齋 藤 飛 鳥
「今やネットで誰でも発言できる世の中だ。それに伴(ともな)い、口コミや評価(ひょうか)といった顧客の意見が重要視される時代になった……。実際に、顧客満足度が向上すると、リピーターの増加が見込める。リピーターが増加すれば、企業の長期的な売り上げ向上にも繋がる。顧客満足度の向上に比例して、企業イメージも向上していく……」
稲見瓶は黙って聞く。
月野夕は笑みを消して、言葉を続ける。
「お前は常にうちの会社のカスタマーズ・サティスファクションに努めた……。統計データを用(もち)いたウェブの分析(ぶんせき)、SNSのトレンド分析で、顧客のニーズを常に把握しようとした。そのニーズを超えるサービスを行い、満足度を数値化して検証していった……。どれも正解だよ、イナッチ。マーケティングは、お前が常に務めた行為の先に在るもんだ……。何を見るか、なんだよ」
稲見瓶は、その硬い表情を解いて、口元を笑わせた。
「何を見るか……。秋元康先生の言葉だね」
「俺もイナッチも、見てるもんは同じだ。ただ数値化した時に、経験の差が出るってだけ……。ナンバー1とナンバー2の差なんて、違いは責任の重さだけだよ。んなもん、おんなじにしちまおうぜ。怖気(おじけ)づいたか?」
その月野夕の一言に、稲見瓶は、じわっと薄い笑みを眼元に浮かべた。
「怖いよ……。竹刀(しない)での決闘が、抜き身の真剣になるぐらいに違いがあるからね……。でも、断るつもりは微塵(みじん)もない。夕と同じ場所に立って……。立って、お前と夢を見たい」
月野夕は、ゆっくりと無邪気に微笑んだ。
「はは」
「今後とも、よろしく、相棒」
「OK、よろしくな相棒!」
タクシーに乗り込んだ後、二人は『東京タワーとスカイツリー、どっち派?』という火種から会話に没頭した。
「スカイツリーって竣工(しゅんこう)いつだっけ?」
問いに満ちた表情で、月野夕は、稲見瓶の横顔を一瞥する。
「二千十二年……」
「乃木坂の後輩ちゃんじゃん」
「二千十六年の夏に放送したのぎえいごで、スカイツリーにはお世話になった」
そう言った稲見瓶から視線を外して、月野夕は左側の車窓から走る世界を覗き込んだ。
「東京タワーは地元だしなぁ~……。これから、乃木坂とコラボする可能性も大だし……。ん~……、難しいな?」
「現状、スカイツリーじゃない? この場合」
「ああ、そだそだ。イナッチ、書類とか用意しといてね。サインはするから」
「何の?」
無表情で言い放った稲見瓶に、月野夕は嫌そうな顔で振り返った。
「共同経営の書類でしょうよ……」
「ああ、そうだね。うん、了解……。今日は、日テレで、ベストアーティスト2017だね。乃木坂は何時台の出演かな」
「しょっぱな、ていう可能性も否(いな)めないからな……。番組は何時から?」
「七時」
月野夕は自慢の愛時計、ロレックスのヨットマスターを確認した。
「あと一時間半か……。ラーメン、食えるな」
「一蘭(いちらん)、行く?」
「行くか……。腹減ったもんな。立食パーティーだったのに、何も食わない俺達、みたいな……」
「四時間の滞在じゃ、味見する時間さえなかったね。そのかわり、いい出会いは沢山あった。名刺(めいし)も二百枚ずつ用意しておいて正解だった。備(そな)えあれば、憂(うれ)いなしとはよく言ったものだ」
「あさひなぐのブルーレイ早く出ないかなぁ~」
「来年発売される、ていう噂はあるね」
「舞台も? 映画も?」
「これはあくまでも噂だけどね、飛鳥ちゃん主演の舞台は、九月十九日に。なぁちゃん主演の映画は、五月十六日に、発売予定らしい。関係者、ではないのかな……。知人にちらっと聞いた話ではね、そういう予定らしいよ」
「あ、運転手さん……、さっきの住所はやめて、やっぱり、六本木の一蘭、向かって下さい」
「何を見るか、かぁ………。深いね。秋元先生は、何を見つめているんだろう……」
「俺はいっつも夢を見てるよ。ああ、一蘭のラーメン、ひっさしぶりだなぁ~……、はらわたにしみわたるだろうなぁ……。秋元先生はさ、天才なんだよ。時代の中に、たま~にいるんだ、ほんとに。天才っていうぐらいの才能を許された人間がさ」
「先生ははたして、一蘭でラーメンを食べるかな?」
「そりゃ食うだろ」
「何を食べるのかに興味がある。チャーハンを頼むかもしれない」
「あそこの一蘭にチャーハンはなぁいの……。ラーメン一本、一蘭! ででん!」
「多様化しない事にもニーズがあるのか……。この世は勉強机だね、開いてある教科書は何処にでもある。後は、本当に、何を見るかだけだ……」
「そう考え込むな、俺を信じろよイナッチ。しっかり乃木坂を見てないと、間違いなく後悔するぜ? 人生はあなたに機会を与えるが、あなたはその機会を受け取るか、受け取る事を恐れたままでいるかのどちらかだ。――てな、この言葉な、ジム・キャリーの、一番か二番目に好きな言葉なんだけど。今を見逃すな、て事だよ。母親から教えてもらった言葉なんだ……。いい感じだろ?」
「二番目に好きな言葉は?」
「今を生きていなければ、あなたは将来に不安を抱いているか、過去の痛みや後悔を生きている――」
「それは、誰の? それもジム・キャリーの言葉?」
「そう。俺が尊敬する歴史上の人物、そのうちの一人な。秋元先生なんかはその、愛してやまない敬愛する歴史上の人物のうちの、中心的な存在だけどな」
「恋には常識というものはない。だから、恋に正解がないなら、自分が正解だと思うしかない。どんな辛い恋だって、自分が良ければいい……」
稲見瓶は、そう言い終えた後で、こちらに笑みを浮かべた月野夕に、微笑み返した。
月野夕は口元を引き上げてにやけた。
「秋元先生な。俺もあるぜ……、奇跡とは、当事者は気づかないもので、いつもと変わらない日常があるだけで。という事は、いつもと変わらない今日も、本当は眼の前で奇跡が起きているのかもしれない」
「自分の幸せが定義付け出来ない人は、何も手に入らない」
「時間に追われている人は人生を楽しめない。無駄な時間の中にこそ、宝物は埋まっている。無駄な時間はないって事だよな?」
「そういう事なんだろうね」
一蘭六本木店では、月野夕はとんこつラーメンの替え玉を二回繰り返した。稲見瓶は替え玉は一回であった。
一蘭で夕食を堪能した後は、二人で再度拾ったタクシーに乗車し、東京都赤坂区に在る(株)コンビニエンス・オーバー・トラディッションの会社兼たまり場のマンションに帰宅し、先に上がり込んでいた乃木坂46ファン同盟の中嶋波平と姫野あたると駅前木葉と合流した。
程よく温かな暖房の行き届いたリビングルームのソファ・スペースに、ベストアーティスト2017の時間が訪れた。
日本を代表するアーティスト達がその歌唱を披露している。乃木坂46の登場はまだきていない。
月野夕は北側の大型ソファで大股を開きながら、前傾姿勢になって、太ももに肘を置いて指を組んだ。大型液晶型テレビに見入っている姫野あたるを見つめる。
「ダーリン」
「? はい? でござる」
「ダーリンさあ、好きな言葉とかある?」
「好きな言葉、でござるか?」