ここにしかないもの
飛鳥はまだ大きく瞳を見開いて、光葉慎弥を見つめていた。
「ピンポン」
光葉慎弥は微笑んだ。
「ねえぇ~ほぉぉんとにぃ、ひっひっひ、もお~う、ひっひ」飛鳥は鼻筋(はなすじ)に皺(しわ)を寄せてくしゅ、と笑う。「何してんのあんたぁ、いっひっひ」
「びっくりしたろ?」光葉慎弥ははにかんだ。
「しぃますよそりゃあ……、なんなのよ、あんたは……」飛鳥は指先で涙をぬぐいながら、笑いを落ち着ける。「なぁにがしたいの……」
光葉慎弥は、愛しそうに、飛鳥を見つめる。「世界で1つだけの、がんばれ。プレゼントはそっちだ。こいつは、オマケ」
光葉慎弥は、飛鳥へと歩み寄って、綺麗に包装されている小包を差し出した。
反射的に、飛鳥は小包を胸に受け取る。きょとん、とした表情で、飛鳥は胸に持つプレゼントを見下ろしていた。
「開けていいの? なに、今開けるの?」
飛鳥は大きく眼を見開いて、光葉慎弥にきいた。
「カメラなんて回ってないから……」光葉慎弥は優しげに苦笑した。「開けてみて……」
飛鳥は眼を笑わせながら、口をへの字にして、吹き抜け空間の上階のフロアを小さく指差す。
光葉慎弥が見上げると、そこにはスマートフォンで二人を撮影している人々がいた。
「っはは、まあ、いいよ。開けちゃえ」
「んわかった」
飛鳥は躊躇わずに、小包を綺麗に開いていく。
中には、【yogibo】の写真入りの広告が入っていた。
「ん?」
飛鳥は眼を真ん丸にして、光葉慎弥に首を傾げる。
光葉慎弥は優しく微笑んだままで答える。
「クッションだよ、でっかいから、ここには持ってこれなかった。言ってたろ、柔らかいの欲しいって」
「あ、言った!」飛鳥は、撮影されている事を忘れて、跳び上がる。「言ったぁ~!」
「ハッピーバースデイ」
「ありがとう~」
「………」
「え!」
光葉慎弥は飛鳥の手を握りしめて、走り出した。飛鳥も引っ張られるようにして走り始める。
「何ぃ!」
「撮られてんのもしんどいし、逃げようぜっ」
「ああ、ひっひ、おっけー……。ハァ、慎弥ぁ?」
「ん?」
「ハァ………ハァ、……大切にする」
「おう!」
「がんばったね………ハァ、お金ないのに……」
「っはは無いわけじゃねえわ」
「でも、高かったでしょ?」
「100万でもこれだって思ったら買ってるから、安いもんだ」
「ばかっ………、でも、ありがと」
3
クリスマス・イヴ。飛鳥の会社帰りに、光葉慎弥は迎えに来た。二人は迷う事無く、いつものように飛鳥の車に乗車した。助手席に座るのは飛鳥で、運転席に座るのは光葉慎弥である。
ドライブがてら、短い距離を走る際には、車内にレイチェル・プラッテンの『ファイト・ソング』をかけた。
「ねえ何処行くの?」
「ん~? 映画観ようぜ、メシ食ってからさ」
「じゃ白黒のがいいな。あ、え、クリスマスでもこんな晩(おそ)くまでやってる?」
「クリスマスだからやってるんだろ。毎日やってるけどさ……。映画館も稼ぎ時だよ。うちの工場は、春なんだけどな、稼ぎ時が……」
「……その話は、やめよう?」
「そうだな……。飛鳥ちゃん、クリスマスプレゼントは、何が欲しい?」
飛鳥は、窓の外を見つめる。
「春になっても、ちゃんと会える彼氏……」
「おお、きつ………」
「ウソウソ、なんにもいらん」
飛鳥は短く、笑顔で光葉慎弥を一瞥した。
「今年はいらない、ほんとに……」
「クリスマスだぜ、そんなわけには……」
「んーじゃあ、パリに行きたいかも」
「え?」
