齋 藤 飛 鳥
「でもほんと、昨日の生配信で、あすが一人で最初にしゃべって、その後『ここにはないもの』を一緒にやらせてもらって、その時に初めて実感したっていう話をしてるあすを見て、あとは、寂しいなって思いました、ていうのをまっすぐに伝えてる飛鳥を見て、ほんと、珍しいな、って思って!」
風秋夕はカウンターに両肘を置きながら、右隣りの秋元真夏に相槌を打った。
「うん……、ああ、最後なんだな、て思ったよ、俺も……。飛鳥ちゃんが泣いた時に、なんていうか、んん、なんていうのか……。ダメだ、言葉にならない」
秋元真夏は短く笑って、カクテルのマナツを一口、ゆっくりと喉の奥に流し込んだ。
薄暗い柿色の灯りに満たされた〈BARノギー〉の店内は、各所に設置されたブラックライトの紫色の蛍光色に発光されて、クラブソーダの入っているカクテルは蛍光を帯び、人間は眼の白身と歯のホワイトだけが際立って見える。
この巨大地下空間を統括管理しているスーパー・コンピューターのDJにより、繋がれ、絶えず流れされているBGMは、アルコールの価値を最高にまで高めている。
内側へと半円に湾曲したカウンターは長く広く、前かがみや後ろへと背を反らずとも、どのカウンター席にいる人物の顔も窺えるよう図(はか)らわれていた。
内側にゆるくカーブしたカウンター席には、左から、風秋夕、秋元真夏、稲見瓶、梅澤美波、磯野波平、佐藤楓、姫野あたる、阪口珠美、岩本蓮加、駅前木葉、伊藤理々杏と、並んで着席している。
ロイドの『レイ・イット・ダウン』が流れている。
秋元真夏は右隣りの稲見瓶を一瞥してから、風秋夕に語りかける。稲見瓶は梅澤美波と会話をしていた。
「ほんと、あすって、あの、夕君達に対してもなんだけど、私達に対しても、卒業の話とか、みんなと離れるのが寂しいとか、今後どうしようとか、不安とか、そういう事を一切語ってくれないのね?」
「うん、言わない。飛鳥ちゃんは」
「そう、こっちからきいても話さないし、飛鳥自身もそういうのは口にしないから、昨日生配信で、何を話すのかなって気になってはいたんだけど……。本当に、最後の最後に、ファンのみんなにもまっすぐ、自分が今思ってる気持ちをさらけ出せた瞬間だったのかなぁ……」
風秋夕は、カクテルのアスカを呑み込んで、コリンズグラスをカウンターにそっと戻した。
「まいった。どんどん好きになってく……、まだ底がないのか、飛鳥ちゃんを思う気持ち……」
「あらぁ、じゃあ私はどうなの?」
可愛らしく両手の拳であごを隠した秋元真夏は、上目遣いで風秋夕を見上げる。
風秋夕は、ゆっくりと瞬(まばた)きをして、秋元真夏を見つめた。
「どうなの? どんな感じ?」
風秋夕はゆっくりと微笑む。
「夕君、どういう笑い? それ……。え、口説いてない? その顔」
「口説いてる」
「あやっぱし……。そ~やって女の子口説いちゃうんだ……」
「飛鳥ちゃんは、いつ頃素直になったんだろ……。いや、最初は素直だったのかな……」
秋元真夏は右手の肘をカウンターに乗せて、風秋夕に顔を向ける。
「11年かけて、そういう姿に変わっていったのかなぁって……。そういうのを、お姉さんの立場からして見ると、そうやって素敵な変化を遂げた事すらも、寂しさを感じるわけよ」
風秋夕はコリンズグラスのアスカを最後まで吞み干した。
「ぁっ……。恋の味がした。あ、飛鳥ちゃんから連絡って、返ってきた?」
秋元真夏は、カウンター上のスマートフォンを手に取り、器用に操作する。
「既読は……ついてるんだけど」
「既読だけも奇跡か」
