にゃんこなキミと、ワンコなおまえ4-1
ほんのいっときだが寝袋持参で泊まりに来ていたことを思い出させれば、杏寿郎の顔がヒクリと引きつった。我慢強さは折り紙付きとはいえ、いまさら寝袋は勘弁願いたいんだろう。杏寿郎は視線を泳がせている。
「あー……それより、義勇は写真を撮らなくていいのか? 錆兎さんたちが見たがりそうだが」
「……おまえのを送ってくれればいい。俺が撮ってもうまく写せないの知ってるだろ」
話のそらしかたとしては無難だ。けれども義勇の心臓は一瞬キュッと縮こまった。
「調理家電の扱いはお手の物なのに、義勇は黒物家電に弱いからな。俺と暮せばビデオの予約も楽だぞ?」
「うるさい。レンジや洗濯機が使えれば問題ないっ。それに、どうしても見たい番組があったら、錆兎に頼んでるからいい」
「禁句だと自分も言ったくせに、それはズルいだろ」
むぅっと唇をとがらせる杏寿郎に、義勇はしてやったりという笑みを浮かべてみせた。小狡いと自分でも多少は思うが、スマホから意識が離れてくれたならそれでいい。
義勇が写真を撮ろうとすれば、杏寿郎もスマホを覗き込んでくるに決まっている。そうして目ざとく見つけるのだ。見知らぬアプリを。
気づかれたら「これは?」と聞かれるのは目に見えている。スマホの基本機能さえうまく使いこなせない義勇がアプリをダウンロードするなど、杏寿郎からすれば青天の霹靂と言っていいのだ。フリックすらいまだにうまくできなくて、文字を打ち込むのに義勇がいちいちタップし続けていることだって、杏寿郎は知っているのだから。
『隠しとおすつもりなら、アプリが入っていることを絶対にバレないようにしろ。杏寿郎は貴様に関してだけは異様に勘が鋭いからな』
言われなくても。脳裏に蘇った伊黒の声に、義勇は胸中で強くうなずいた。
本当に伊黒には感謝が尽きない。相談できてよかった。コートのポケットにあるスマホを、義勇は知らず握りしめた。お守り代わりのアプリを使うことなく済めばいいのだけれど。
「錆兎に頼むときは、錆兎の家で録画してもらってる。うちに遊びにくるときも、真菰や村田が一緒だ。うちに一人でくるのは姉さんとおまえぐらいだ」
狭い部屋だ。三人も座れば窮屈でしかたがない。けれども錆兎たちは、決して一人で訪れることがなかった。杏寿郎の嫉妬深さは誰にも筒抜けなのだ。呆れた顔で苦笑するものの、あんなヤキモチ焼きはやめておけなど誰も言わないのが、ちょっぴり不思議ではある。
いや、本当は不思議でもなんでもない。みんな知っているだけだ。
世界中で誰よりも義勇を大事に、大切に想っているのは、杏寿郎だということを。
もしかしたら周りの人らにも、自分と杏寿郎は、世界にたった一組しかいない番《つがい》だと思われているのかもしれない。絶滅危惧種ってやつだ。保護が必要だと思われているんだったりして。親切心からだろうとシェルターに入れられるのは御免被《ごめんこうむ》るけれども。
「べつに、浮気するなんて疑ってないぞ」
不満げにも聞こえる文言だが、杏寿郎の声音から義勇にもたらされる情報は、なんだか面映ゆくさえある。
仲間はずれみたいで寂しくて、義勇のそばにいられるのが自分じゃないことが悔しくて。でも、義勇が楽しく平穏に暮らせているのにホッとしてもいるし、錆兎たちに感謝だってしている。杏寿郎の豊かな心のなかでは、そんな様々な感情が入り乱れていることだろう。全部義勇に関してばかりだから、義勇の心も歓喜に揺れ、羞恥に乱れる。
感情ってやつは厄介だ。喜怒哀楽の四つきりならわかりやすいのに、そうじゃないから自分自身の心にさえ戸惑う。
それが恋なら、なおさらに。
「俺は、少しだけ疑ってる」
「はっ!? な、なぜだっ! 誰に!? 浮気など俺は絶対にしないぞっ、ずっと義勇一筋だ!」
鳩が豆鉄砲を食ったようにあわてふためく杏寿郎に、周囲の人々の視線が集まる。意識を反らせるダメ押しのつもりだったが、ちょっと失敗したかもしれない。
「知ってる。声が大きい。……俺だって、ちょっと悔しい。特訓は二人きりだったんじゃないのか?」
冷静でいるようでいて、自分も少し泡を食ったせいだろう。言わなくてもいいことを言ってしまった。ポカンと見つめてくる杏寿郎の視線が、どうにも恥ずかしい。
杏寿郎の顔に、はにかむような笑みがふわりと浮かんだ。
「宇髄のことは尊敬しているし、いろいろと力になってもらって感謝もしている。不死川や小芭内だってそうだ。みな大切な友人だからな。だが、俺が恋しく思うのは、義勇ただ一人だ。大切な人は大勢いるが、俺にとってかけがえのない特別な人は、義勇だけなんだ」
言い聞かせるというよりむしろ、高らかな宣言めいた言葉を、杏寿郎はひそやかに紡ぐ。世界中の誰に知られたって恥じる必要のない確固とした事実だと言わんばかりに。隠しきれない歓喜と幸福感がにじむ声で、穏やかなささやきでもって告げられる愛の宣言。途方もなくやさしい声と欠片も嘘のない眼差しで。義勇をまっすぐに見つめ、微笑みながら。
「うん……知ってる」
義勇だって同じだ。かけがえのない恋人は杏寿郎だけ。胸を張って言える。
だけれどもやっぱり同様に、大切な人も大勢いる。今度のことだって、一人では抱えきれなくなって結局伊黒に相談した。
さんざん嫌味を言われたし、説得だってされた。それでも最終的には協力してくれたのだから、本当にしばらく頭が上がらない。いい友人をもって幸いだ。
錆兎や真菰、村田だって、大切な友人である。もちろん宇髄と不死川も、義勇にとっては大事な人だ。姉夫婦や煉獄家の面々だってそうだ。それだけじゃない。姉が勤めていた会社の社長たちだって、義勇を実の子供のようにかわいがってくれた。
世界中でただ一人の恋しい人。それは最初から最後まで変わらず一人きりだけれど、杏寿郎とだけ生きることなど、きっとできない。大切な人が多すぎる。これからだって大事な人は増えるだろう。
そしてそれは、杏寿郎だって同じことなのだ。
たとえ自分と杏寿郎が、世界でただ一組の番だったとしても。世界中探しても、どこにも同じ種はいなくとも。
「しかし、義勇が録画してまで見たがる番組というのは、興味があるな。予約してまで見たいものなどないと答えられるかと思っていた。なにを録画してもらったんだ?」
「ん……? ネイチャー系のドキュメンタリー番組だ。絶滅した動物の……昔、一緒にニュースを見ただろ? ガラパゴス諸島のカメ」
ふと思い浮かんだ記憶を読まれたみたいなタイミングでの杏寿郎の疑問に、義勇は小さく苦笑した。高感度冨岡センサー発動というわけでもあるまいに、偶然にしてはタイムリーなことだ。
「あぁ、思い出した。ロンサムジョージだな!」
「うん。特集をしていた。懐かしいなと思って」
なんとなくうつむいて、義勇は静かに言った。
作品名:にゃんこなキミと、ワンコなおまえ4-1 作家名:オバ/OBA