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にゃんこなキミと、ワンコなおまえ1

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 市のカルチャーセンターで講師をしている母の書は、墨痕鮮やかかつ整然として美しいが、見るたび杏寿郎の眉はへにゃりと下がる。猫が泊ってゆくたびに、じっとその紙を見ているのがまた、いたたまれない。
 口頭で充分ですと、杏寿郎にはめずらしく母に反発したこともあるが、菩薩の如き穏やかさでありつつどこを見てるのか判然としない目で、静かに微笑まれただけで終わった。今も洗濯機には、美しい筆跡で情けなさをかき立てる文言をしたためられた半紙が、堂々と貼られている。
 手洗いできるものは手洗いでと思わなくもないが、穴の空いた靴下や襟ぐりがよれよれに伸びたTシャツばかりになるのは合宿で実証済みだ。
 それでも洗濯物を干したり取り込んでたたむぐらいは、多少シワが寄るけれどもなんとかなる。完全アナログ力加減不要な家事ならば、問題ないのだ。だがアイロンがけはアウトだ。ごく普通のスチームアイロンがなぜだかボイラー並みの蒸気を吹き出し、危険物取り扱いの免状が必要な家電と化す。
 ここまでくれば誰だって、杏寿郎に家電製品が必要となる家事を任せようとは思わないだろう。杏寿郎の手からは白物家電を破壊する電磁波が出ているとは、まことしやかに友人連中がささやくところだ。
 そんな杏寿郎ですら箒《ほうき》やちりとり、雑巾を使えばできるのだから、掃除という家事は素晴らしい。掃除機にはもれなく『禁杏寿郎』の札が貼ってあるが、箒は杏寿郎が使っても壊れない。アナログ万歳。ありがたいかぎりだ。

 閑話休題。

 さて、そんなこんなで『台所のリーサルウェポン』並びに『白物家電クラッシャー』の二つ名を不動に冠している杏寿郎が、一人暮らしなどすればどうなるか。水浸しになった階下の住人から怒鳴り込まれるぐらいならまだマシで、最悪、家を焼け出されるに違いないというのが、みなの共通認識である。両親にしてみればそうそう許可できるものではない。不本意ながら、杏寿郎だってそれは理解している。
 杏寿郎が壊した家電の買い替えやら台所の修繕やらで、かなりの出費を強いられている煉獄家だ。比較的裕福な家庭ではあるが、大食漢な杏寿郎が一人で爆上げしているエンゲル係数も家計を逼迫する勢いだというのに、これでは父も母も頭が痛いことだろう。一人暮らしさせてアパートまで燃やされてはたまったものではないと、考えるのもむべなるかな。家電破壊を理由に小遣いを減らされなかっただけでも御の字だろう。聖人並みに寛容な両親だと杏寿郎とて感謝している。
 だが、それはそれ、これはこれだ。

「……杏寿郎、人の命は炊飯器やレンジとは違うのだ。買い替えられるものではないんだぞ」
「よもやっ! 人死にが出る前提ですか!」

 最終的な進路を決定する三者面談があった本日、夕食後に杏寿郎を正座させた父が、しかつめらしく開口一番に言ったセリフがこれだ。担任には学力も内申も問題なしと太鼓判を押してもらったのに、さすがにあんまりではなかろうか。
 大丈夫ですよとおっしゃった先生の目は、死んだ魚のようだった気もするが、反対されなかったのだから、まぁいい。
 だというのに、諸手《もろて》を挙げて賛成してくれると思っていた両親から、まさかの反対意見である。ハラハラと覗き見ている千寿郎の視線もなんだか痛い。
「家を出ればもう上げ膳据え膳な生活はできないのですよ? 近隣の大学からスポーツ推薦もいくつかきているではありませんか。家から通える大学では駄目なのですか?」
 働かざる者食うべからずを地でいく煉獄家であるから、上げ膳据え膳で暮らしてきた覚えはないが、そこは反論すまい。母の言うことはもっともだ。とはいえ杏寿郎にだって引けぬ理由がある。