秋元真夏はスマートフォンをカウンターに戻して、風秋夕を一瞥する。
「乃木坂の顔としてがんばってきてくれたからねぇ……。楽しく沢山思い出作って、最後は何も背負わず、卒業していってほしいかな、あすには……」
梅澤美波は、左隣りの稲見瓶に姿勢よく顔を向けて言う。
「11年間在籍するってほんと凄い事だと思うしぃ、11年間の中で色んな苦労もあったと思うけど、エースとして引っ張ってて下さってて」
稲見瓶は、深い相槌を打った。
梅澤美波は呑む事も忘れてひたすら語っている。
「本当に唯一無二の存在で、もういるだけでその現場の空気をぱっと変えてくれるような……」。なりたくてもなれないような存在だったので、寂しさはある。あります、かぁなり!」
稲見瓶は、カクテルのアスカを一口だけ呑んだ。
「プライベートでも、飛鳥ちゃんと梅ちゃんがよくここにきてるのを見てきた。そんな親しくもあり、先輩と後輩でもある不思議な関係の梅ちゃんから、飛鳥ちゃんに今思う事はある?」
ジェイZ ft,アリシア・キーズの『エンパイア・ステート・オブ・マインド』が流れる。
梅澤美波は、瞬間だけ考えるような表情を浮かべて、稲見瓶を見る。
「とにかく、今年いっぱい? 肩に背負ってるもの全部下ろして楽しんで活動してもらえたらなって、心から思うかな……。感謝でいっぱいです。もう、それこそ感謝しかないぐらい!」
磯野波平は、カクテルのアスカを吞みながら、座った眼で佐藤楓を一瞥する。
「でんちゃんにとってさ~、飛鳥っちゃん、て、何よ?」
佐藤楓は左隣りの磯野波平に身体を向けて、まっすぐに見つめ返す。
「大好きな先輩……」
磯野波平は、笑みを浮かべて大きく頷いた。
「飛鳥っちゃん独特だからぁ、話しかけんの勇気いんだろ? な? っははあ!」
佐藤楓はカウンターの上部を見上げて呟く。
「もっと色んなお話したかったなぁ……」
「いやいやまだだってよでんちゃん、でんちゃま! 後悔先っぽに立たず、つってなあ、まだ時間あるんだろ? あきらめちゃダメだぜえ? チャンスはリリィにでも来てりゃそのうちまたあんだろうからよ。明るく行こうぜ、どうせならよ」
佐藤楓は、大きな瞳を真剣にさせて、磯野波平を見つめる。
「立て続けに先輩が卒業していって、なかなか追いつかないけど、前向くしかないね」
「だぜ~」
「寂しい寂しい寂しい!」
姫野あたるは、カクテルのアスカがまだ僅かに残されている光るコリンズグラスをカウンターに置いて、右隣りに座る阪口珠美をおおらかな笑みで見つめた。
「小生達、最初の五人、乃木坂46ファン同盟を名乗る選ばれし勇士達は、七年前の、ちょうど今頃の冬に、五人共が出逢いを果たしたでござる……。その時期は、飛鳥ちゃん殿の六回目の選抜入りの時期でえ、飛鳥ちゃん殿がテレビに映ったり、MVに映ったりするのを、はは小生達、大騒ぎして喜んだものでござるよ……。どうか、たまちゃん殿も、あの偉大なる背中に、後悔のないように。でござる」
阪口珠美は、得意ではないアルコールをちびりと呑んで、潤む大きな瞳を姫野あたるへと向けて見開いた。
「ほんとそうです……。飛鳥さんとの大切な時間を、夢のような幸せな時間を、沢山噛みしめます……」
「ナイス! でござるよ、たまちゃん殿」
伊藤理々杏はカクテルのアスカをちびりと呑み込んで、真剣な顔を正面のクリスマス一色に飾られた棚へと向けた。
「寂しいけど……、覚悟はしてたから大丈夫。寂しくないと思う所存です。正直言うと、もう去年頃から卒業に慣れてないですが、前を向くしかないの……」