恐竜の歩き方
各々が現在飲んでいるドリンクを答えた。
「ひな、ずんだシェイク、飲みたいかも! ライブで飲めるかもしれないの! 真夏の全国ツアーで!」
樋口日奈は笑みを浮かべて、瞳をきらりと光らせていた。
「あるよ」
風秋夕はにこっと微笑む。
「ツアー前に、先に味見しとこっか? 現地のと味も全然別物だろうし。よし、イーサン」
何処からともなく、しゃがれた男性老人の声が応答した――。この声は、電脳執事のイーサンのものであり、イーサンとはこの巨大地下建造物を統括管理しているスーパー・コンピューターの総称でもあった。イーサンは近代科学の結晶であり、何百という種類の人格をも持つ。今は人格を『イーサン』に設定されている。彼は姿こそ見えないが、音声に対して全ての注文に対応してくれる頼れる執事なのである。
イーサンに注文した主に飲食などは、一般的な一軒家に見立てて建てられている〈リリィ・アース〉の地上一階の近隣住宅、数軒から、地下で繋がる〈レストラン・エレベーター〉にて〈リリィ・アース〉の地下二十二階まで、至る場所に設置させている〈レストラン・エレベーター〉に届く。近隣の住宅数軒が、実はここ〈リリィ・アース〉に雇われている腕自慢のシェフ達の調理場になっており、二十四時間、いかなる飲食の注文にも完璧に作り立てを届けてくれる。
〈リリィ・アース〉からの注文が無い間は、飲食の宅配販売を経営しているらしい。
齋藤飛鳥は澄ました表情で、しれっと肩を組んできた磯野波平の腕の皮膚をつねくった。
「痛でっ‼」
和田まあやは、樋口日奈を笑顔で見つめる。
「え、ちまぁ、ご飯は? まだ?」
樋口日奈は片手をそよがせて、苦笑する。
「んなわけないじゃ~ん。今何時よ? て感じよ……。ちゃんと食べてきました~」
「ここの牡蠣(かき)美味しいよ、蒸してあんのがいいね、まあ的には」
「あ~ん牡蠣かあぁ~……」
樋口日奈は、考える。
秋元真夏は、樋口日奈に微笑む。
「ひなちま、私のライン、シカトしたでしょ?」
「え! してないしてない。してないよう?」
樋口日奈はおろおろと笑みを浮かべる。
「痛でぇっ‼」
一方、こちらでは齋藤飛鳥の腰に、己の腰を合わせてソファに座り直した磯野波平が、沈黙している齋藤飛鳥に、強烈なつねり攻撃を太ももの薄皮に食らっていた。
電脳執事のイーサンの知らせがあり、〈レストラン・エレベーター〉に、樋口日奈の今宵の〈リリィ・アース〉でのファースト・ドリンクが到着した。
稲見瓶は、颯爽(さっそう)と丁寧(ていねい)な動作で、樋口日奈の注文したドリンクを、彼女の座るテーブル・サイドへと運んだ。
「ありがとねん、イナッチ」
「どうぞおかまいなく」
フロアに、軽快なサウンドのケヴィン・リトルの『ターン・ミー・オン』が流れる。
和田まあやが、樋口日奈に言う。
「牡蠣食べればいいじゃん、頼もうか?」
「あ、ううん。……まだ、いいや。考えとく」
樋口日奈は美しく笑った。
風秋夕はにやけて言う。
「じゃあみたらし団子、十個食べちゃう?」
樋口日奈は、一瞬だけ、驚いたような顔をした。
「いや食べない食べない、なんで十個?」
駅前木葉はしゃべり始める。樋口日奈は、自然と駅前木葉へとその顔を向けていた。
「ちまちゃんさんが、収録での事で、落ち込んでいた時の事です……。その日、落ち込んでいるちまさんを、更に帰りのバスがちまさんを乗せないまま、置いて帰ってしまうというハプニングが起き、ちまさんはどん底まで落ち込んでいました。その時です」
