にゃんこなキミと、ワンコなおまえ3
小さい子にするような仕草と上目遣いに、悔しいやらときめくやら。
すぐに離れていった指先を、パクリと食んでしまいたい。チュッと吸い付き舌でなぶれば甘く息を震わせる義勇の姿を、杏寿郎はもう知っているのだ。
ゾクリと背筋を走る震えに、自分の意思ではままならない部位が「出番ですか?」と頭をもたげかける。
まだ早い! おとなしくしてろ!
胸中でわめきたてつつも、杏寿郎はことさら明るく笑ってみせた。
「水族館にも彫刻の展示があるみたいだ。先にそっちを見てみないか?」
今すぐ愛の語らいというのは、ちょっとマズイ気がする。義勇の瞳が甘く揺らめくのを見たりしたら、時と場所も考えずにキスしてしまいそうだ。今年の正月に食らった平手は痛かった。あれはもう勘弁願いたいと、杏寿郎はブルリと背を震わせた。
「じゃあ、そうするか」
幸いなことに、義勇は杏寿郎の焦りには気づかなかったらしい。こともなげにうなずき、出口に向かって歩きだしている。
「杏寿郎?」
五歩ばかり進んだところで、義勇が振り向いた。歩きださない杏寿郎をいかにも不思議そうに眺め、コテンと首をかしげるのがかわいい。
「あ、いや、その……」
とっさに歩きだせなかった理由など言えるわけもなく言いよどめば、ふと義勇の顔にやわらかな笑みが浮かんだ。
「おいで」
やさしい声と微笑みで差し伸べる誘いの手は、愛しい恋人に向けたものなのか、それとも愛すべき弟に対してのものなのか。
いずれにせよ、悔しさもうれしさも、同じだけ杏寿郎の胸をキュッと締めつける。
無言で歩み寄り、杏寿郎は義勇の手をとった。指を絡め恋人繋ぎにしたのは、悔しさのほうがほんの少し大きかったからかもしれない。
パチリと一つまばたいた義勇は、ちょっぴり頬を染めマフラーに顔をうずめはしたが、手を離そうとはしなかった。だから杏寿郎の胸はまた、あふれかえる愛おしさと少しの切なさに、トクリと音を立てる。
ほら、ちゃんと恋人だ。
「行こう」
穏やかにうながせば、コクンとうなずいてくれるから、杏寿郎も微笑み歩きだした。
エスコートを務めなければならないのに、またもや不甲斐ないところを見せてしまった。頼りがいのある恋人になるというのは本当にむずかしい。年上の恋人を持つ先輩諸氏は、どうやってこの難題を乗り越えてきたのだろう。
だがむずかしいからこそ、やりがいもある。努力なくして道は拓けない。
義勇に楽しい一日だったと笑ってもらい、杏寿郎と一緒に暮らしたいと思わせる。それが本日の目標だ。前者はともかく後者のハードルは高そうだが、負けるものか。
知らず力のこもった杏寿郎の手を、義勇もそっと握り返してくれた。道は険しいが、暗くはない。はずだ。
期待とときめきはいや増すが、どうにかやんちゃ坊主はおとなしくしてくれたようである。杏寿郎は安堵のため息を内緒で飲み込んだ。
バッグに潜ませてきた小さな箱の出番には、まだまだ時間が早すぎる。盛り上がる前に終了は勘弁してほしいものだ。
美術館を出てほんの三メートルも歩めば、巨大な温室めいた水族館に着く。なかにはショップやカフェもあるからか、美術館よりも来館者は多かった。
日本最大級が売りだけあって、リゾート内でもイルミネーションと並ぶ見どころなのだろう。親子向けのワークショップなども開催されていて、こちらのメインターゲットは家族連れだと知れる。美術館の静謐さと比べ、子供たちの明るい声が響きにきやかだ。
壁が全面ガラス製な建物だからか、それとも人が多いせいなのか、館内は先よりずっと暖かい。マフラーとコート姿のままでは杏寿郎には暑いぐらいだ。
