恐竜の歩き方
「飛鳥ちゃーーんっ! ひーなーちーまーっ!」宮間兎亜は必死に、夢中になって叫んでいた。
「皆さん、お美しいですわよ………」御輿咲希は、口元を手で隠して、泣き始める。
「忘れませんっ! ひなちまさんっ! ひなちまちゃーーーん!」駅前木葉は、曇るメガネを気にも留めずに、必死でオレンジと紫色のサイリュウムを振り下ろした。
「ひなちま………」比鐘蒼空はパフォーマンスに圧倒されている。
「………」稲見瓶は、メガネを外して、腕で涙をぬぐった。
稲見瓶は、涙が止まらなかった……。
こんな人がいるんだと知った。
やがて、長い時が経つと、こんな人になりたいと思った。
母親から注(そそ)がれた、底の無いの愛に似ていた。それは無償(むしょう)の愛……。俺や夕達、ファン同盟のみんなや、世界中の乃木坂のファン達がひなちまに注いでいる愛も、その無償の愛とおんなじものだ。
その愛は相互作用(そうごさよう)のように反応し、膨(ふく)れ上がって、やがては涙を生産する……。
終わりのない始まりは無い。途中で終わってしまったのならば、いつか必ず、誰かが続きをやる。そうして時間は継続を構成させていく。
俺の、ひなちまから貰った大切な、無数の思い出は、俺を構成する一要素となって、濃い色になり、優しさと呼ばれる性質へとやがては変わる。
ひなちまがくれたものだよ。
涙が止まらないんだ……。
影響が世界を創っている。科学も、文化も、娯楽も、愛さえも――。影響の無い進歩なんて存在しない。影響力を受けていない進化なんて、この世には存在していない。
影響は選べる。だからこそ、それは受け取った人のものになる。
俺はひなちまの優しさを選んでいたらしい。自分には少し足りなかった要素だったのかもしれない。
俺が何かを愛する時、ひなちまと出逢う以前の昔と比べて、自然と優しい感覚で包み込むように、それらを見つめるようになった。心地のいい感情でいられる。
ありがとうじゃあ、もう足りない。
だから涙が止まらないんだ……。
本来ならば、連れ去って、奪い去って、何処かへと隠れてしまいたい。
これが愛というのなら、俺は今失恋しているのかもしれないね。
よし、じゃあ、そろそろ見送ろう。この瞬間に立ち会えているだけでも感謝が尽きないんだから。
それは、君を見送る為に存在する時間なんだから。
卒業、おめでとうございます――。
大好きです……。
「ひなちま、卒業、おめでとう………。ひなちま~~っ‼」
稲見瓶は、メガネに飛び散った涙をものともせずに、その名前を叫び続ける。いつか覚えた初恋の痛みを思い出しながら……。
VTRが流れる。
散らかったところを見逃さない。
皆のお姉ちゃんみたいな存在。
辛さを乗り越えた時の強さを持っている方。
樋口日奈が涙を流して語る特別な後輩、その名前は、阪口珠美――。
見てくれてる人がいるんだと思ったら、力が出るし。
出逢えて良かったな――と、思いますね。
泣き崩れた阪口珠美のセンターで『口ほどにもないキス』が始まった――。大きな笑顔で歌う樋口日奈……。泣きべそを浮かべて歌う阪口珠美……。特別な縁で結ばれたこの二人が、忘れられぬ感動を呼び起こしていく……。
楽曲が終了すると、樋口日奈は言う。
まさか11年間、自分が乃木坂でいられるとは思わなかったんですけど、ずっと隣にいてくれた、まあやの存在が大きかったです。
樋口日奈は、笑みを浮かべて言葉を捧ぐ。
『まあやは今日ここにはいないんですけど、アンダーライブで全国を回ったり、初選抜も一緒だったり、兄弟みたいに共に過ごしてきました。そんなまあやの事も心に置いて、次の曲を歌いたいなと思います……』
樋口日奈は、いつの間にか、流れていたその涙をぬぐう。
その時――。
『お~~~い!! ここだよ~~!』
和田まあやが、明るくステージに特別出演するというサプライズが起きたのであった。
樋口日奈は『皆さんをびっくりさせようと思って、まあやの話したんだけど、来るってわかってるのに泣いちゃった……』と笑った。――続けて『本当にまあやと一緒にやりたい曲があったんですよ。本当に私の夢だった……』と清々しい笑顔で語った。
最後に、かっこよく二人で、終わりたいと思います――。
『じゃ、やろっか?』と樋口日奈。
『うん』と和田まあや。
樋口日奈と和田まあやの『孤独兄弟』が始まる――。紫の花柄のロングドレスに、革のジャケットを着込んだ二人。
間奏に入ると、樋口日奈は、和田まあやに語り始める……。
『まあや、ここでお話したい事があって……。まずは11年間一緒に、私達がんばってきたね』――微笑む両者。樋口日奈は、言葉を続ける。『まあやには言った事なかったし、まあやは私の知ってる事を知らないと思うけど……。選抜とアンダーで分かれて活動するようになった時、私は凄くまあやが心配だったんだけど、『ちま、おめでとう』って一番に言いに来てくれた』
『私には笑顔しか見せなかったけど、あとから聞いた話で、まあやがある日泣いて、会社に入れなかった日があったって聞いて……。その時まあやは、スタッフさんに『ちまには絶対に言わないでね。心配するから』って言ってたというのを知って……。まあやって、何て優しいんだろう、て思ったし、まあやの底知れぬ優しさに、ずっと私は気づかないところでも支えられてたんだなっていうのを、改めて感じました。本当にまあやに乃木坂で出逢えて良かったし、最高の、自慢の親友です』
樋口日奈がそう伝え終えると、堪えられずに涙をみせていた和田まあやと、二人はグータッチし、熱いハグを交わした――。
手を繋ぎ合いながら『孤独兄弟』を歌いきった二人は、もう一度ハグを交わすと、樋口日奈が『嬉しいね。お姉ちゃんメンバーの曲を当時の年少メンバーが歌えるって』と、夢を叶えた大きな笑顔で喜びを共有し、共感し、噛みしめていた。
姫野あたるは、樋口日奈を尊く見つめ続ける。その涙が、また、一つこぼれた……。
小生は、小生は……僕は。
前を向いて行こうと思う。僕は君に救われた……。
ここまでの長い長い道のりも、ずっとずっと、随分と君に支えられた……。
だからこそ、前を向いて、歩いていこうと決心できた。
まだまだ弱い僕だけど、君の笑顔に相応(ふさわ)しいファンになろうと本気で思ってる。
あんなに激しい、心の痛みが走る暗夜行路(あんやこうろ)にいたはずなのに……。
君は現れた――。
マントを羽織(はお)った正義の味方ではなかったけれど、君と出逢い、君が泣いたり笑ったりして、僕も一緒になって、泣いたり笑ったりを繰り返した。
それが人生なんだと、人生はそれでいいんだと、僕は君に気づかされた。
心を病んで泣いていても、心を癒すように笑っていても、どっちもおんなじ一日で。
どっちもおんなじ一年で。
どっちもおんなじ11年なんだ。
だから僕は心から笑ったよ……。心から、泣いたんだよ……。
僕は今、幸せだよ、ひなちま……。
永遠に君を大好きでいる。
約束さ。
マイヒーロー………。