃく)を済ませた。
磯野波平はソファにふんぞり返った横柄な態度のままで、久保史緒里に顔を向けてにやけた。
「久保ちゃん、今な、一期の姉ちゃん的な言葉を贈る会してたんだよ……。感動的だったんだぜ……。それよりよ、金玉って何で二個なんだよなあ?」
「それやめんか!」
「はい?」
久保史緒里は、呆(あき)れた顔でソファに鞄を置いた。
11
二千二十二年十月三十一日――。乃木坂46樋口日奈卒業セレモニー。――当日。〈リリィ・アース〉地下六階の〈映写室〉に集結した乃木坂46ファン同盟の十人は、その映画館のような高い天井の空間で、今か今かと、その瞬間を心待ちにしていた。
風秋夕は比鐘蒼空に言う。
「どこで仕事見つけたの? 誰かの紹介?」
「紹介というか、バイトルで……」
比鐘蒼空は無感情で答えた。
「バイトルか。じゃ間違いないな」
「いい本屋ですよ、でもほんと。気にされないし、接客もあんまりないし、おいらは空気になって作業してます」
「へ~、色々がんばってんだな、ファン同盟も……」
磯野波平はリクライニング・シートにふんぞりかえりながら、来栖栗鼠に言う。
「一日一回は俺を尊敬したまえ。日に一回は俺をハンサムだと声に出して言うんだよ僕。わかったかい?」
来栖栗鼠は困った顔で、返事をする。
「え~~、嫌~だな~~」
磯野波平は真顔で来栖栗鼠を振り返る。