「無論、あの大学でなければ駄目です! ほかの大学に義勇はいませんから!」
「……少しは建前というものを覚えんか。先生の前でもそんな志望動機を言うとは思わなかったぞ、えらい赤っ恥だ。この馬鹿息子が」

 満面の笑みで高らかに言った杏寿郎に反し、父の声はかなり疲れていた。心外の極みである。
「お言葉ですが父上、義勇が通う大学の偏差値は、けっして低くはありません! 俺が馬鹿では、あの大学に通っている義勇まで馬鹿のように聞こえるではないですか。いくら父上でも義勇への暴言は聞き捨てなりません! 撤回していただきたい!」
「そういうこっちゃないわっ! 誰が義勇のことを言っとるか、馬鹿はおまえだけだ! おまえのその義勇馬鹿もたいがいにせんかと言ってるんだろうがっ!」
「ふむ。義勇馬鹿とは親馬鹿のようなものでしょうか。ならば望むところです! ぜひとも義勇馬鹿を極めたい! いや、極めてみせます!」
 握りこぶしを固め決然と言った杏寿郎をにらみながら、父はぐぬぬと唸っている。こめかみの血管が切れそうで、なんだか心配になるほどだ。
「杏寿郎の義勇さんへのこれは、手の打ちようがないですから。今さらそこをうんぬんしたところでしかたありません。幼稚園からの筋金入りなのは、あなたもご存知でしょう?」
 頭から湯気を立てそうな父をやんわりとたしなめる母は、達観しているのか穏やかなものである。強力な味方を得たかと、杏寿郎は喜悦に頬を緩めかけた。
 けれども、そうは問屋がおろさないとばかりに、母は冷静な眼差しをひたりと杏寿郎に据えてくる。静かな、けれども強い声音で宣った言葉は、杏寿郎をうろたえさせるのに充分すぎた。さすがは杏寿郎を生み育てただけはある。杏寿郎の弱点をよく知っている。

「ですが杏寿郎、あなたのことですから、義勇さんのご近所に住むつもりでしょう? 最悪の場合、義勇さんまで焼け出されてしまうことになります。よいのですか?」
「……そ、それはっ」

 それは困る。いや困るどころでは済まされない。
 義勇が現在住んでいる地方都市は都心と違い牧歌的ではあるが、酔漢や下衆な輩はどこにだっている。義勇を着の身着のままで夜の街に放り出すなど、とんでもない話だ。飢えたオオカミたちの前に仔ウサギを放つようなものではないか。
 もちろん、義勇を一人きりさまよわせるなんて、天地がひっくり返ろうと許容できるわけがない。不埒な輩を近寄らせるなど言語道断、断固阻止あるのみ。義勇に群がるケダモノどもはひとり残らず滅殺してみせよう。
 剣術家の家系に生まれたばかりでなく、義勇を守るという大義を金科玉条と掲げている杏寿郎である。そのためにも幼いころからたゆまず修練に励んでいるのだ。インターハイ個人優勝は伊達じゃない。ましてや義勇を守る戦いならば、敗北の二文字など存在しない。
 そうして敵を――思い浮かぶのはもれなくモヒカンでヒャッハーな奴らだ。きっと父が愛蔵する世紀末な某少年漫画の影響だろう――叩きのめした暁には、義勇はきっと、杏寿郎の胸に飛び込んできてくれるだろう。どんなに危なげない圧勝だろうと、秀麗な眉を心細げに寄せ、怪我はないか無茶をするなと杏寿郎をたしなめるのだ。たとえ百万の敵が相手だろうと君にかすり傷一つ負わせるものかと笑う杏寿郎に、義勇はちょっぴり頬を染め、馬鹿と甘くなじって抱きしめてくれるに違いない。

 義勇と身を寄せ合い、夜明けを待つ街角……あれ? ちょっといいな。