樋口日奈は「はいはい」と微笑んでいる。
姫野あたるも笑顔で数度、頷いていた。
駅前木葉は続ける。
「今昔庵(こんじゃくあん)のマスターが、ひな、大丈夫か? と、優しい声をかけて下さったんです。その時、今昔庵のマスターがくれたの物が、みたらし団子、十本でした」
「ブラボー」
風秋夕は満足げに拍手した。
樋口日奈は駅前木葉と、風秋夕の顔を交互に確認するように見る。
「よく憶えてるね~~……。そういうのって、どうやって記憶してるの?」
「いや愛しい思い出だよ」
「遠足の思い出よりも、記憶には新しい記憶ですし。ちまちゃんさんの事なら忘れたりしませんよ、ふふ、笑止!」
興奮し、白目をむいて顔面凶器と化した駅前木葉に、樋口日奈は慣れた感じで笑い飛ばした。駅前木葉は興奮すると、顔の筋肉組織がコントロール不能になり、下品な笑みを浮かべる事を防ごうと、顔の筋肉が勝手に緊張してしまうのである。鎮静すると、表情も落ち着く。興奮時、下品な笑みを堪える時に「笑止」と口ずさむのが特徴的である。
「んぶ、しょっ、笑止!」
風秋夕は嫌そうな顔で駅前木葉を一瞥(いちべつ)している。
「ねね」
秋元真夏がメディア時とはまた違う自然な笑みで言う。
「何だかんだいって、一期生集合しちゃったね!」
「これが、これから二人になるんですよ……」
齋藤飛鳥は、上品にアイス・コーヒーを飲みながら囁(ささや)いた。
「ねーほんと、もちょっと、先に延ばしちゃわない? あ、卒業延期って、また発表すれば?」
秋元真夏の言葉に、樋口日奈と和田まあやは大袈裟(おおげさ)に苦笑した。
「ああ、なんか! なんか! なんかなんか! なんか!」
齋藤飛鳥はテーブル上のインスタント・コンロの鉄板上で焼け焦げている大きな肉塊を見つめてパニックしている。
「あーひっくり返して!」
和田まあやは焦げていく肉塊を見つめながら大きな声で言った。
「箸(はし)どこ? てかトング?」
秋元真夏はソファから立ち上がって、テーブルを見下ろして、トングを隈(くま)なく探す。
「トングどこ!」
樋口日奈は、テーブルから半分腰を起き上がらせて、皆の顔を見る。
「あ、まあや持ってるじゃ~ん!」
樋口日奈の柔らかな指摘に、和田まあやは己の手にあったトングに短く驚愕(きょうがく)した。
「早く早く」
齋藤飛鳥は焦りながら急かした。
和田まあやは「なぜ、まあやが持ってたんだろう?」といった類の言葉をぼそぼそと洩らしながら、器用な手さばきで、A5牛の肉塊を鉄板の上でひっくり返した。
「あ~~!」
和田まあやは叫んだ。皆も個性的な悲劇のリアクションを取っている。
A5牛の肉は、上になった部分が木炭(もくたん)のように固く分厚く焦げ固まっていた……。
「切れば大丈夫、まだいける。いけるよ!」
樋口日奈はそう言いながら、テーブルの上にナイフ的な物がないか、眼で探す……。
「あ、真夏。ナイフ持ってる、切って切って!」
樋口日奈の冷静な指摘で、秋元真夏は、てきぱきと、炭(すみ)と化した肉塊の部位を切り取っていく……。
「あ~あ~、絶対、味落ちたな」
齋藤飛鳥はけけっと笑った。
広大な空間にジェニファー・ハドソンの『スポットライト』が流れる。
「ねえ、お皿、ちょと並べてて。これ切り分けちゃうから、あ、ねえまあや、牡蠣食べるの後にしてさあ」
「だって冷めちゃうもん……」
秋元真夏が肉汁の溢れるA5牛のステーキを、女子の人数である五人前、多角形にカーブした大きな五枚の平皿に取り分けていく。
樋口日奈は鋭い眼差しで言う。
「真夏こぼすよ、ひじ」