「イギリスに住みたいかも」
「でっけえ、プレゼントだこと……」
「いらないよ、なんにも」
「……。クマのぬいぐるみなんて、どう?」
「ぬいぐるみなんて…、埃(ほこり)かぶっておしまいじゃない。なんで? なんでしかもクマ?」
「……」
「あ!」
飛鳥は、眉間(みけん)を顰(ひそ)めて、視界をせばめて運転中の光葉慎弥を睨(にら)んだ。
「もう、買っちゃったんでしょう………」
「あは、テディベア」
「なんっで、相談も無しに………んふ。んっひっひ、テディベア」
「それ抱いてる飛鳥、想像したら、可愛かったから……、つい」
「いいよありがと」飛鳥は上機嫌で微笑む。「テディベアがいい」
「俺の、カバンの中にあるから、ちょっと出してみて。後ろに置いてある」
「ほ~い」
飛鳥は、シートベルトをゆるめて、後部座席から光葉慎弥のセカンドバッグを取った。
「ずいぶんちっせえテディベアだなあ。こん中に入ってんの?」
「うん」
「はっは、ちっさ!」
飛鳥は楽しそうに笑いながら、セカンドバッグの中を手探りで漁(あさ)る。
しかし、手探りの手応えとしては、セカンドバッグの中には、ごつごつとした物が、二つしか入っていなかった。
一つは財布(さいふ)だという事がすぐに理解できた。
飛鳥は、セカンドバッグの口を開いて、中を覗き込んでみる……。
「………」
手を入れて、中のものを掴み、取り上げる。
飛鳥の手が掴んだそれは、ティファニーのリングケースであった。
「これ……」
「結婚を前提に、付き合ってくれ、飛鳥………」
まっすぐに前を向いてハンドルを握ったままで、光葉慎弥は言った。口元が、悠然と微笑んでいる。
飛鳥は、唖然とする。
「婚約して、くれ……。して、下さい……」
「えマジで言ってんの?」飛鳥は、口元を笑わせて、その眼をいっぱいに見開いた。「マジで…、本気で言ってんの?」
「こんな冗談、クリスマスに言う奴いるかよ……」
「あっはっは、ひっひっひ……、ひっひ」
飛鳥は腹を抱えて笑い転げる。光葉慎弥は、口の先を尖(とが)らせて、むすっとしていた。
笑いの治(おさ)まってきた頃、飛鳥は、リングケースを開けてみる。
「あらら、こ~んな高そうなやつ……、相談も無しに………」
「相談したら待ったかけるだろ」
「あ~あ~……」
飛鳥は、「あ~あ~」の顔で指輪を見つめながら、己の右手の薬指に、その可愛らしい指輪をはめた。
「はめちゃった………」飛鳥は、呟(つぶや)いた。
「マジで!」光葉慎弥は勢いよく飛鳥を見る。
「ああ、ああ、前向いて運転して」
光葉慎弥は、じわじわと湧き上がってきた笑みを受け入れて、喜びを隠しきれていない表情で、にやけていた。
「とりあえずね」
「ああ、なんでもいい。愛してる!」
豊島区池袋にある新文芸坐(しんぶんげいざ)の貸しパーキングに車を駐車した後は、クリスマス一色に飾られたイルミネーションの明治通りを、手を繋いで約500メートルほど、ふらふらと散歩気分で歩いた。
マルハン池袋ビルに到着した後は、思い出したかのように、周辺にあった人気レストラン〈シュラスコ&ビアバー GOCCHI BATTA〉に入店して、絶品である岩塩で焼き上げられたシュラスコと、ホットコーヒーでささやかな乾杯をした。クリスマス・イヴの当日だけあり、店内は非常に賑やかで、騒がしかった。街頭よりも恋人達の比率が高い。
二人は食事が済むと、すぐに店を出て、前に二人で鑑賞した映画について会話に花を咲かせながら、マルハン池袋ビルまで引き返した。