恐竜の歩き方
「ひだぢば~~! ひばぢば~~~! っぐん、っくぅ、ひぃーなぁ~ぢぃ~まあぁ~!」
姫野あたるは大声でその名を叫びながら、大きな笑顔を浮かべていた。一向に止まろうとしない、その大粒の涙と共に……。
樋口日奈は、改めて言葉を捧ぐ。
『卒業セレモニーをやらせていただくにあたって、改めて、自分の乃木坂人生11年分を振り返ったんですけど、その時に、今まで嬉しい事よりも、辛い出来事の方が多かったはずなのに、今、思ったら、全部が、その全てが、美しい思い出だったなって、思えている自分がいました』
『それはきっと、その時々で支えてくれるメンバーとか、友達とか、スタッフさん、そして、応援して下さるファンの皆さんの存在があったからだなと改めて思いました』
『今日、こうして会場に来て下さっている皆さん、そして配信をご覧の皆さんは、11年間のどのタイミングをきっかけに私を知ってくれたのかなって、1人1人思うと、涙が止まらないです……』
『イベントとかコメントとかで『今、受験勉強中だよ』とか『進学したよ』とか『就活中だよ』とか『就職したよ』とか、後は『恋人ができたよ』とか『結婚したよ』とか『子供が出来て、お父さん、お母さんになったよ』って、そういう近況を皆さんから教えてもらった時に、一緒に年を重ねている気がして、凄く嬉しかったなって、今でも思い出します……』
『後は、最近私を知ったよって言ってくれて、私を見ると『笑顔になるよ』とか、『元気を貰えるよ』って、そういう言葉に今日まで沢山助けられてきたなって改めて思いました。本当にありがとうございました』
『そうやって乃木坂での活動を通して、沢山の人の人生に関われたこと、そして、沢山の人に私の人生に関わってもらった事、本当に本当に、幸せに思います……。これからも少しでも多くの人に、元気や笑顔を与えられるような、そんなきっかけの一部になれるように、強く生きていきたいなと思います』
『本当に今日まで携わって下さった皆さん、応援して下さった皆さん、ありがとうございました……。最後は強い気持ちを持って、強い意志を持って、この大好きな乃木坂46から旅立ちたいなと思います』
聴いて下さい……。
きっかけ――。
樋口日奈のセンターで『きっかけ』が始まる――。彼女の隣には、和田まあやが、1期生が、2期生が、彼女の後ろには、乃木坂46が……。
美しい時間ほど、それはすぐに過ぎてしまう。まるで、それは青春のように。
秋元真夏のMCで、樋口日奈は最後の挨拶をした。
本日は、ありがとうございました――。
涙を浮かべながら手を振る樋口日奈……。きっかけのメロディが流れる中で……。
ありがとう、バイバイ、が響き渡った……。
風秋夕は、樋口日奈の背中を見送ると、その面影を追いかけ、思う……。
どうだった、ひなちま……。乃木坂46としての11年間……。
ひなちまに出逢えって、恋をして……。こっちは、最っ高の11年だった。
確かに君がいたんだと。一瞬も忘れないと胸を張れるだけの恋をした。
それは本当に、まるで何秒間のほんの夢の出来事のようで、熱い熱い確かな時間だった。
ねえ、ひなちま。幸せって、すぐそばにあるのかもね。
なんか、そんな気がした。俺にとって、それが乃木坂であって、ひなちまだった、て事だよね。
何か、壮大(そうだい)な何か、答えのような何かが、今少しだけ、わかりかけた気がした……。
ひなちまがどうして泣いたのか、とか。どうして笑ってくれたのか、とか。
乃木坂を、どうしてこんなにも好きになったのか、とか……。
俺は愛してやまない最愛のペットを亡くした時、一回心が死んでる。それは、愛を失ったと思い込んでしまったからで……。ようやく、こんなにも時間をかけて、ようやくわかったよ。
愛は、失っていないんだって……。心の中で、この胸の中で、少しずつ形を変えつつも、変わらぬ愛しさで、それは存在し続けてる――。
ひなちまが卒業しても、11年積み重ねた恋は決して失わないものだと、気付けて本当に良かった……。
ひなちま、こんな世界だけど、捨てたもんじゃないよな。
そこらじゅうに愛は溢れてる。特に、乃木坂やひなちまの周りなんかにはさ。
行ってらっしゃい……。
心の中で、いつも一番そばにいるよ。
楽しもうぜひなちま、これが第二の樋口日奈の歩く道だ。
その道の歩き方は、もちろん、恐竜の歩き方でしょう?
地上最強の歩き方だ。
じゃあ、またね、ひなちま。少し、泣くね。
「……っ、ひなちまあぁ~~~~~~っ‼‼」
風秋夕は樋口日奈の去ったステージを見つめ続け、その声を叫び上げた。頬に、涙がぽろぽろと落ちていく……。「ありがとう」、声にならない思いを噛みしめながら、風秋夕は強く、眼を閉じて泣いた……。
すぐにクラップが始まる。
それは暗闇と化した空間に響く。
クラップ、クラップと、それは心音のように精確に響き渡る。
それは熱き魂の叫びであり、
恋焦(こいこ)がれた歴史を包む、時の結晶でもある。
クラップ、クラップ、クラップ。
クラップ、クラップ、クラップ。
その場にいるオーディエンスは、誰もが知っているのだ。
一度下ろされたその幕が、今、再び開かれる事を――。
再登場した樋口日奈は、紫色を基調とした紫とオレンジの薔薇の刺繍柄の、胸元の広いセクシーな三段スカートのロングドレスを着て……。耳に光り輝くイヤーカフの装飾を携(たずさ)えて……。愛の中に咲くひまわりのように、気高く、凛(りん)として、その曲を歌い始めた……。
その曲は、『誰よりもそばにいたい』――。
会場中が感動の渦に呑み込まれる……。
それは、あまりも儚く、あまりにも綺麗で、どうしようもなく、愛を彷彿(ほうふつ)とさせた。
歌い終えた彼女は、最後は楽しく行きたいと思います――。そう微笑んだ。
赤いTシャツに紺のスカート姿の乃木坂46を後列に飾り、『ロマンスのスタート』が樋口日奈のセンターで歌われる――。
シークレットで、乃木坂46の皆はみかんを手に持っていた。大きな花束を受け取り、オレンジと紫色のサイリュウムの輝く宇宙空間のような煌(きら)めきの中、ステージの中央には、特大のケーキと、その上には、装飾として飾られたみかんが……――。
秋元真夏のMCで、樋口日奈とのトークが始まる。別のスケジュールでこれまで参加できずにいた山下美月も、なんとかライブの最後に間に合った。
キャプテンが語る――。
『寂しさがいっぱいで、ちゃんと話せるかわからないんだけど、聞いて下さい……。まず、さっきも1期生と2期生で話した時にも伝えさせてもらったんだけど、ちまは後輩はもちろんだし、同期のメンバーにも、年上のメンバーにも、大きな愛で包み込んでくれて……』
『個人的な話にはなっちゃうんだけど、私がキャプテンになった時。引っ張っていくのがあんまり得意じゃないとか、いろんな悩みを抱えて活動していた時に、何かを察するのか、そういう時にいつも近くに寄ってきて『大丈夫?』とか、何か明るい前向きな言葉をかけてくれたのが、私の中で凄く印象的で』