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星溶け菫のカクテル

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「ん、こっちももう終わりそう」
 終わった人から上がろうか、と話がまとまり、帰っていく三人を見送る。
「さて、かさくん」
 くるり、と振り返ったその人の笑顔は美しくて恐ろしい。
「うっ……はい、」
「おなかすいたでしょ、晩御飯でも食べよっか」
 強張っていた身体の力が抜ける。はい、と返事をして受け取ったお皿は今夜のまかない。いつもは寮の自室に持ち帰って食べるそれを、店のカウンターに並んで二人で食べる。
「ここの生活には慣れた?」
「えっ、あ、はい……皆さんが親切にして下さるので」
「そりゃ洗濯機も使えないようなお坊ちゃんだしねぇ、放っておく方が危ないでしょ」
 くつくつと笑う泉に頬を膨らませて箸を進める。今夜は鯖の煮つけとほうれん草のお浸しだ。
「ん、美味しいです」
「それはどーも」
 当然でしょ、と言わんばかりの泉は自分の皿に手を付けず、じっと司を見つめている。よく噛んでから飲み込むと、司は口を開いた。
「なんですか、瀬名先輩」
「いや、お行儀良いなって。箸握らせてもフォークとナイフに持ち替えても綺麗だし、本当にどこかのお坊ちゃんだったりして……」
 なんて、ね……と冗談めかして言った泉は司の表情を見るなり口を噤んだ。
「あのさあ……なんでそういう時だけ素直になるかなあ」
「それは、どういう」
 今度は自分でも、顔が引きつるのが分かった。
「……言いたくないことは、言わなくていい。ただ、かさくんは不器用だからさぁ、俺たちにももう少し甘えていいんじゃない?」
 泉の言っていることの意味が分からなくて首を傾げれば、溜息を零された。
「感情表現が下手ってこと。隠すべき時に隠せてないし、逆に隠さなくていい時に隠してるでしょ」
「そう、でしょうか……」
 俯く司とは反対に真っ直ぐにこちらに向けられる視線。逃げ出したくなるほどに、唯々真っ直ぐなそれ。
「うん。かさくん、ピアノ弾いてる時、何考えてる?」
「何、って……間違えないように、Rhythmを乱さないように、あとは皆さんの邪魔にならないように……」
 指折り挙げていくと、もう一度、今度は先程よりも深い溜息が聞こえた。
「それ、楽しい?」
「っ……、」
「ほら、また我慢した。今飲み込んだ言葉、吐き出して」
 いつの間にか膝の上でぎゅっと握りこんでいた手を取られる。少し骨ばった手が司の拳を優しく包む。それが温かくて、優しくて。
「私、は……『楽しい』が分かりません。皆さんと働いているのも、お話したり、ご飯を食べるのは『楽しい』です。けれど、演奏することを『楽しい』と思ったことなんて、今まで……一度も……」
 走馬灯のように脳裏を駆け巡るのは、ここに来るまでのこと。目を背けた過去のこと。
ぽつり、と言葉と共に零れ落ちた雫。彼の手の甲を伝って落ちたそれが自分の涙だと気付いたのは、一拍子あとのこと。あっと思った時には彼の指先が自分の手から離れていくところだった。
 思わず泣いてしまったことも、涙が手の甲を伝ったことも、不快に思わなかっただろうかと不安になる。嫌われたくない、見放されたくない。甘え方なんて知らなくて、人を頼る術も知らない。泣きたくなんてないのに、涙が止まらない。
「ったく、仕方ない末っ子だなあ」
 彼の手が私の背に回り、身体を引き寄せられる。まるで子供をあやすようにぽんぽんと背を叩かれて、もう片方の手が後頭部に添えられた。彼の肩に顔を埋めた私は何が悔しいのか、何が悲しいのかも分からずに泣いた。

「すみません、取り乱してしまって……」
 ひとしきり泣いて漸く落ち着いた司は、おずおずと顔を上げた。
 彼は何も言わずに微笑むと、二度背中を叩いて離れていった。それが少し寂しかったのは、秘密だ。
「以前にも言われたことがあるのです。私の演奏は正しくて、無表情で、綺麗なだけでつまらない、と」
 今度は彼の表情が引きつる。それが何だか面白くて、私は笑った。
「Followの言葉も浮かびませんよね、だってその通りですから」
 機械に演奏させている様なものだと、散々な言葉を浴びせられた。上手いだけなら他にもごまんといるのだと、繰り返し、繰り返し。
「器用が故に、不器用なんですって」
 胸に刺さったままの言葉の刃を並べてみる。刺さったままだから慣れていると思っていたけれど、こうしてみるとその刃は未だ鋭く、傷口は塞がる気配がない。ああ、思いのほか傷ついていたのだな、なんて。
「……他人の言葉なんて、気にしなくていい」
 両頬を挟むように大きな手のひらで挟まれて、顔を上げさせられる。
「なんで瀬名先輩が悔しそうなんですか」
 小さく笑えば、彼はむきになる。
「そりゃそうでしょ。努力をしてるやつが報われないのは、悔しい」
 だからって、あなたが涙を堪えなくてもいいじゃないですか。そう言いたいのに、今口を開けば嗚咽が零れてしまいそうで。
「かさくんが馬鹿がつくほど真面目で努力家なことは、ここにいるみんなが知ってる」
 演奏する時も、給仕などの仕事をしている時も、質問をして、メモを取って、復習や反省をしていることを知っているから。
 そう言われて、私は涙を一粒流した。今度のそれは、嬉し涙だ。
「だからこそ、辛そうな顔で演奏するかさくんのことをみんな心配してたんだよ」
 涙を拭った親指は、そのまま睫毛を弄ぶ。くすぐったい。
「俺たちとステージに立つの、嫌い?」
 優しく尋ねるその言葉に、ふるふると首を横に振る。
「演奏するの、嫌い?」
 続く質問に目を瞬かせる。嫌いかと言われれば、嫌いではない。嫌いだったらあのまま投げ出していたはずだ。お金を稼ぎたいなら他にアルバイトはいくらでもある。あの夜、このバーを訪れたのだって、ジャズの文字が見えたからに他ならない。そしてたしかにあの夜、私は『弾きたい』と、そう、思ったのだ。
「好き、です……」
 思わず零れたその言葉に、泉が笑う。
「うん、俺も好き。好きだから、楽しい」
 それが演奏することに対して向けられた言葉だと頭では理解していた。それでも私の心臓は容易く高鳴ってしまう。私を真っ直ぐに見てくれることが、きちんと理解してくれていることが、嬉しくて堪らないのだ。

 おいで、と手首を掴まれる。どこに、なんて聞かなくても答えは分かった。私の足も、そちらを向いていた。
「調子が良かったら『楽しい』。ソロやアドリブが上手くいったら『楽しい』。あいつらと一緒に演奏していることが『楽しい』し、それが綺麗なハーモニーになればもっと『楽しい』」
 一歩ずつ近づくステージ。けれどいつもとは違う。緊張も憂鬱もそこにはなくて。
「あと、自分の演奏で誰かを魅了できたら『楽しい』」
 そう思わない? くるりと振り返った彼は笑う。その言葉に、何時しかの自分を思い出す。
「や、やっぱり覚えていたのではないですか!」
「何のことかなぁ」
 二人の笑い声が重なる。
 司は自らピアノの椅子に座ると、鍵盤蓋を開いた。するりと撫でる鍵盤はしっとりと指に馴染む。心地いい。鍵盤を押せば、ポーンと柔らかな音が鳴る。
作品名:星溶け菫のカクテル 作家名:志㮈。