ズッキュン‼‼
「初めまして……」
齋藤飛鳥は、すぐに夏男から視線を外した。
姫野あたるは、にこにことはにかんでいる。
「夏男殿の顔を見ても驚かなかったのは、駅前殿、いらいでござるな、かっはっは」
齋藤飛鳥は、視線をふらふらとさせて、ついでに夏男の顔も見つめた。
夏男は不気味に微笑んでいる。
「ふふんダーリン……、そういう事はね、普通、本人の俺が言う言葉だよねフフッ!」
夏男のぶさいくな笑い声に、齋藤飛鳥は、笑顔になって「はは」と、気さくに笑い声を発声した。
姫野あたるは、齋藤飛鳥を見つめるその愛しそうな眼差しを、夏男にも向ける。
「人は夢を二度見る……。小生は、その昔……、誰かに救いを求めたでござる。いいや、求めていたのでござろう……。誰も小生を知らないし、誰にも助けを求められぬなか、小生は無我夢中の最中(さなか)、救いのヒーローを夢見たでござる……。夢は、叶った……。飛鳥ちゃん殿や、まなったん殿の、笑顔や努力や、その果てしない光に出逢えたのだから……」
夏男は、優しい笑みで姫野あたるを見つめた。
齋藤飛鳥は、きょとん、として姫野あたるを一瞥している。
「小生は今……、その乃木坂に、感謝をしているでござる……。その感謝が伝わるかどうかは、関係なく……。重要な事は、小生が、乃木坂に、感謝をできる人間でありたいと、そう、二度目の夢を見た事でござる……」
夏男はマグカップを手に取って、はにかんだ。
「いいんじゃない?」
齋藤飛鳥は【イーサン】を呼び出した後で、西側のラウンジを振り返って「あれ誰だろう……」と呟いていた。
姫野あたるも、そちら側を眺めた。
「向こうにいるのは……、かずみんとぉ、なぁちゃんでござるな」
「ふうん。あ、イーサン?」齋藤飛鳥は、上目遣いで様子を窺うように、小首を傾げて、夏を見つめた。「まごなんとかさん……、何か、食べます?」
「あ、ああ、ンフっ、ああはいンフフっ!」夏男は、不気味な笑みを浮かべた。「じゃあ特上のステーキを……。あとぉ、名前は夏男で、お願いしますンフフっ!」
姫野あたるは眼を瞑って大笑いする。
「まぁ~ごなんとかっっ‼ っ……あ、飛鳥ちゃん殿っ、まごなんとかはっ、笑えるでござるっ‼‼ 草~っっはっは‼‼」
「イーサン……。じゃあ、特上? ステーキと……」齋藤飛鳥は、マイペースな調子で宙を見上げた。「姫野氏、なんかいります?」
「はあ~~ぁあ、ふうーっ……、ではブラックコーヒーをアイスで。いやはや、笑ったでござる……。ま、まごなんとかっ!」
再び大笑いを始めた姫野あたるを尻目に、齋藤飛鳥は虚空に注文する。夏男は鋭い視線を細めて、恨めしそうに姫野あたるを凝視していた。
「んじゃあ……、えと、ブラックコーヒーのアイスとぉ……、カツカレーと、あと冷たいお茶とアイスコーヒーのブラック下さい……あ、ブラック二つか、まあ、まいいや。あとあの、カツは、ひれで……。お願いします」
「まぁぁごなんとかっっ‼‼」
「笑いすぎだようっ! 煙草吸っていいのここっ! ねえダーリン! ねえって!」
「禁煙です、なつ……、な、な」齋藤飛鳥は会釈してそう答えてから、夏男に小首を傾げた。「夏男さん? でしたっけ?」
「そう夏男です」夏男はソファから腰を浮かせて、強引に右手を差し出した。「さあ、シェイクハンドを……」
16
二千二十三年二月二十六日――。〈リリィ・アース〉の地下六階に在る大型の映画館のような空間である〈映写室〉に集結した乃木坂46ファン同盟は、間もなく始まろうとしている乃木坂46・11th YEAR BIRTHDAY LIVE秋元真夏卒業コンサートを目前に、各々の時間を過ごしていた。
