ズッキュン‼‼
「よしなよ、真夏さんがやるからいいんだよ」
「ズッキュン!!」
「はは、か~わい」
論理を超える気持ちが溢れる……。
爆発しそうな心が、歌を口ずさみ始めていた。
君を失うと 僕の全ては止まる
いつも離さずに 暖めるよ
君が微笑みくれると
弱い男見せられそうさ
君が涙に濡れると
大切なもの 守れそうさ
君を失うと 僕の全ては止まる
いつも側にいて 勇気づけて
君を失うと 僕の全ては止まる
いつも離さずに 暖めるよ
君を失うと 僕の全ては止まる
いつも側にいて 勇気づけて
「うわあ~、素敵な歌ぁ~~」綾乃美紀は両手を組んで喜んだ。「誰さんの歌ですか~?」
稲見瓶は答える。「CHAGE&ASKA(チャゲアンドアスカ)のWALK(ウォーク)」
風秋夕はにやける。「ああ~、さてはまなったんの事考えてたな?」
稲見瓶は咳払(せきばら)いする。
三笠木里奈は、スマーフォンで楽曲を検索していた。
「………。ふう~ん………。これ……。稲見君の歌ってたやつ? ……だいぶ違うけど、本物はサビが名曲すぎるね……。だれ?」
風秋夕は答える。「チャゲアスですよ、知っといた方がいいよ~三笠木さんも。心震えますよ、チャゲアスの歌は」
稲見瓶は煙草を用意しながら言う。「この曲は、上の世代の人達も意外と知る人が少なくて、Say Yesは知ってるけどWALKは知らないって人が多くて、時代に隠された名曲の1つなんです」
「で、それをまなったんに当てはめたと……」風秋夕は口元に煙草を挟んだ指先を当てながら、薄目で稲見瓶を見つめた。「WALKかぁ~……、マジ恋じゃん。ガチ恋じゃんイナッチ」
「恋はいつでもガチだよ」稲見瓶は煙草を吸った。「久しぶりに、カラオケにでも行こうかな……。YOASOBIのハルカも歌いたいし、RADWINPSの鋼の羽根も歌いたい」
風秋夕は笑みを浮かべた。「だったら、Mrs.GEEN APPLEのSoranji、俺は歌うぞ」
綾乃美紀は小首を傾げて二人を見る。
「あれ、乃木坂は歌われないんですか?」
稲見瓶は無表情に、少しだけ色を添えて答える。
「思い入れのある歌詞の楽曲を、大切な人へ歌う感じかな。乃木坂の曲ももちろん歌うけどね」
三笠木里奈は、新しいスリムな煙草に火をつけた。
「私も、乃木坂以外の曲も聴くようにしたの。乃木坂の良さもより実感できるし、世のアーティストも、いい歌うたってるのよ。チャゲアスのウォークか、今度改めて聴いてみるね」
稲見瓶は、じわっと薄い笑みを浮かべた。
「もし歌う時があるなら、上着は脱いだ方がいいですよ、汗をかきますからね。俺も歌う時は薄着です、何度も着たTシャツは、首の辺り、伸びているけど」
三笠木里奈はにけて、頷いた。
綾乃美紀は「わかりましたよ今の!」と微笑んでいる。
風秋夕は「それ、今日カラオケでだろ」と言ってコーヒーを飲んだ。
稲見瓶は、無表情で浮かぶ紫煙を軽く見上げてから、新しい煙草を指先に抜き取った。
4
二千二十三年一月十二日。横浜に在る磯野貿易産業(株)の会社倉庫二階にて、天野川雅樂(あまのがわがらく)と来栖栗鼠(くるすりす)は慣れた動作で作業をしていた。二人は現在、磯野貿易産業の契約社員であるが、上司の磯野波平と話し合いながら正社員になるかどうかを検討されている。
来栖栗鼠は今年の干支でもある兎年の二十歳にである。天野川雅樂は上司の磯野波平と同じ二十三歳であった。
磯野波平は作業に準ずる二人を遠目に眺めながら、己は煙草を吸いながら、考え事をしていた。
