にゃんこなキミと、ワンコなおまえ3
見咎められたのかと、そろってキョロキョロと周囲を見まわせば、どうやら声は自分たちに向けられたものではないようだ。同列の端に人影が見える。
なにやらもみ合っているように見える人影に、思わず顔を見合わせた。
「喧嘩か?」
「……かな?」
せっかくのクリスマスだというのに、迷惑な話だ。おかげで義勇とキスしそこねた……とは、さすがに八つ当たりがすぎるか。
ンンッと意味なく空咳して、どうする? とお伺いの視線を向けてみる。義勇は肩をすくめ小さくうなずきを返してきた。喧嘩なら止めなければと義勇も考えるはずとの予想は当たりだ。
杏寿郎もヒョイと肩をすくめてみせる。あわただしく荷物を車に入れ、並んで歩き出した足取りはちょっと大股で、苛立ちがあらわだったかもしれない。
人影は二つ、いや、三つだ。騒動のもとは、赤い髪の男と黒髪の男。もみあっているというよりも、赤髪を黒髪が引き止めているというのが正しいかもしれない。
「恋雪もおまえと一緒でいいって言ってるだろうっ。ここまで来て一人で帰るなんて、わがまますぎるぞ、猗窩座!」
「おまえがうるさいから来てやっただけだ。あとは二人で勝手にしろ」
黒髪はいきり立っているが、赤髪のほうは白け顔だ。諍う二人の近くでオロオロとしている女性が恋雪とやらだろうか。いずれにせよ、楽しいクリスマスが台無しになって気の毒なことだ。
「君たちっ! どういう事情かわからないが、せっかくのクリスマスだ。喧嘩はやめたらどうだ。そこの女性も困っている!」
杏寿郎が声をかけても、赤髪の男はいかにも面倒臭げに冷めた視線を向けてきただけだった。
「関係ない他人はすっこんでろ!」
思いがけず怒鳴り返してきたのは黒髪のほうで、これはちょっと予想外だ。さてどうするかと思う間もなく、うろたえるばかりだった女性が声を張り上げた。
「狛治さんっ。親切に言ってくれた人に怒るのは駄目……あの、猗窩座さんも、せっかく来たんだし一緒に行きませんか?」
勇気を奮い起こしたのだろう。最初の呼びかけこそ勇ましかったが、声はか細く小さくなっていく。震える手も痛々しい。
よくよく見れば、男たちの顔立ちはよく似ている。髪色が違いすぎるからか印象に差はあるが、もしかしたら双子なのかもしれない。
「あまり他人の事情に口出ししたくはないが、喧嘩になるのなら放ってはおけん! 家族連れも多いのだ、子供や女性が怯えてしまう。互いに言いたいことがあるのなら、話し合いで済ませるべきではないだろうか!」
「へぇ……ずいぶんといい子ちゃんぶったセリフだ。だが」
狛治というらしき黒髪の男は、恋雪の言葉に多少は落ち着きを取り戻したようだ。だがそれとは裏腹に、猗窩座と呼ばれた赤髪はなにやらニィッと口角をつり上げ、まじまじと杏寿郎を見据えてくる。
なんだか嫌な感じだな。知らず眉をひそめそうになった杏寿郎は、次の瞬間、鋭く打ち込まれた拳を寸前で避けた。
「杏寿郎っ!」
「なにをする!」
驚愕の声を上げた義勇をすぐさま背にかばい立ち、杏寿郎は鋭く猗窩座を睨みつけた。だが猗窩座はますます楽しげに笑うばかりだ。
「わかるぞ。おまえ、強いだろ。なぁ、喧嘩しよう。強いやつを叩きのめすのが、好きなんだ」
「やめろっ、猗窩座!」
狛治の止める声も、恋雪の細い悲鳴も、猗窩座の耳には入っていないのだろう。好戦的な目をギラつかせ、杏寿郎だけを射抜くように見つめ笑っている。
「君がなにを好むのかなど、俺には預かり知らぬところだ。それこそ関係ないな。意味なく振るう拳など持ち合わせてはいない」
