恐竜の歩き方
『こんなにありきたりな言葉でまとめちゃいけないかもしれないけど、本当に優しさの塊みたいな人だなって……。私だけじゃなくてメンバーもそうだし、たぶんここにいるファンの皆さんも、観てくれてるファンの皆さんも、全力で頷いてくれるぐらい、本当にその言葉で表せる人だなって、ずっと思っていました』
『最近、スタッフさんと話している時に『ちまと一緒にお仕事した人は、好きにならないわけがないよね!』って話をしてて、私も本当にそうだと思って……。そばにいてこんなに素敵な人にあった事なんてないし、こんなに愛でみんなを包み込める人に出逢った事ないから』
『どこからそんな魅力って出てくるんだろうって不思議なくらい、原動力がとんでもなく沢山あるなって事を感じたし、知っていけば知っていくほど、ちまの心の広さとか、優しさに触れる事が出来て、沢山助けられたなっていう印象だったんだけど』
『11年間の中で私が凄く印象的だったのが、やっぱりこれだけグループをやっていると、グループとして途方に暮れて、目標が何処にあるかわからなくなってしまう事とかも沢山あったけど、そういう時にちまは、グループを客観的に見て少し先で笑顔で『こっちだよ』って旗を振ってくれていた印象があるから……。そんなちまにみんなが助けられて、方向を見失わずにやってこれたなっていうのが、本当に本当に、感謝の気持ちでいっぱいです』
『ここまで、本当に自分を犠牲にしても、みんなの事を守って来てくれたちまだから、ここから先の私達メンバーの願いは、ちまがちま自身の事だけを考えて、本当に幸せになってほしいなって思うから……。それを約束してまた、次の道に進んでもらえたら嬉しいなと思います。本当に11年間、ありがとうございました!』
乃木坂って、本当に、素敵な場所だなって、思います……。
それでは、最後の曲、聴いて下さい……。
乃木坂の詩――。
後ろを向くな!
正面を見ろ!
本日は本当に、ありがとうございました――。
後ろを向くな!
正面を見ろ!
自分を信じて、前へ進むんだ。
名もなき若者よ、夢ならここにある。
乃木坂の詩。
乃木坂の詩。
僕らの詩――。
最後に、樋口日奈からファンへのメッセージが贈られる……。
『本日は本当に、観て下さって、来て下さって、ありがとうございます。乃木坂には皆さんが欠かせない存在というか、本当に皆さんが、私達の頑張る糧になっていますので、11年間、みんながいたから、頑張ってこれました。本当に、最高の思い出を、いっぱい、ありがとうございました……。また、皆さんと会えるように頑張るので、忘れないでもらえたらなと思います。これから私も皆さんと一緒の立場になって、乃木坂46を応援していこうと思いますので、ここにいるメンバーの事を、どうかよろしくお願いします』
本日は本当に、ありがとうございました――。
オーディエンスが、ひまわりの柄の、樋口日奈への温かいメッセージの書かれたメッセージボードをかかげている――。
樋口日奈は驚きを見せて、感動し、笑顔で『ありがとうございます』と、そう言った。
ステージを後にする乃木坂46と、樋口日奈。
これでライブは終了かと思われたその時――。会場に参戦したオーディエンスの度重なる熱い熱いアンコールで、樋口日奈はそれに応えるように、笑顔で再度、ステージに戻って来てくれた。
連続して発破する打ち上げ花火のような、盛大な拍手が鳴り響く……。
本当に、沢山の愛をありがとうございました。涙ながらにマイクでそう言った彼女は、今度は、マイクを使わずに……。
皆さん、ありがとうございました――。と地声で大きな声を張り上げた。
割れんばかりの盛大なる大拍手が湧き起こる……。
何度も何度も、明るい笑顔で感謝を告げながら、樋口日奈は、11年間という壮大な夢の時間に幕を閉じるようにして、そのステージを降りていった。
12
秋の紅葉も見納めかと、寝ぼけながら夢から眼を覚ました樋口日奈は、〈リリィ・アース〉の地下三階にある自室で眠り込んでいたらしいと、ベッドの上で自覚した。
徐々に脳細胞が活性化してくる……。
そういえば、昨夜、己の卒業セレモニーを無事完了とし、乃木坂46を卒業したのだった。
樋口日奈の眠気眼(ねむけまなこ)に、自覚の光が差してくる。
「そっか……。卒業、したんだっけぇ……」
樋口日奈はおもむろに冷蔵庫へと向かい、冷蔵庫を開いてみたが、何もなかったので、「あ、そうか、家じゃないんだ」と呟(つぶや)きながら、電脳執事のイーサンを呼び出してアイス・カフェラテを注文した。
顔を洗って洗面所から戻ってくると、徐々に記憶が鮮明な物へと変わっていった。
確か、夜の19時30分に、〈BARノギー〉に行くんだっけ……。
壁の時計で時刻を確認すると、時刻はPM18時59分であった。
急いでメイク道具を探し、メイクを開始する。洋服は昨日ここに着て来た私服が整ったままハンガーにかかっていた。
電脳執事のイーサンのしゃがれた老人の呼び声で、アイス・カフェラテをキッチン・テーブルに付随した〈レストラン・エレベーター〉で受け取った後は、喉(のど)を潤(うるお)しながら、残りのメイクを完了とさせ、素早く着替えを済ませて、その部屋を出た。
地下三階フロアの星形に五台並んだエレベーターのうちの一台に乗り込んだ頃、時刻は約束の時刻の8分前であった。
地下八階の〈BARノギー〉の自動ドアが開閉すると、乃木坂46の『シークレットグラフィティー』が賑やかなBGMをかき立てていた。
薄暗い柿色のライトとブラックライトの蛍光色だけが発光する店内の奥の方に進むと、内側に半円にカーブした独創的なBARカウンターに、風秋夕達の姿があった。
樋口日奈が風秋夕の背中を見つけ、声を挙げようとした時、カウンター席の手前側のテーブル席に、乃木坂46の5期生達がいるのがわかった。
店内を進むと、樋口日奈に気づいた5期生達から元気の良い挨拶が飛び交った。樋口日奈は、少しだけ驚きながらも、風秋夕の背中に手を掛ける。
「なーんで上半身裸でいんの~?」
樋口日奈は、振り返った風秋夕の笑顔にきょとん、とした顔で言った。
風秋夕は口元を引き上げて笑いながら、肩越しに左手の親指で、背中のタトゥーを指し示した。
「梟(ふくろう)の、握ってる宝玉(ほうぎょく)、ほうぎょく、ていうその玉の中に、俺の好きな人の名前が彫ってある……。約束だから、見せるね」
樋口日奈は、瞳を大きく見開いて、「ああ~!」と声を挙げながら、じっくりと風秋夕の背中を観察した。
「そういう事だあ?」
「うん。隠しててごめんね」
風秋夕は「座って」と己の右隣りの椅子を右手で紹介してから、青いYシャツをすぐに着こんだ。引き締まった細身の筋肉質な身体がしまわれて、5期生達の視線も風秋夕から、話題の方へと移された。
「え、飲み会? これデート?」
樋口日奈のその言葉に、彼女の右手側に座っている磯野波平が、顔をしかめて樋口日奈を呼んだ。
「デートってよぅ、ひなちゃんよー、こんな人数でデートって言わねえでしょう~……」