二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

ポケットいっぱいの涙

INDEX|7ページ/11ページ|

次のページ前のページ
 

「久保先生の知らないところでは、久保先生の知らない、厳しい現実が起きてるの……」山下美月は、また一段と強く、久保史緒里を見つめた。「お金がない人、この世に、これ以上の弱者はいない……。そんな弱者が、要介護3のケアを受けるのには、デイケア自体の回数を減らしていくしか、もう手は残されてないの!」
「………」
「要介護度が、1つ下がれば……、食べられるご飯もあるんだよ」
 山下美月は、眉間(みけん)を力ませて。
 久保史緒里は、澄ました冷たい視線で。
 お互いを見つめた――。
「不正な診断は、できません」
「不正な診断じゃなくて、この場合は正当な判断でしょう?」山下美月は前のめりになって訴えかける。「要介護度を引き下げて、デイケアの回数を増やしてあげた方が、愛宕さんのケアがより手厚くなるって言ってるの」
「誰が言ってるんです?」
「……私が、言ってるの」
「誰と話をして?」
「………」
 久保史緒里は、突き刺すような視線で山下美月を見つめる。
「愛宕さんのご家族は? なんて言ってきてるんですか?」
 山下美月は、小声で言う。
「連絡は、取れてないの……」
 静寂な室内には、それでも充分に声は聞き取れた。
「でも必ずもう一度、愛宕さんの息子さんと連絡は取ります。その時に報告してあげたいの、要介護度が下がって、介護負担金が少し減りましたよって」
「わからない……」久保史緒里は、腕組みをした。「なんでそこまでへつらうの? 多くの患者さんの1人じゃないですか。そんな、別に大金持ちだけがここのデイケアを利用してるわけじゃないですし、そりゃ、お金に余裕のない人も多かれ少なかれ、いると思いますよ……。じゃあ、その全ての人達の金銭面まで面倒見るつもりですか?」
「私は、ただ……」
「山下先生がおっしゃっている事は、そういう事ですよ?」
「お願い、わかって……」
 山下美月は、躊躇(ためら)うようにして、頭を下げた。
「やめて下さい」
「やめないよ、わかってくれるまで……」
「そういうの、ほんと……。やめてって言ってるでしょ」
 久保史緒里は、耳からメガネを外した。
 山下美月は、椅子に座ったままで、頭を下げ続ける。
「連絡が取れないんだよ……、愛宕さんの息子さんと……。パンとジュースしか食べてないって言ってた……。愛宕さんには、日に二回、食事を与えて、自分は二日に一食だって……」
「ほんとうに?」
 山下美月は、その真剣な顔を上げた。
「本当だよ……。知らなけれそれは仕方ないけどさ、知っちゃったんなら、私たちって、医学を学ぶ前に、そもそも人間だったでしょう? 人間として、久保先生に理解していただきたいんです……」
「人間としてって………」
「お願いします……」
「………」
「お願い……」
「……わかりました」
久保史緒里は、短い溜息を吐いて、またメガネを耳に装着した。
 山下美月は、顔を上げた。
 久保史緒里は、疲れたような眼で、山下美月を見る。
「主治医をおります。明日からの、愛宕さんの主治医は、山下先生にお願いします。私は、なんの責任も負いませんよ。この話も、聞かなかった事にします」
「ありがとう。うん、それでいいよ」
「面倒臭いですね」
「え?」
「できる公認心理士って」
 久保史緒里は、そう言ったあと、すぐに近場に会った患者のカルテを手に取って、そこに視線を落とした。
「用件は済みましたよね、じゃあ、お疲れ様でした」
 山下美月は、うっすらと、笑みを浮かべて立ち上がった。
「お疲れ様……。できる医者も、大変だね」
「お互い様です」
「ねえ……、私たち、もう一回、前みたいに…」
「私はドクターで、山下先生はセラピスト。それ以上でも、それ以下でもありません。お疲れ様でした」
「……。うん、お疲れさま」

       6

 十二月を迎えても、愛宕壱(あたぎいち)さんのデイケアは週2から変わる事は無く、愛宕壱さんの息子さんである愛宕誠さんとも、一切の連絡が取れない状態は続いていた。
 山下美月は、先にいた女子看護師二人に軽い会釈をみせて、女子更衣室の扉を閉めた。
「お疲れ様です、山下先生。先生、今日はこのあと、用事ありですか?」
「なんですかぁ、彼氏さんですか~?」
「は? え、彼氏?」山下美月は驚いたように、苦笑した。「そんな、みんなに彼氏がいるわけじゃないの。そんな律儀(りちぎ)な神様だと思う?」
「世知辛(せちがら)い世の中ですもんね。え~でも、山下先生に彼氏がいないんじゃ、普通の私たちはどうしたら彼氏作れるんですか~?」
「山下先生が、男たちの理想の女性の顔面偏差値上げてるんですよ~」
 山下美月は、照れるように、苦笑した。
「いい事言うじゃん。はい100点満点」
「やったあ!」
「クリスマスって事で、いっちょぱつん、といっぱいいっちゃいましょうか?」
「あ行きた~い! 行こう行こう?」
「ごぉめん、今日行くとこあんだ」
 ハンガーに白衣をかけて、代わりに白いロングコートを手に取った。
「なぁんだ、やっぱり彼氏じゃないですか~」
「これだから美人は嫌いだよ~」
 今日はクリスマス・イヴ――。今夜なら、自宅にいるはず。
 あれはSOSだった。それを見逃すわけにはいかない。私がやれる事なんて、ほんのわずかな事しかない。けれど、その些細な事から私は眼を逸らしたりなんかしない。
セラピストである前に、私は1人の人間。その人間として、悲鳴を上げたくても上げられない人たちを前に、やれる事がきっとあるはず。
「クリスマス・プレゼントは、僕だよ。とかいって?」
「やっだ~、それ好き~、あっはは!」
「お疲れ様。二人とも、じゃあね。メリークリスマス」
「メリクリ~、先生~!」
「メリ~クリスマ~ス!」
 私は今朝、出勤時に乗車してきた自家用車に乗り込んだ。キーを差し込み、エンジンをかける。シートベルトをしめて、BGMを流した……。
 カーナビを、愛宕壱さんの住所に合わせる。
 スマートフォンを鳴らしてみる。電話先はもちろん、愛宕誠さんの携帯電話だ。
 数回の電子音が鳴り終わると、電話はすぐに留守番電話サービルセンターに繋がってしまった。
 車を走らせる。
 愛宕さんのご自宅へと向かうのは、これで何度目だろうと数えてみる。とうに十数回は超えていた。いつも、電気メーターがゆっくりと動いているのにもかかわらず、玄関を叩いても、名前を呼んでも、返事も何もない。
 どうして、不信感を持たれたのか、正直わからなかった。
 己の未熟さが患者さんとの関係図におもおもと表れた結果なのだろうけれど。
 愛宕壱さんの病状は、はっきりいって悪化していくばかり。いないはずの狐を恐れたり、徘徊をしたりと、それは様々だけれど、デイケアに通い始めた頃との大きな違いは、私の事を『美月』だと、とうとうわからなくなってしまった事だ。
 レクレーションにも参加してくれない愛宕壱さんの心を救うには、愛宕誠さんの助言が、最大限に今、必要不可欠な状況だった。
 車を近くの小径に路駐した後は、小走りで愛宕壱さんの住まうアパートまで向かった。
「しお……、久保先生……」
作品名:ポケットいっぱいの涙 作家名:タンポポ