けれどもコートを脱ぐなら、義勇の手を離すことになる。これだけ人目があると、一度離してしまったが最後、恥ずかしがりやな義勇は少なくとも館内ではもう手を繋ごうとはしないだろう。
ためらう杏寿郎の心中などおかまいなしに……というか、むしろお見通しだったんだろう。義勇の秀麗な顔にわずかばかりの苦笑が浮かび、指がほどけた。
「また外に出たとき、よけいに寒くなるから」
言いながら離れていった手に、杏寿郎も渋々ながらうなずいた。
手を繋いでいたくないわけじゃない。言葉の裏に感じるなだめるひびきは、やっぱりどことなし子供扱いめいている。
いや、汗をかいたまま外に出れば風邪を引くかもしれないという、気遣いだ。義勇のやさしさだ。不満げにしては罰が当たる。
吐息とともに小さな不満を捨て去り、杏寿郎はするりとマフラーを外した。義勇がくれた大事なマフラーだけれど、首周りの温度が下がっただけでも少しホッとする。ニットがVネックなのが正直ありがたい。
派手に熱い男だってのに本人が暑がりとはねぇと、宇髄にはケラケラと笑われるが、体質はどうにもならない。どんなに暑かろうと義勇を抱きしめて眠る根性だけあればいいのだ。こんなところで我慢する必要はなかろう。
「すまん、ちょっと持っててくれ」
コートも脱ごうと義勇にマフラーを差し出したが、返事がない。ん? と視線を向ければ、なぜだか義勇は杏寿郎の襟元を凝視していた。
「義勇?」
「あ、あぁ。悪い」
なぜか慌ててマフラーを受け取り、そそくさと視線を外すから、杏寿郎の疑問は深まるばかりだ。体調不良には見えないが顔が赤い。
「……全部宇髄か?」
「ん? あぁ、服の話か。そうだが……なにかおかしいところがあるか?」
大人っぽくという杏寿郎のリクエストに応え、派手好みの宇髄にしてはおとなしめなコーディネートだ。母や千寿郎にも似合うと太鼓判を押してもらった。
とはいえ、義勇に気に入られなければ意味はない。少し不安になって問えば、義勇はフルフルと首を振った。
「いや、似合う」
「それならいいが……大丈夫か? 顔が赤い」
「へ、平気だっ。俺もちょっと暑くなっただけだ」
額に触れようとした手を避けられ、杏寿郎の眉がちょっぴり下がる。顔だってそむけられたままだ。けれども問い詰めればきっと義勇はへそを曲げるだけだろう。
「一度外に出たぶん、温度差も激しく感じるのかもしれないな」
「……そうだな」
笑いかけ、この話はおしまいとコートに手をかける。……なんだかやけに義勇の視線を感じるけれども、気のせい……では、ないような。
顔をそらせたくせに、義勇は横目でチラチラとうかがってくる。いったいなんなんだろう。だが、不快げな感じはまったくしない。
「俺も脱ぐ」
コートを小脇に抱えたと同時につぶやいた義勇のセリフに、ドキリとする。
おい、まだ出番じゃない。おとなしくしてろと言ってるだろう!
またもや反応しかけた自身を、胸中で怒鳴りつける。我ながら反応が良すぎて、思わず天を仰ぎそうになった。
でもしょうがないだろうとわめきたくなる口を、杏寿郎はグッと引き結ぶ。何度か聞いたし杏寿郎も口にしたこの言葉は、主に義勇の狭いアパートで、そういうときに聞くものになって久しい。パブロフの犬も真っ青な条件反射だ。
「杏寿郎?」
黙り込んだ杏寿郎を訝しんだか、今度は義勇のほうが不思議そうに呼びかけてくる。
「あぁ、すまん。ありがとう」
作品名:にゃんこなキミと、ワンコなおまえ3 作家名:オバ/OBA