にゃんこなキミと、ワンコなおまえ3
「……ズルい」
「義勇が言い出したんだぞ? ホラ、金魚見よう」
笑って手を引けば、少しすねた顔をしながらもうなずき、スモモに似てるのもいるかなとつぶやく。照れ隠しなのがみえみえの言葉だが、なんだかちょっぴり子供っぽいのがかわいい。
「それはどうかな。スモモに似ていたら、それはもう鯉じゃないだろうか」
「違いないな」
フハッと笑った義勇に、杏寿郎もつられてふにゃりと笑んだ。
「金魚が大きくなってもフナに似るだけだと思うが、スモモは特別製だな」
「世界で一匹のか? それはちょっと、かわいそうだな」
ふと寂しげになった声音と少しふせられた目に気づき、杏寿郎は握る手に力を込めた。
「それならスモモに嫁でも見つけてやろう。次の夏に帰省したら夏祭りに行って、金魚をすくえばいい。きっと千寿郎も喜ぶぞ」
「……スモモって、オス?」
「……たぶん」
沈黙は短かった。見合わせた目が同時に細まり、そろって小さく吹き出す。
「そういえば、どちらなのか調べたことがないな」
「どっちにしても、すくった金魚じゃ小さすぎて、嫁さんや旦那になる前に餌になっちゃうんじゃないのか?」
「うぅむ……スモモは狙ってくる野良猫さえ、逆に食おうとするほどだからな。それはあまりにも酷いか。ならば嫁にするのは、大きくなるまで家のなかで育ててからだな!」
「大きくなったらお嫁さん?」
「うむ!」
笑った顔をさらに近づけ、ささやきは内緒話のひそやかさ。吐息が耳をくすぐる距離で。
「俺も大きくなったぞ、義勇」
「……法改正はまだされてないぞ」
だいいち嫁になるのはおまえじゃないだろと、見返す目が伝えてくるが、浮かんだ笑みは消えていない。大きくなったらお嫁さんになってくれと何度もしたプロポーズの答えなんて、いつだって同じだ。だから杏寿郎も落胆なんかしない。
いいよ。
それ以外の言葉が返ってきたことなど、一度もないのだ。
男同士では結婚できないとお互い理解する年になっても、杏寿郎は義勇とずっと一緒にいると口にし、義勇の答えも変わらなかった。恋と知らずにいたころでさえ。
恋だと知って、恋だと確認しあった今も、これから先も、きっと変わらない。
大事なのは婚姻という契約ではなく、愛し愛され生涯をともにする約束そのものだと、お互いわかっている。だからこそ悲壮感など微塵もなく、嫁だなんだとの軽口も叩けるのだ。
胸をジンと熱くさせる甘やかな喜びに、杏寿郎の顔はとろけんばかりとなる。
「法律が許さなくても、父上たちや蔦子姉さんは絶対に許してくれるぞ。宇髄たちもだ」
「知ってる」
吐息だけで笑った義勇が、唐突に杏寿郎の鼻先をピンッと指で弾いた。
「痛っ」
「体が大きくなっただけじゃ駄目だろ。一緒に暮らすのはまだ早い」
「……大学生になってもか? 俺だってもう十八だぞ」
体だけでなく、世間から大人と呼ばれるのも近い。
「それに、錆兎さんたちだってほぼ同棲してるようなものだと、義勇も言っていたじゃないか」
不満を悟られぬよう抑えたつもりでも、声は我ながらふてくされて聞こえた。義勇の笑みが苦笑に変わる。
「よそはよそ、うちはうちと、瑠火さんも言ってるが?」
「むぅ、母上を持ち出すのはズルいだろう。だが……」
フフッと面映ゆさをこらえきれずに杏寿郎が笑ったのに、義勇が、ん? と首をかしげた。
「まだ早いと言うなら、いつかは必ず俺の嫁になってくれるってことだからな。うれしい」
予想外の返しだったんだろう。義勇の顔がポケッとあどけなくなり、たちまち赤く染まる。
