齋 藤 飛 鳥
その言葉に、胸に頬(ほお)を預けたままで、齋藤飛鳥は囁(ささや)く。
「何年経ってると思ってんの……、そりゃ少しは成長しますわ」
「追い抜かれちゃったね」
「何言ってんの……」
生田絵梨花の背後から、中田花奈と深川麻衣が顔を出した。彼女達は、フラクタル的な造形の紙丼を手に持っていた。
「おお~いくちゃんじゃん」
「いくちゃん久しぶりぃ」
「おっすー。何それ?」
生田絵梨花は、二人の持っているフラクタル的な造形の紙丼(かみどんぶり)を見下ろした。
深川麻衣が誠実な笑みで答える。
「これ、ぽつぽつってある、色んな焼肉屋さんのお肉。どこのが美味しいのかな~って、調査に行ってたの」
「ホルモンは一番あっちの奥の店だね。うん、ホルモンはわかりやすかったよね?」
中田花奈は深川麻衣に相槌を貰った。
その手は、齋藤飛鳥の頭を優しく撫でた。齋藤飛鳥の瞳から、無垢な涙が小さくこぼれ落ちていった。
衛藤美彩はもともとの個性でもある母性的な優しさで、齋藤飛鳥の肩に抱きついて顔をつけた。
「飛鳥~~、久しぶり~~、疲れたでしょう」
齋藤飛鳥は、気がつけば、笑顔で泣いていた。
「あっはっはっは、ひっひっひ……、なぁんでいるのぉ?」
「卒業って言いたくて。あちが、間違えた、卒業おめでとうって言いたくて」
「あっはっは」
衛藤美彩も微笑む。
「私も、卒業のおめでとうが言いたくって」
衛藤美彩の隣にいる松村沙友理も、新内眞衣も、いつの間にか参加していた秋元真夏も、齋藤飛鳥に微笑んでいた。
齋藤飛鳥は忍者のように潜んでいた秋元真夏に気がつく。
「あんた、いつからいたの……」
「卒業おめでと。面と面向かって言った事あんまなかったよね?」
秋元真夏は猫を擬人化したかのような満面の笑みであった。
生田絵梨花は、齋藤飛鳥に言う。
「飛鳥、飲み物、あっちに美味しいホットワインと生ビールがあるって」
中田加奈が言う。
「コーヒーも豆から挽いてるから美味しいよ、サンタのピエロが店員さんのお店」
生田絵梨花は真剣に言う。
「先、行った方がよくない?」
齋藤飛鳥は、その手から一度離れて、生田絵梨花に相槌を打った。
「じゃ、ちょと行ってくるわ。まだいるんでしょ?」
「いるよ、行って来な。待っててあげるから」
齋藤飛鳥は、軽く涙をふいて、鼻をすすってから、皆に小さく片手を上げた。
「じゃあ行ってきま~す……」
「あ私も~」
齋藤飛鳥は「どこ?」と歩き始める。生田絵梨花は先を進みながら「ん~なんかピエロの店、とか言ってたな」と早歩きした。
クリスマス・マーケット広場の中央、星形に五台並んだ、天井と床を繋いだエレベーターから少し離れた場所に、十二メートルのホワイトのクリスマス・ツリーが堂々と飾られていた。
街並みはまるでドイツのクリスマス・マーケットを模写したかのような精巧なる再現度であった。生ビールもドイツ産が呑めるのだろうか。齋藤飛鳥がそう志向していると、ふと視界に入った景色が、その飲み物を取り扱う店だとすぐに理解できた。
店というか、電飾とライトアップで装飾された木製のログハウスのドアが開いており、その玄関の前に洒落(しゃれ)た造形のベンチが置かれていて、そこで風秋夕と磯野波平が生ビールを呑んでいる姿があった。
生田絵梨花は、眼が合って、片手を上へと伸ばした風秋夕の前で脚を止めて、微笑んだ。
「おういくちゃん、酒?」
「うん。美味しいコーヒーもあるって聞いてきたんだけど、この家ん中?」
「そだよ」
