アルスカイダルの非常階段
広い室内には、その半四角形の繋がったソファと、ソファ前に置かれた長広いテーブル、それと今間村部長が立っている右端に置かれた小型のステージしかない。後の室内スペースは無意味に残されていた。それは間村部長と新入社員達が座るソファの間に広がっている。
間村部長一人だけが、起立でその広いスペースを独占していた。
『どうしました? ………ああ、席がもう無いの?』
間村部長がいちいちマイクを通して言う。確かにさくら達が座るソファ・スペースは残されていなかった。
さくら達は、扉の前に立ったままで、間村部長に頷いてみせた。
『仕方ない、では、どうせもうすぐに起立してもらうから、君達は一番最後だったという事で、少し起立したままで私の話を聞いてください』
「はい……わかりました」
さくらは素直に頷いた。
急激な勢いで内心に広がっていく違和感があった。会社が催す歓迎会とは、こういう事をいうのだろうか。さくらが知っている文化はそれを知らない。しかし、ちょこちょこと取り入れて来たさくらの常識に照らし合わせると、それは違和感として受け取れる。
テーブル上には一切のドリンクが置かれていない。こんなにも喫煙を許された建造物だったにもかかわらず、煙草を吸っている人間もいない。想像していた畳は無く、私語さえもが禁じられているような雰囲気であった。
もちろん、さくらもここに入って来てから、まだ一言も私語を発していない。
さくらは、まじまじと広いスペースを独占している間村部長を見つめた。それは不満を意識したものではない。間村部長がしゃべっているから、注目しているのである。
身長は150センチ程であろうか。背広のサイズが微妙に腕の長さと合っていない。短い髪の毛を無理やりに整髪料で後ろにべったりと流している。年齢は四十代半ばであろうか、やけに若々しい表情のわりには、小さな皺が目立った。
『という事で、諸君はこれから我が社恒例の、歓迎催しに参加してもらいます』
さくらはふと、我に返った。
『内容は簡単ですが、これは奥が深いんですよー? ですが、やはり単純です。ここに集合した諸君は全部で三十人。今年我が社が採用した全新入社員ですな。まあ、三十人というう数にはあまり拘りたくないのですが、会社の景気が思わしくない、という事で、今年だけは例外中の例外、諸君のような実に堅実で才能豊かな若者だけに入社して頂きました、と、そんな感じですかね』
ささやかな笑い声がソファ席からもれたが、さくらには何も可笑しくなかった。
『それでは歓迎催しの続きを説明しますぞ。はい、これはー、いわゆる遊びという奴ですな、はい、一種のゲームです。諸君らは全部で三十の男女十五人ずつです。そこで――』
さくらは、その後すぐにささやかれた間村部長の言葉に、深刻なダメージを受けこうむった。
『諸君らには、今から即席のカップルを組んでもらいます』
さくらの内心は戦慄な悲鳴を上げて崩れ落ちる。外見はただ静かに眼をむくのみであった。
『カップルになったらば、好きにドリンクを注文してください。それからでなければ飲酒は禁止。それが嫌ならば急いでカップルを組む事。なははは、いやなに、決められない場合は私がかってにそことそこ、といったふうに決定しますから、安心してください』
「何やるんだろうね?」
ふいに振り返ってみると、矢久保美緒が不安そうに微笑んでいた。
さくらは我に返らない。
「女同士って…ダメ?」
さくらは美緒にきいた。その顔は今にも痙攣しそうである。
矢久保美緒が手を挙げた。
「すいません部長、それって、女同士は」
『ダメです。――男女ペアのみ、これが掟(おきて)です』
矢久保美緒の質問が終了する前に、間村部長は笑みを見せながらそう即答した。
『はいそれでは、十分程時間を与えますので、自由にペアを探し合ってみてください。私はそこの廊下で煙草を吸っていますから、終了次第、誰かが呼びに来てくださいね、ああ、それから、喫煙は自由ですよ』
間村部長は小型ステージのモニターにマイクを戻すと、すのまま遠藤さくらと矢久保美緒におよそ爽やかとはいえない笑顔を見せてからその部屋を退出していった。
扉が閉まる瞬間から、一斉に室内で陽気な会話が始まった。
「どする?」美緒は困った顔でさくらに苦笑した。
「どうしようぉ~……」
さくらはおどけた真顔でフリーズするしかなかった。
4
「遠藤は? 何飲む?」
光夫が煙草に火をつけながらきいた。
「オレンジジュース」
さくらは素っ気なく答える。
さくらは自分とのカップル成立に光夫が名乗り出てくれた事に安心していた。矢久保美緒も、ソファ席に座っている三上というイケメンな男とカップルを成立させていた。
「お~い柴ちゃん、オレンジと、生お願い。あ、オレンジはジュースな」
「……」
光夫がさくらのそばに戻ってきた。さくらと光夫の二人はソファ席からテーブルを挟んだ場所に起立していた。今ではソファ席も空いているが、いちいち畏(かしこ)まって着席している者の方が少ない。皆で起立したまま何もない立食パーティーのような構図を作っていた。
「大丈夫?」
光夫が気を遣った顔でさくらに言う。
「ちょっとの間は、まだ帰れないぞ」
「仕方ないよね……、帰りたいけど」
さくらは光夫の煙草の煙をけむたそうにして言った。
「全くな……、あの部長も何考えてんだか」
「ねえ」
さくらは光夫の煙を手で払いながら言う。
「歓迎会ってさ……、全部やっぱりこんな感じなの?」
「これは全然違うな、全く違う。これは合コンっていうんだよ。合同コンパ、全く……。あ、けむいか?」
光夫は顔をしかめて、背中に煙草を隠した。
「新しい趣向でも凝らしてるつもりなんだろ。時代を先どるニューパワー、ってやつだ」
「あ……、似てる。とんねるずさんだよねえ」
「うるせーよ」
新入社員の皆を仕切っていたリーダー格の嗣永桃流(つぐながとうる)が代表して皆に「もういいな?」と声を挙げた。さくらを含めた皆が頷き、嗣永はさっそく間村部長を呼びに廊下へと出た。
戻って来た嗣永が「お願いします」と言うと、間村部長は『さっそくですが』の一言をさっそくマイクを使って言った。
『ペアになりましたね、それでは、その決定したカップルを1ペアとします。つまり、これから行う催しには十五のペアが挑戦するという事ですな』
何をするんですか? という質問が多く返された。
『はいはい、これから、初々しい十五組のカップルさん達には、カラオケバトルに挑戦して頂きます』
さくらはその瞬間に思い切り低い声で「ええ~…」と呟きたかった。しかし、我慢する。苦手の骨頂がそこにあるさくらにとっては、一生縁のないだろうスカイダイビングに挑戦しろと言われているようなものである。
『カップル同士に……もうなってますな。なはは、よろしい。デュエット曲でなくっても別に結構ですよ。最後まで歌える曲ならば問題ありません。歌の採点はこのカラオケDAMの採点機がしてくれます』
「採点してどうするんです?」
光夫が挙手を取っ払って声を挙げた。
作品名:アルスカイダルの非常階段 作家名:タンポポ