「何度も言わなくていい。あれだけ大泣きで約束しろと迫られたら、守らないわけにはいかないだろ」
視線を少しそらせて口早に言った義勇に、今度は杏寿郎のほうが絶句する番だ。ボンッと音を立てる勢いで顔だって赤くなる。
義勇の目が、どことなし遠くを見るように細まった。幼子を見るような風情なのが、悔しさをかき立てる。
「あれを持ち出すのもズルいぞっ。忘れてくれとは言わんが」
「忘れなくていいのか?」
からかうような口調だが、寄り添う距離は変わらず、繋ぎあった手もそのままだ。
「いいんだ。義勇といつか笑って思い出話をする日が楽しみだからな。だが、今は勘弁してくれ。恥ずかしくてたまらん」
「……うん。それは、楽しみだ。今日のことも、いつかたくさん話せるといいな」
微笑みはやさしくて、手の届かない星を見上げるようだった。
なんでだろう。義勇は笑っているのに、胸の奥を冷えた手でソワリと撫でられたような心持ちになる。
「義勇……」
理由もわからず浮かび上がった不安に自然と出た呼びかけは、少し弾んだ義勇の声に抑え込まれた。
「きれいだな。イルミネーションの前哨戦って感じだ」
気がつけば金魚のエリアの入り口に立っていた。な? と同意を求めてくる義勇の眼差しは、もういつもどおりだ。
見回したエリアは黒い衝立に囲まれている。いたるところに置かれた丸い水槽には、すべて金魚が泳いでいるんだろう。衝立にも円形の水槽が埋め込まれていて、色とりどりの光を発していた。じつにカラフルでどことなく幻想的だ。
「ソファは奥か?」
「あ、あぁ……そうみたいだな」
「そうか。まずはこのエリアを見てまわってからだな。時間は大丈夫か?」
ごまかしている感じはしない。義勇の声は少し弾んでいる。笑う顔はどこかあどけなかった。
「ホテルまで五分もかからないし、買い物によほど時間を取られなければ大丈夫だろう」
「……パワースポットに時間をとられなければ、じゃないのか?」
返された言葉は今度こそからかいめいている。杏寿郎は思わず軽く目を見張った。
浮かれてる。義勇が。まるであの事件が起きる前の、義勇みたいに。
瞬間ヒヤリと背を撫でた少しの不安は、沸き立つ歓喜に鳴りを潜めていく。だいいち、心配することなどなにもない。
毎日交わすメッセージでも、週末の電話でも、義勇はなにも変わりなかった。今日だって変わった様子は見られない。錆兎たちだってなにも言ってこないし、宇髄や不死川も同様だ。
義勇になにごとかあれば、彼らは必ず杏寿郎に報告してくれる。どんなに義勇が杏寿郎には内緒でと相談したところで、義勇の身に危険が及ぶことならば杏寿郎に告げぬはずがなかった。
伊黒にいたっては秋口からかなり多忙らしく、よっぽど余裕がないのか杏寿郎の誘いでさえけんもほろろに断られている。遠慮がちな義勇が相談事を持ち込むとは考えにくい。
成人が近い年齢になろうと義勇が末っ子扱いなのは健在だ。義勇は異議を唱えたいだろうが、杏寿郎は義勇の保護者というのはみなの共通認識なのだ。誰も杏寿郎に言ってこないのなら、不穏な出来事は起きていないということだろう。
心配はいらないかと小さく苦笑すれば、義勇の浮かれた調子に杏寿郎だってつられる。
「ゆっくりと愛を語らうなら、二人きりでがいい。本番は夜に」
からかいなど一切ない声音でささやけば、義勇は一瞬の絶句のあと、ドンッと足を踏みつけてきた。意趣返しにしては手荒すぎないだろうか。
「痛いぞ」
「変なこと言うからだ。バカ犬っ」
作品名:にゃんこなキミと、ワンコなおまえ3 作家名:オバ/OBA