「それはそれは。反吐が出そうな優等生のお言葉だ。だが、俺にもおまえの考えなど関係ない。意味なら作ってやろう」
ハハッと愉快げな笑い声を上げ、タンッと地を蹴った猗窩座の狙いは、すぐに知れた。
脇をすり抜け義勇に殴りかかろうとした猗窩座の腕を、杏寿郎は反射的に掴みしめた。一瞬にして闘気をみなぎらせた杏寿郎に、猗窩座はニンマリと笑い顔を寄せてくる。
「おまえの名前は?」
「……煉獄杏寿郎だ。彼を傷つけようとする者は、何人《なんぴと》たりと許さん」
「杏寿郎っ、よせ!」
ギリッと渾身の力で掴んでも、猗窩座の笑みは消えない。ギシギシと骨の軋みが聞こえてきそうなほど力を込めてさえ、だ。
こいつ、ただの喧嘩好きではないな。
杏寿郎は腕を掴んだだけでなく、そのまま腕を引き体勢を崩させるつもりでいた。だが、猗窩座は揺らがない。体幹が優れているだけでなく、杏寿郎の腕力に負けぬだけのパワーも持ち合わせているということだ。飛びかかってくるスピードも、生半可なものではなかった。
少しでも隙きを見せれば、やられる。
負けるつもりはない。けれど、確実に倒せるとの勝算も見えない。
猗窩座も余裕のある態度のわりには動かぬところを見るに、次の攻撃に出ようにも決め手にかけ、杏寿郎の出方を探っているといったところだろう。
俺ならこの状況ではどう出る? どう倒す? 考えろ。なにひとつ見逃すな。思考は目まぐるしくまわる。すべての可能性と、防御と反撃の手を、杏寿郎は無言のまま脳裏に巡らせた。
「やめろって言ってるだろ、杏寿郎! もういいっ!」
義勇の制止の声に従おうにも、猗窩座の行動は見過ごせない。こいつは義勇を狙ったのだ。杏寿郎と喧嘩がしたいなんていう、くだらなすぎる理由で!
憤怒の業火が、胸のうちで唸りを上げて燃え盛っていた。こいつは敵だ。義勇を傷つけようとする者。俺から義勇を奪おうとする輩。すべて排除せねばならない。断じて許せるものか!
力いっぱい噛みしめた奥歯がギシリときしみを上げ、口中に錆臭い血の味が広がる。
わずかにも力を緩めたが最後、こいつは襲いかかってくる。それだけならばまだしも、義勇を邪魔だと判断したら、まず義勇を始末しようと考えるだろう。
長年剣道で培った観の目は、猗窩座の筋肉の動きや息遣い、目線一つからも、情報を見逃さない。危惧は確信に近かった。だからこそ、杏寿郎は一切動けない。
義勇を傷つける可能性がある以上、手を離すこともできず、さりとて足払いして動きを封じようとしても、猗窩座に避けられる予想は簡単につく。それどころか、片足立ちになった一瞬を好機と、逆に優位な体勢に持ち込まれる恐れが高い。
ギンッと睨みあい、無言で手のうちを読みあう、一触即発な沈黙の攻防。杏寿郎と猗窩座のあいだには、誰も割り込めぬまま時間だけが一分、二分と、過ぎていく。恋雪は当然のことながら、狛治もまた、下手に手を出せば均衡が崩れかえってマズイ事態になるのを感じ取っているのだろう。手をこまねいている気配がした。
駄目だ。このままでは力負けするかもしれない。ジリッと猗窩座の足が動きだす。ツッと杏寿郎のこめかみを汗が一筋流れた。
と、そのときだ。
「っ!?」
「……おまえ」
杏寿郎の頬をかすめるようにして猗窩座の頭上スレスレに飛んできたのは、石つぶてか。猗窩座の視線が初めて外され、杏寿郎の背後に注がれた。
「そこまでだ。次は当てる」
義勇の声はいたって静かだが、それでも怒りが隠しきれていない。だが、杏寿郎だって引けるはずがなかった。
作品名:にゃんこなキミと、ワンコなおまえ3 作家名:オバ/OBA