リクライニングシートにて背をどっしりともたらせて、風秋夕は心頭滅却するように眼を瞑っていた。
磯野波平は、先日から新たに電脳執事になった【野比のび太】を呼び出しておおはしゃぎしていた。
「のび太よう~、ん~でそんなに0点取るんだあ? ちとのんびりしすぎなんじゃねえのお前の人生、一生懸命という精神は無いのかね! 君の辞書には!」
『じゃあ、一生懸命、のんびりしよう』
「があ~っはっはお前らしいっちゃお前らしいわなあ!」
風秋夕は嫌そうに眼を開けて、磯野波平を一瞥する。
「人工知能と違和感なく自然に会話する天才か、お前は……」
「ああん?」
磯野波平は顔をしかめながら振り返って、ストローでファンタをごくごく飲む。
稲見瓶は、姫野あたるに頷いた。
「まなったんは、乃木坂46は今日で最後になるけど、国民の嫁はやめないでくれるみたいだ。良かったね」
姫野あたるはとろけような笑みを浮かべた。
「一安心でござるふふう~……。小生、これでもう寂しくないでござる。がんばれるでござるよ~!」
駅前木葉はリクライニング・シートを倒して、高い天井を見上げた。
「御輿さんも、宮間さんも、今日は泣きましょうね……」
宮間兎亜は、御輿咲希を挟んだ左側の席にいる駅前木葉へと顔を前に出して、にんまりと特徴的な半眼で微笑んだ。
「ええそうですねえ。駅前さん、なんか、ずいぶんと久しぶりに感じますねえ……」
駅前木葉はにっこりと美しく微笑んだ。
「ええ、私も御輿さんも、一月と二月は、ほとんど仕事である研究に没頭する為の期間でしたから……。実際に、私がリリィに来るのは、かなり久しぶりになりますね」
御輿咲希は、涙眼を指先でぬぐって、右側の席に座る宮間兎亜に頷いた。
「ええ、わたくしもです……。ライブ期間になって、久しぶりに、ファン同盟のみんなの顔を見れたわ。そして今日は、真夏さん最後のライブ。涙が出る……」
宮間兎亜はにんまりと、笑った。
「もう、キャプテンのタスキは梅ちゃんに渡ったのよね~……」
「はい゛」
「泣くの早くない? みこ氏……」
来栖栗鼠はピンクのサイリュウムを振り回す。
「まなったんはさあ、今日何歌うのかなあ? 雅樂さん知ってる?」
天野川雅樂は苦笑した。
「知ってるわけねえだろ来栖ぅ……。なんたって、、まなったんの卒業ライブは、今日が初めてなんだからよ……」
比鐘蒼空はイヤフォンを外した。スマートフォンには乃木坂46の『僕たちのサヨナラ』が流されていた。
風秋夕は、リクライニング・シートから背を離し、後部席の皆へと声を張る――。
「さあみんなぁ、一生の思い出作ろうぜ、まなったんへのはなむけだ! 騒ぐぞ!」
怒涛(どとう)の歓声が応えた。
「さあ、最後のショータイムだ……」
乃木坂46・11th YEAR BIRTHDAY LIVE秋元真夏卒業コンサートが開幕する――。
巨大スクリーンに映し出された会場では、ファーブル昆虫記においてのカマキリの生態を、場内のご案内にからめて紹介している。VTRにはカマキリの姿をした黒見明香が映し出されていた。紹介の声も黒見明香であった。
笑い声と歓声が上がる……。
岩本蓮加と筒井あやめが影ナレであった。特大の歓声が呼応する――。
紫色のライトに照らされた会場――。
コールするオーディエンス――。
暗闇に染まる会場――。
VTRが、秋元真夏が大好きな漫画『SPY×FAMILY』のアーニャの声で始まった――。