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にゃんこなキミと、ワンコなおまえ5-1・2

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「結局あれは前の住人狙いだったろォ。ま、あんなセキュリティもなにもあったもんじゃねぇ部屋からは、さっさと引っ越したほうがいいたぁ思うけどなァ」
「鍵も今どきディスクシリンダーだしな。下手すりゃぶっ叩くだけで解錠されるっつうのに、鍵の交換さえしてねぇんだから、大家も冨岡も呑気すぎんぜ」

 そうなのだ。たしかに盗聴器なんて物騒なものは発見されたが、それにしたって仕掛けられたタイミングが問題だと、あの日、宇髄らはかなり緊張を強いられた。
 義勇がまだ引っ越してきてさえいないうちに、盗聴器を仕掛けられる人物。それはつまり、すでに義勇と面識があるのと同義だ。義勇の入居を事前に知らなければ、盗聴器を仕掛けるメリットなどない。
 義勇の入居を知る者は多くない。不動産屋に大家、姉夫婦、それから義勇の幼馴染たち。姉である蔦子とその旦那になった男は即除外だ。盗聴する意味がない。
 であれば、不動産屋か大家、もしくは錆兎たちということになるが、後者はすぐに候補から外れた。
 行き過ぎた過保護という線も考えなくはなかったが、実際に二人と出逢ってみれば、杞憂だとすぐに知れた。不動産屋は義兄の親戚で、個人経営の御年七十歳というから、これまた盗聴うんぬんなど考えにくい。大家にいたっては老人ホームにいるという。生真面目すぎる義勇は契約した折に姉と一緒に挨拶に行ったらしいが、車椅子生活でお気の毒だったと同情していたぐらいだから、これまた除外だ。
「管理人がいるのが、まだマシっつうか……。あの兄ちゃんも災難っちゃあ災難だわなァ」
 不死川の同情は言葉のわりに不快げだ。宇髄も感想は同じようなものである。
「ま、前の住人に連絡とって注意喚起してってだけでも、地味に面倒だからな。けどまぁ、盗聴器の理由がわかってよかったじゃねぇか」

 あの日、ワイワイとにぎやかだった一行の前に現れた管理人とやらは、大家の甥と名乗った。一室をタダで借りる代わりに、管理を請け負っているというのである。見た目は三十代前半。とくにどうという特徴もない、凡庸な男だった。
 大柄な宇髄やお世辞にも人相がいいとは言い難い不死川を前に、いかにも及び腰になっていたあたり、いざというときに頼れるかはなはだ不安は残るが、それはさておき。
 錆兎たちからの差し入れも含め、やたらと大量になった飲み物をお裾分けがてら、こっそりと宇髄が事情を伝えたところ、盗聴器は前の住人を狙ってのものと判明した。
 義勇の部屋に住んでいた住人は、フィリピンパブに努めていた若いフィリピーナだそうで、客と結婚して部屋を出たという。客のなかにストーカー気質の者がいたらしく、何度か不審な男がうろついているのを、管理人も見ていた。

 前住人が引っ越してからすでに三ヶ月も経っており、不審な男の姿も以降一度も見ていない。件《くだん》の女性も、営業中に客たちの前で結婚報告していて、ストーカーも転居は知っているはずだ。

