齋 藤 飛 鳥
カウンター席には、乃木坂46OGの生田絵梨花と、久保史緒里と、遠藤さくらと、金川紗耶と、黒見明香と、田村真佑と、北川悠理とがいた。駅前木葉もいる。席順は、前文の説明通りである。
久保史緒里は虚空に視線を落としながら強く言う。
「本当に本当に、凄くずっと、乃木坂を先頭に立って導いて下さって……。今、まさに、もう最後か、ていう実感が湧いてきてるメンバーが大勢いる中、私は、正直本当に、実感が無い!」
生田絵梨花は笑う。
「大丈夫実感なんていつかは湧いてくるから」
久保史緒里は生田絵梨花を見つめる。
「それこそ、ほんと、飛鳥さんは見えないところで後輩を導いて下さる方で……、私なんか特に、弱気な姿を見せずに、もう本当に大丈夫です、っていう気持ちで見送りたいですね……」
生田絵梨花は頷きを落とす。
「うん、そうねぇ~……、飛鳥は、乃木坂の中で一番色んな立場を経験した人だと思うから、ここまで自然な成り行きで来たっていうよりも、めちゃくちゃ色々考えて、今の立場に立ってると思うんだけど……、みんなそれわかってるはず、伝わってるはずだから最後は、そうねみんなに甘えて、ファンの人にも甘えて、楽しんで走りきれるように、私、ちょっと遠くからだけどずっと見守ってる。がんばって!」
久保史緒里は、美しいその顔を私服に染めて微笑ませる。
「この、今回のこの曲を踊る飛鳥さんが本当に綺麗なんですよ……。まだまだ後ろから見続けたいなと、改めて思いました」
金川紗耶は遠藤さくらに苦笑する。
「どう? 飛鳥さんの卒業……。え、卒業されるんだよ? 本当に卒業しちゃうんだよ? どうする? どうしたらいい?」
遠藤さくらは考えながら、誠実に答える。
「寂しさもあるけど……。まだ実感ないってメンバーが多いじゃん? まだ、飛鳥さんがいなくなるなんて全然想像つかない、ってみんな言ってるじゃん? でもぉ……、私は逆に、実感ありありでぇ……、あ…すぐいなくなっちゃう、ていうのを実感してて……」
金川紗耶は、思い耽(ふけ)るように頷く。
「私も実感というか……、寂しい、し悔しい……。悔しいっていうのは自分の気持ちに素直になれなくて、飛鳥さんとお話ができなった事に対して……。写真も撮れなかった。私の入る前からずっと憧れの存在……。ダンスの面だったり、モデルの面だったり、目標にしてた飛鳥さんを近くで見れなくなるのが不安になるし……。目指すべき場所はどこなのか。それでも、自分が納得するまで私も乃木坂46として、飛鳥さんの最後を見届けようと思う」
遠藤さくらはか弱い笑みで「うん」と頷いていた。
店内には、ジェニファー・ロペスの『アイ・アム・リアル』が流れている。
田村真佑は呟くように、左右の黒見明香と北川悠理に言う。
「私にとって飛鳥さんって、乃木坂を知るきっかけになった人で、ずっと憧れの存在……。寂しいけど、最後まで、前向きに活動できたらいいなぁ……」
黒見明香は綺麗な瞳をきらり、と見開いて田村真佑を一瞥した。
「みんなに愛される憧れの先輩、んふ、私の中のプリンセス……。寂しいねえ」
北川悠理は強い視線を、俯けたままで誰にでもなく呟(つぶや)く。
「涙が出そうでも堪(こら)えちゃう時は私のとこに来ていいって、声をかけて下さいました……。学業との両立が上手くいかずに、周りとの関係に悩んでいた時は、前を向けるお言葉を下さったり……。言葉にすれば、きりがありません」
駅前木葉は、深く納得し、声と頷きを返した。
「飛鳥ちゃんさんは、そういう人なんですよね……。何といえばいいのか、私達は、飛鳥ちゃんのファンとして、誇りを持たなくてはなりませんね。彼女に相応しいファンである為に……」
北川悠理は、にこりと微笑み、駅前木葉を見つめた。
「私は嘘が見えない人が好きで、誠実な優しさを大切にしています。飛鳥さんは、そんな人です」
5
二千十七年十一月二十八日PM17時過ぎ、Diorのブラック・スーツにサンローランのクルーズ・ロングコート・シャイニィ・ブラック54を羽織った月野夕と、アルマーニのブラック・スーツにGucciのギャバジン・トレンチコート・ライトブラウン・ベージュを羽織る稲見瓶は、東京都港区芝公園3丁目にて、東京タワーに隣接して聳え立つ、東京プリンスホテルで開かれる立食パティーから丁度退散するところであった。
クライアント会社経由(がいしゃけいゆ)で招待されたパーティーであり、それは社交を謳(うた)ったビジネスの場でもあって、激務をおいて参加した(株)コンビニエンス・オーバー・トラディッションとしては、収穫は充分にあったといえるだろう。交換した名刺は百枚はくだらない。
寒気を孕(はら)んだ強い風に顔を俯(うつむ)けながら、月野夕はロングコートのポケットに両手を入れて、稲見瓶を一瞥する。
「二年経つな……、実際に握手してからだと………」
「うん、もう二年だ……」
稲見瓶も、ロングコートに両手を突っ込んだ。
「一か月後は、もう18だよ……。夕も、来月に18だね」
「今日から共同経営にしよう……。なあ、イナッチ……。対等の立場でこの世界を見てみろよ、楽しいぜ~……、おお、さむ」
稲見瓶は、脚を止める。月野夕は、脚を止めて稲見瓶を振り返った。
「もういいだろ、実力も何もかも、経営の方に進む時期だよイナッチは……。嫌か?」
「嫌な、わけがない……。ただ、なぜ今なのかが、納得がいってない。実力的に、俺はナンバー2のままだ。なぜ」
「紙一重なんだよ、そういうのはさ」
月野夕は片方の口角(こうかく)を引き上げて言った。
「例えば、一般的に、市場のニーズに応える事が企業の役割だと言われてる。でも、ドラッカーは「それは充分ではない」と言う……」
「ピーター・ドラッカー……」
稲見瓶はかの著名な経済学者の名を囁いた。
月野夕は続ける。
「マネジメントは、市場(しじょう)のニーズに応えると共に、新しい市場(しじょう)を創り出さなければならない。わかるか? 地上に染み出た原油やアルミニウムの原料なんかは、地表を痩(や)せさせる存在だったろ、でも起業家達がそれらを資源に変えた事で、需要(じゅよう)が発生した。つまり、石油(せきゆ)や石油商品、アルミニウムっていう、新しい市場を創ったんだ」
冷たい風が吹き荒(すさ)ぶ中、月野夕は稲見瓶と向き合ったままで言葉を続ける。
「食欲は、顧客(こきゃく)の全生活を支配するぐらい、思考を占有(せんゆう)してた事かもしれないよな。だけど「腹が減った」っていうだけじゃ、自分で狩りや採取して腹を満たす事もできる。でも、食材、食品を提供する企業の行為で、単なる欲求が「有効需要」に変わった時……、そこに市場が発生する」
稲見瓶は、黙ったままで聞いている。
「カスタマーズ・サティスファクション。意味は?」
稲見瓶は答える。
「顧客満足度(こきゃくまんぞくど)……」