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にゃんこなキミと、ワンコなおまえ4-1

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 こういった場面に慣れた大人のごとき杏寿郎の振る舞いに、図らずも義勇の心臓が小さくわめいた。聞いてない、こんなに格好よくてスマートなさまを見せつけられるなんて、俺は聞いてないぞ! そんな文句をまき散らし鼓動がドキドキと騒ぎ立てる。車中での杏寿郎の言葉を思い出せば、こっそり舌打ちすらしたくなった。

 セクシー、だと? そんなのおまえのほうじゃないか。
 ジェントルな仕草に、静かで男らしい笑み、鍛えあげられていることが服の上からでもわかる体躯。こんなの誰だって見惚れるに決まってる。セクシーどころかフェロモンの塊だ。
 きれいな線を描く鎖骨に視線が釘付けになる。TPOにそぐわぬ想像がかき立てられて、なんだかいたたまれない。
 いや、想像ではなく記憶か。首筋を伝った汗が鎖骨のくぼみに貯まるさまを、義勇は知っている。脳裏に蘇るのは、オレンジの豆電球とつけっぱなしのテレビだけが光源な薄暗い部屋で、揺らされながら見上げる杏寿郎の姿。汗が光る熱い肌、野生の獣のような荒い息遣い、そのくせ触れる手はたとえようもなくやさしい。全部知っている。
 たくましい首で尖る喉仏が小さく動くところなど見てしまったら、もはや見つめることさえためらわれた。

 降って湧いたときめきに、ボタンを外す義勇の手はちょっとばかりギクシャクと動いた。スッと後ろに回り込んだ杏寿郎にコートを自然な仕草で脱がされると、鼓動はなおいっそう早くなる。
 にこやかな声でお願いしますとフロントに告げる杏寿郎の背も、昔に比べたら格段にたくましい。義勇は脳内を占めかけた夜の記憶を追い出すべく、ちょっとむくれて白く広いその背をにらみつけた。見えないのをいいことに、杏寿郎の背中に向かって「イーッだ!」と猫の威嚇よろしく鼻にしわを寄せたりもする。
 これだから杏寿郎は侮れないというのだ。どうにか無表情を取り戻したものの、もし人目がなければ、義勇は杏寿郎に向かって子供のように頬をふくらませてみせただろう。それどころか、しゃにむに抱きつきキスをねだっていたかもしれない。
 理性を捨て去るのはごめんだ。今はまだ。一人で大人になろうとなどしないでほしい。勝手が違って、心の奥の不安がまた頭をもたげてしまいそうにもなる。
 ときめきは、不意打ちだからこそ、義勇自身の本音の在り処すらあらわにする。そんな本心は義勇にとって忌むべきものだというのに。

 だが、不安は長くは続かなかった。さぁ行こうと義勇をうながし歩きだした杏寿郎が、エレベーターに乗り込むなり、小さく眉をひそめ唇をとがらせたので。
「……失敗した」
「なにを?」
 エレベーターに乗り込んだのは、義勇たちだけだ。二人きりで少し気がゆるんだのか、めずらしくも小さな舌打ちすらこぼすから、我知らず義勇はせわしなくまばたいた。
 今の流れのどこに悔しがる要因があったというのだろう。問えば杏寿郎は、ハッと目を見開き頬に朱をのぼらせた。どうやら無意識の独り言だったらしい。
「い、いや、そのっ」
「なにも失敗などしていないと思うが?」
 ずいぶんうろたえているから、なんとはなしかわいそうにすらなって言うと、杏寿郎は観念したらしい。
「……フロントを立ち去るときが、腰を抱く絶好のタイミングだと宇髄に教わったのに、緊張してしそこねた」
「は?」
 思わずポカンとして、義勇の目と口が丸く開く。
 宇髄の名が出るのはべつにいい。なるほど、宇髄からレクチャーされていたかと、納得もいく。杏寿郎のことだから、面倒臭がる宇髄を押し切り教えてくれと頼み込んだんだろう。そして絶対に、特訓した。スマートが聞いて呆れるスポ根ノリで。受験生のくせに。
 礼は首尾の報告ってところだろうな。義勇は胸中でこっそりと、絶対に黙秘権を行使させようと誓う。宇髄だって本気で聞き出そうとはしないだろうが、素直に白状されてはたまったもんじゃない。

 それはいいとして、いったいなんなのだ。腰を抱くタイミング? 誰の? 決まっているだろう、俺のだ。

「……杏寿郎」
「いやっ、だってっ、クリスマスだしどうせ周りもカップルばかりだから、それぐらいはむしろしろと宇髄が! うながすときにそっと腰を抱くだけなら自然だし、下心がみえみえにならずにスマートな大人に見えて、義勇だってドキリとするはずだと言われたから、それでだな! あっ、しっかりと抱くつもりはなかったぞ! こうっ、そっと支えるぐらいでと言われた、し……すみませんでした」
 ひとしきりわめいたと思ったら、バツが悪そうに視線をそらせた杏寿郎に、あっけにとられる。

 下心、あったのか。あるのか。……いいけど。

 というか、なにもないと言われればそれはそれで、デートなのに? と、ちょっぴり面白くない気持ちにもなっただろうが、そこはあえて目をそらす。
 恋人同士なのだから、そういう期待がないとは義勇にも言えない。けれどもはっきり口に出されるのは、勘弁してほしいところだ。あけすけになれるほど慣れちゃいない。杏寿郎だって、大胆に誘ってくる真似など今まで一度もしたことがないのだ。
 狭くて古いアパートの一室で行為におよぶときは、二人の気持ちが互いに高まったことを、見交わす視線が教えてくれる。杏寿郎は必ずといっていいほどお伺いを立ててくるから、せいぜい年上ぶってうなずいてやることもできた。スマートな誘い文句など、ついぞ耳にしたことがない。
「人がいないからってわめくな。こんな場所で大声を出してたんじゃ、大人とは言えないな」

 ドキリとさせられる? 冗談じゃない。そんなスマートで自然な大人のふりなどしなくても、いつだって何度だって、杏寿郎にはドキドキさせられっぱなしなのだ。知られぬようにしているのは自分なのだから、気づかない杏寿郎を責めるいわれもないけれども。

 今度宇髄に逢ったら、アカンベェしとこう。

 胸中で固く拳を握り決心すると、そっけなく義勇は言った。冷静を装ったら、我ながらちょっと冷たい声音と口調になって、内心ほぞを噛む。
 責めたいわけじゃないのに、幻滅したと言わんばかりに聞こえたんじゃないだろうか。
 ちらりと横目で杏寿郎をうかがう義勇の心中は、いろいろと複雑だ。ときめきは消えきっていないし、期待もある。けれど恥ずかしいのも不安も事実で、うれしいけれどうれしくないし、怒っているけど怒ってない。
 こういう義勇自身にも明確にしきれない感情の機微だって、いつもの杏寿郎ならきちんとくみ取ってくれる。だけど、常とは異なるシチュエーションへの緊張もある今は、どうだろう。
 まだ高校生なのだ。恋人を連れての背伸びした大人なディナーなんていったら、そりゃ浮き足立ってもしかたない。緊張だって本当は並大抵ではないはずだ。それなのに責められたら、さしもの杏寿郎だって落ち込むのではないだろうか。
 せっかくの、クリスマスデートなのに。
 去年は義勇が不甲斐なくも寝込んだせいで、逢うことすらできなかった。恋人になって初めてのクリスマスだったのにだ。