 管理人の男が、いかにも面倒事に巻き込まれたと言わんばかりのふてくされ具合で述べた内容は、それなりに筋が通っていた。
 その言の真偽を確かめる術《すべ》はない。だが、杏寿郎や錆兎たちが調べた結果、六月までにふたたび盗聴器が仕掛けられた気配はなく、盗聴器の一件については義勇に知られぬまま終了している。
「ったく、迷惑な話だァ。だがまぁ、あんなボロアパートじゃハウスクリーニングもおざなりだろうし、盗聴器ぐらい発見しろやって責めんのも酷かァ」
「だな。それに災難ってんなら、万が一を考えて、夏まで派手にド健全でいなきゃなんなかった煉獄のほうが、よっぽどだろ」
 ククッと宇髄が忍び笑えば、不死川も半目になりつつ乾いた笑みを浮かべた。
「そりゃまぁ、やっと幼馴染から恋人になった途端に中三事件ふたたびかってなりゃ、あいつも気が気じゃなかったろうけどよ。盗聴器あったって教えたとたんに、あわくって荷台から飛び降りかけやがったぐれぇだからなァ」
 何気ない口調だが、『中三』の一言を口にした不死川の顔は、苦くてたまらぬなにかを噛みしめたかのようにしかめられていた。
 宇髄の笑みも悔恨に歪む。あの件を思い出すと、理不尽さへの憤りと自分の迂闊さに、知らず奥歯を噛みしめそうになる。

 理不尽。あれはまさに、その一言でしかない出来事だ。未遂ですんだからいいようなものの、万が一など想像すらしたくない。

 なにもなかった。義勇は無事だったのだから忘れちまえ。周囲は何度もそう口にしたし、杏寿郎だって結果としてはお咎めなしだ。義勇自身だって、強がりでもなく事件自体に傷ついた様子はなかった。
 それでも、杏寿郎と義勇のあいだに落ちた影は、暗い。
 杏寿郎が、暗く深いその影を飛び越える決意をするまで、じつに四年を要したほどに。

 やっと恋人として義勇と抱きしめあえる日が来たことを、どれだけ杏寿郎が喜んでいたことか。あまりにもあからさますぎて、あぁやっと告白したんだなと、宇髄らにも筒抜けだったぐらいだ。
 それまでだって、表面上、二人にはなんにも変わりなどなかった。以前と同じくバグりまくった距離感で不死川や伊黒を辟易させ、宇髄を爆笑させていた。
 けれど杏寿郎にとっては、幼馴染から恋人への一歩を踏み出せずにいた月日ではあったのだ。
 杏寿郎が中学に入り、初めての夏を迎えようかというときに起きたあの事件から、義勇が大学進学するまでの、四年間。それは二人にとって、今までと変わらず楽しく平和な日々でもあったろうけれど、同時に、どこか綱渡りのような月日でもあったんだろう。
 とくに、杏寿郎にとっては。

 義勇が自分を嫌うことなど、世界がひっくり返ったってありえない。それまでの杏寿郎は、心の底からそう信じていたはずだ。けれどもあの事件が落とした影は、そんな無邪気にして堅固な信念に、細く小さなヒビを入れたに違いない。ふとした拍子に、義勇の反応に怯える様子を杏寿郎は見せた。
 杏寿郎の気持ちもわかる。だが宇髄にとっては、そんな杏寿郎の態度を受け止める義勇の心情こそが、心配でもあった。
 だがそれも、今となっては杞憂となりつつある。
 去年の七月に、真剣な顔を真っ赤に染めた杏寿郎が、宇髄のもとを訪ねてきたことで確信へと変わったそれは、今も宇髄の胸の奥をほわりと温めてくれる。

 こいつらなら……煉獄と冨岡なら、大丈夫だ。なにがあっても二人で乗り越え、二人で歩んでいくんだろう。宇髄は強くそれを願い、固く信じている。

 なにかを得れば、なにかを失う。そんな世の常さえ吹き飛ばして、なに一つ失うことなく、いくらだって幸せを掴み取っていく。そんな二人のままでいてくれるに違いない。だからこそ、自分はここで待つのだ。広い世界を駆け巡って成長していく二人が、不死川や伊黒が、ほんのひととき羽を休めに戻る場所。そんな大樹になりたいと、宇髄は心の底でひっそりと願う。
 宇髄がいるからここはホームタウン足り得ると、思ってもらえりゃ、最高じゃねぇか。
 誰にも言ったことのない宇髄の夢は、街路樹を彩るイルミネーションよりもキラキラと輝いている。