11年か………。打ち上げ花火みてえに、一瞬で終わっちまったような気がすんな。でも、その輝きはぜってえに、一生忘れねえだろうぜ、まなったん。
倉庫に暖房入れようかどうか、迷ってんだまなったん……。俺は別に厚着してりゃあ冬は平気なんだけどな、従業員からブーイングがきててな、まあでも、ここ横浜だし、そんな寒くねえしな。迷ってんだ……。
経理の代表、つうか、最終のゴーサイン出すの、俺の仕事になったからな。俺が経理部を支配してから最初の壁だぜ、まなったん。どうしようかな、まなったんよ……。
冬だとよ、まなったんを脱がせんなら、サウナか、温泉とかだよな……。夏だとやっぱ脱ぎやすいんだろうけどな……。だ夏が好きだよ、俺はやっぱ。なあ、まなったんよ……。
笑ったまなったんが、いっちばん、好きだぜ。でもなまなったん、俺はセクシーなまなったんも大好きだよな、やっぱさ……。普段ふざけてっけどよ、まなったん、たまに本気出すだろ? なんつうのか、セクシーの本気、つうのか……。写真集とかで、俺をよく誘惑したじゃねえか……毎晩のように。な。俺はそっちのまなったんだって大好きなんだぜ。
ぱいおつ……。ちげ、違くてな……、スタイルがいいだろ。な。スタイルな、スタイル……。
俺はスタイルがいい女が好きなんだよな……。俺が18頭身ぐれえだからよ、はは、なあ。せめてな、好きな女の子もバランスよくあって欲しいだろ。な、わかんべ。
そういやまなったん、頭でけえっつってたな……。でもな、さんざん笑いのネタになったそんなんも、俺は一っ度も、感じた事も思った事もねえぜ。俺はいっつもまなったんの長くて細くて色っぺえ脚ばっか見てっからな……。
まなったん、今の無しだ……。俺はいっつも、まなったんの面白れえとこと、その、なんつうか、子供みてえな笑顔、ばっかり、見てきたかんな。
そりゃ癒されてきたぜ……。結婚してえ女ナンバー1、だかんな……。それは間違いねえよ。だ【国民の嫁】だもんな。だもう、そりゃ、俺のお嫁さん、つう事とおんなじ意味だかんな。な、まなったん。そうだろ? だってそうだろ、なあ。な……はい俺のもん。
「磯野……、おい磯野!」
天野川雅樂は、突っ立ったまま、呆然(ぼうぜん)と煙草をふかしている磯野波平を見つめて、ぽかんと顔をしかめる。
「なんだよおい、磯野てめえ……、気持ち悪りいから、見つめてくんじゃねえよこの野郎……」
まなったんよう、俺はなあ、卒業を決めたまなったんの心、知ってんぜ。自分も卒業決めてんのに、飛鳥ちゃんに年末までの花、持たせてくれたんだよな――。
そういうとこ、やっぱキャプテンだぜ……。
「眼ぇ開けながら寝てんのか? おいこら、磯野ぉ……」
こいつは、なんだ、あれだな。眼つきが悪すぎんな……。もし俺が超絶可愛い女子で、こいつに告られでもしたら、勢いで通報しちまいそうだな……。
「てめえ、なんかムカつく事考えてやがんだろ………」
アホヅラだな、しかしこいつは……。モテた事ねえだろうな……。
狼みてえなツラしやがって……。
なんかムカつくな……。
「何だコラ、やんのか、ああ?」
いかんいかん、アホは相手にしたらいかんよ俺……。貴重なサボりの時間が消えてしまうよ。
来栖栗鼠は、二人に近寄って、不思議そうに磯野波平を見上げた。
「なんで見つめあってんのぉ~? あっは、きしょいよ二人ともぉ~」
なんだろな……、こいつは。こいつは、あれだな。女子だったらいいのにな。なんで野郎のくせにそんな洒落たツラしてやがんだろうな。