そう言ってから、風秋夕は組んでいた脚を下ろして、齋藤飛鳥と眼を合わせた。
「ハッピー・メリー・クリスマス、飛鳥ちゃん」
「やっほー」
磯野波平も弄(いじ)っていたスマートフォンをスーツのポケットのしまって、にま、と二人を見上げて微笑んだ。
「よ~うメリクリメリクリ、があ~はっは!! ま呑んどけ呑んどけ、その辺の居酒屋じゃあこのビールはねえぜ~」
生田絵梨花はその液体を覘く。
「何? ビール?」
「だろうが! があ~っはっは! 聖なる夜はビールで乾杯って、幼稚園で習わなかったかあ?」
「習わねえよ、どこの組だ」
生田絵梨花は「入ろう」と、齋藤飛鳥の手を引っ張る。
ログハウスの中に入ると、各所に配置された数多のキャンドルの灯りだけで店内の明かりは保たれていた。
カウンターがあり、テーブル席もある。幾つかある木製の丸いテーブル席には、井上小百合と伊藤万理華と中元日芽香の姿があった。
店内にはクリスマス・ソングが流れている。とりあえず、テーブル席の三人はこちらに気づいていたが、生田絵梨花がカウンターへとまっすぐに向かったので、齋藤飛鳥も、渋々とそうする事にした。
「あのう、あ、ちょっと待って下さいね」
サンタ・クロースの格好をしたピエロは、ジェスチャーとボディランゲージだけで応えた。
生田絵梨花はカウンター上方のメニュー表を指差して、齋藤飛鳥に尋ねる。
「どうする何吞む? 外国のビール、いっぱいあるね~……。ホットワインも色々種類あるしぃ……、コーヒーなんて、ね。どうする?」
齋藤飛鳥は見上げながら、ぼけっと答える。
「あーじゃあ私、ビール……、頼もかな」
「え、どれえ? ビールって言っても、いっぱいあるよ? 全部ドイツのビールなのかなあ? なんかドイツってメニュー表の上の方に筆記体で書いてあるんだけど……」
「あ、じゃあ私……あれ」
齋藤飛鳥は、メニュー表から視線をサンタのピエロへと移し、注文してみる。
「ビールで、ミャンマー・プレミアム、ってありますか?」
サンタのピエロはOKマークを片手で作って、すぐに用意し始めた。
生田絵梨花は、「じゃあね~」と声を漏らしてから、注文に踏み切る。
「シュバルツ・ビール、いいですか?」
サンタのピエロは人差し指を一本立てた。
生田絵梨花は、小首を傾げる。横目で見ていた齋藤飛鳥は、代わりに答える。
「あはぁい、一杯で。一杯ずつで、お願いしま~す」
サンタのピエロはすぐに、二つの大きめのグラスを用意し、白い泡のたった黄金のビールと、白い泡のたった黒いビールを注いだ。
サンタのピエロは、にっこりと笑い、「さあ、どうぞ」とボディランゲージでジェスチャーしている。なぜ、言葉をしゃべらないのだろうか。
生田絵梨花は、「あ私こっちだよね?」とサンタのピエロの顔を見る。サンタのピエロは親指を立てて、頷いていた。
「黒いビールだ……、これがドイツのビールか……」
齋藤飛鳥も黄金の液体が揺れるビールグラスを手に取った。
「ミャンマーのビールも……、あんま、見た目はね」
齋藤飛鳥はとことこと小さな歩幅で歩きながら、ビールの香りを嗅いでみる。
「ああ、はいはい、ビール……」
二人を「飛鳥~~、い~~くちゃん」と呼んだのは、近くにある木製の丸いテーブル席に座る、井上小百合、伊藤万理華、中元日芽香、の三人であった。
生田絵梨花と齋藤飛鳥は、その木製の丸いテーブルの前に立った。
井上小百合は上目遣いで言う。
「あの、あそこにいるピエロさん、ファン同盟の人らしいよ?」
「え?」
「うっそ~!」