にゃんこなキミと、ワンコなおまえ3
とはいえ、さすがに館内でも手を繋いだままは、恥ずかしくて嫌なんだろう。そろっと離れていった義勇の手がちょっと残念だけれども、義勇が嫌がることなどしたくないからしょうがない。
「美術館というのは、なかなかおもしろいものだな」
「そうだな」
少し顔を寄せてかわす会話は声量控えめだ。レストランの予約は十八時半。現在の時刻は二時半を過ぎたばかりで、まだまだ時間には余裕がある。
杏寿郎は、傍らに立つ義勇を視線だけでうかがった。
義勇の眼差しはまっすぐ展示物に注がれている。相槌こそそっけないが義勇も楽しんでいるのが見て取れ、杏寿郎はこっそり胸をなでおろした。
今後のデートは美術館を選択肢に入れてもいいかもしれない。そんなことを考える杏寿郎の唇には、知らず穏やかな笑みが浮かんでいた。
楽しんでくれているようだし、義勇は寒がりだから、散策するよりもここで時間をつぶすほうがいいだろうか。温泉に入ってもいいが、湯冷めしては大変だ。それはもっと暖かい時期にするべきだろう。
熱心に作品を見るふうを装っていても、杏寿郎の思考はすぐに義勇で占められてしまう。
美術関連に造詣の深い宇髄とは違い、杏寿郎には彫刻の良し悪しなどよくわからない。義勇だって同様だ。
せっかく遠出したのだし無料ならばと美術館の展示も見ることにしたのはいいけれど、本音を言えば杏寿郎は少々不安だった。彫刻を見ても理解できるかあやしいものだし、デートだというのに盛り下がっては元も子もない。
だが杏寿郎の不安など杞憂にすぎず、義勇は杏寿郎の解説などはなから期待していなかったとみえる。作品を見る義勇の表情は無愛想ながらもやわらかいが、杏寿郎に質問する気はさらさらないようで、入り口でもらったリーフにたびたび目を落としていた。
義勇に解説を求められても、わからんとしか返せないのだから、いいんだけれど。杏寿郎にも説明してくれる気遣いが、うれしくもあるのだけれども。でもやっぱり、ちょっとばかり悔しい。
こんなことで悔しがること自体が、まだまだ子供だという証明なんだろう。思えば焦りと苛立ちも少し。大人の男への道は険しい。
常設されている作家の作品は、主に木彫りの像だった。
ぬくもりを感じる作風の像が並ぶ空間は、清々しい木の香りがしている。デフォルメされたフォルムの動物や子供の像はもちろんのこと、鬼の像でさえ思わず笑みが浮かぶほどには愛らしい。審美眼などなくとも、見ているだけで癒やされる心地がする作品ばかりだ。
それでも杏寿郎の視線は、作品群ではなくそれを鑑賞する義勇のやわらいだ横顔へと、知らず識らず向かってしまう。癒やされるという意味では義勇以上のものなど存在しないので、杏寿郎にとっては至極当然な帰結だ。
ゆったりとした歩みで一つひとつ作品を見ていく。駐車場は満車に近かったが、美術館にはそれほど客が多くないのがありがたい。
杏寿郎だって人が多い場所より開放的な空間を好んでいるが、義勇は杏寿郎以上に人混みが苦手なのだ。
本音を言えば、金銭面だけでなく人出の多さも杏寿郎にとっては懸案だった。義勇を疲れさせてしまってはクリスマスデートも台無しではないか。
ならばイルミネーションなど見たがるなと不死川あたりには睨まれそうだが、それはそれ、これはこれだ。だってクリスマスだし。だって、恋人なんだし。義勇に楽しんでもらえれば結果オーライだ。
なにせクリスマスといえば、恋人たちにとっては一大イベントである。だというのに、去年は千寿郎に慰められつつ泣く泣く家で過ごさざるを得なかったのだから、多少は浮かれても許されると思うのだ。
当然のことながらインフルエンザになった義勇を責める気は微塵もない。離れて暮らさねばならない自分の年齢こそを杏寿郎は呪いたくなったものだ。今年は絶対に思い出に残る一日にしたい。
もちろん、義勇と過ごせるなら家で卵かけご飯のクリスマスになろうとも、杏寿郎にとって思い出の一日になるのは確実だけれども。
観光客の多くはスポーツや温泉を楽しんでいるんだろう。人気の少ない美術館は、場所柄もあってかチラホラと見かける来館者たちの話し声も囁きばかりで、ずいぶんと静かだ。自然と杏寿郎の声も密やかになる。
会話は内緒話のように顔を寄せ合ってとなり、杏寿郎の機嫌はうなぎ登りだ。義勇だって人前でのこの距離を咎めてこない。映画館とは違って、ずっと話していたって誰の迷惑にもならずにすむから、義勇に怒られることもない。
美術館バンザイ。うむ。今後のデートはやっぱり美術館を視野に入れよう。
穏やかながらもウキウキしつつ、ゆっくり見てまわったはずだったが、最後の展示にたどり着くまで一時間もかからなかった。少々残念だがひそひそ話の距離感は終了だ。
「夕飯まで時間はまだまだあるが、そろそろ水族館に行ってみようか」
「そうだな」
杏寿郎にとってここでのお目当てはあくまでも金魚――というか、愛のパワースポットだ。
なんで金魚が? と首をひねりたくなる眉唾加減だが、まぁいい。金魚を見ながら愛を語らいあえば水の精霊の恩恵が受けられるという謳い文句が気に入った。商魂たくましいとも思うが、そこは大人の事情というやつだろう。
もっと信憑性に富んだパワースポットだって探せばいろいろあるだろうが、正直なところ興味はない。水の精霊というワードがなければ、ここにだって関心を持つことはなかっただろう。
恋愛にかぎらず、神頼みは杏寿郎の性に合わない。神にすがるより己の力を振り絞るほうが、どんな結果になろうとも後悔は少ないはずだ。
それでも義勇と来たかった理由なんて単純明快、義勇はなんとはなし水を思わせるのだ。澄んだ青い瞳のせいかもしれない。
凪いできらめく南国の海のようでもあり、静謐で神秘的な深海の色を見せることもある、義勇の瞳。それは穏やかなばかりではなく、ときに荒波の強さを見せることもある。さまざまな表情を見せるその瞳は、いつでも豊かな海に似た輝きを放ち杏寿郎を魅了する。本当に水の精霊とやらがいるとしたら、義勇にどこか似ているに違いないと思わせるほどに。
ときどき杏寿郎は義勇の瞳を見つめながら、スモモはいいなと思うことがある。この瞳の海で一生泳げるのなら、自分も魚になりたい。そんなことをわりと本気で考える。今もふと頭に浮かんだのは、家の池で今ごろ我が物顔で泳いでいるはずの、もはや鯉じゃないかという金魚の姿だ。
スモモは金魚だから、海では泳げないだろうが……いや、そうでもないか。スモモなら海でも平然と生きていける気がしないでもない。うむ、それはもう金魚じゃないな。金魚じゃないなら鯉か。鯉も淡水魚だが、スモモならばおそらく問題ないだろう。なんなら大海の主にもなれるかもしれん。
うんうんと杏寿郎が無意識にうなずいていると、義勇がキョトンと首をかしげた。
「行かないのか?」
「いやっ、その、夕飯までの時間を考えていた!」
気恥ずかしくなってついいつものトーンで言ったら、コラッと控えめなお叱りが飛んできて、唇をちょんと指先で抑えられた。
「こういう場所で大きな声は駄目だ」
「……ごめん」
作品名:にゃんこなキミと、ワンコなおまえ3 作家名:オバ/OBA